ユングと親鸞に関する日々のつぶやき

ユングと親鸞に関する日々のつぶやき

私の人生に大きな影響を与えた二人についてひらめいたこと思いついたことなど書き連ねていこうと思います。

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西暦1100年代に生まれた親鸞と1800年代に生まれたユングの二人の共通点は、それはきっと私だけが思うことだろうけど

人間の心を自然現象として捉えていたこと。

ユングは自分で心理学は自然科学と言っていた。

 

 

親鸞は宗教家だったのだけど人間というものは自分の意志だけでは正しく生きられないということを言っていた。

いくら信心してもお経をとなえても人間は過ちを犯してしまう。

特に親鸞の時代はお坊さんは禁欲生活をしなければならなかった。

当然結婚はできないし俗世を生きることが出来ない時代だった。

しかし親鸞は自分の性欲に打ち勝つことは出来なかったことを正直に認めたのだ。

まあ表向きは独身で陰でこっそり女性との生活をしていた僧はたくさんいたらしいけど。

そんな中で彼が特別だったのは正式に表向きに女性と結婚をしたこと。

自分は僧でありながらいろいろな面でダメダメな僧であることを認めたのである。

なので当時彼は自分のことを愚禿(ぐとく)親鸞と言っていた。

そして親鸞は人間とはそういうもの、真面目にちゃんと生きようとしてもなぜか運命の流れや生まれ持った癖のようなものに振り回されながら生きていくものである。

人間の持つ煩悩はどんなに修行しても捨てられないものなのだ。

と言い切った。

 

 

 

人の心の変遷や悪を自然現象として認めていることが二人の共通点と私は思う。

 

もし親鸞が今の時代に生まれていたらきっと心理学者とかになっていたのではないだろうか。

古い時代に生まれた親鸞なのに彼は超常現象に否定的だった。

それなのに1800年代に生まれたユングは超常現象を信じていたのは面白い話。

 

ただ親鸞も夢分析的なことはしていて夢を大事にしていた。

そこも共通点といえる。

 

 

 

 

 

 

戦場のメリークリスマスが流れてきてユングを思い出す

 

 

このストーリーの原作者はローレンス・ヴァン・デル・ポストといってこの映画の中にも出てくる。

 

そもそも坂本龍一の曲の原題は「Marry Cristmas Mr. Lawrence」

 

曲の題は映画の中でビートたけしが言ったローレンスへのセリフだった。

 

これはローレンスの実体験を元にして作られた映画。

 

なぜこの曲を聞いてユングを思い出したのかというとローレンスはユングと友達だったから。

と言うか崇敬していたようだ。

私はたまたまユングの特集をしていた雑誌のなかでローレンスとユングが出会ったときのエピソードを読んでいたく感激した。

そしてこのちょっと素敵な英国的な名前を耳に挟むとついユングを思い出してしまうのだ。

 

彼とユングはユング主催のパーティで出会った。

ある人の取り計らいでローレンスはユングの隣に座ることになったがユングはある教授との話に夢中でローレンスは挨拶もできなかったらしい。

その間にローレンスはユングという人を観察していた。

ユングと教授は火について話をしていた。

やがてその教授との話も終わりやっとユングがローレンスに顔を向けた。

ローレンスはその流れで自分の体験したアフリカでの火の起こし方の話をした。

それこそそこから火がついて二人はすぐに打ち解けたようだ。

 

やがてパーティも終わりこれでユングとの話も終わりかと残念に思っていたローレンスだがなんとユングにこれから家に来ないかと誘われたのだ。

ローレンスはどんなに嬉しかっただろう。

ユングの自宅でも彼らは夜中まで話しが止まらなかったそうだ。

そこからユングとの交流が始まった。

 

ローレンスはユングと出会ってはじめて自分は孤独ではないと感じたと言っていた。

それはただの感情的な一人の友人だからということではなく。

その時代のユングの信奉者やこれから生まれて来る未来の人達をも孤独感から救うことになるだろう、、と。

 

なんかローレンスのユング論みたいのを読んでいると本当に観察眼がすごくて何度も感動してしまう。

だってその孤独から救われると言っていた未来の人がまさしく私だから。

 

ユングの本と出会ったことで今まで自分でも気づいていなかった自分の中のもやもやを代弁してくれるように解き明かしてくれたのだから。

 

これが戦場のメリークリスマスの曲をラジオで聞いてユングを思い出してしまう理由なのだった。

 

 

 

 

時代の違う世界で生きた二人だけど

もし二人が出会ったらとても話の会う友達になれたと思う。

 

二人共人間の本質を追求していたから。

 

鎌倉時代の仏教で阿弥陀という超高い存在を見ていた親鸞だけど

彼は人間の本質はどうやったって高い存在に進めるわけがないとわかっていた。

いいこともすれば悪いこともする人間が人間であってそれでいいじゃないか、、と。

 

そういう点でユングも人間の本質をよくわかっていた人だったから。

 

そして二人共神秘的なものの存在を理解していた。

ユングの得意とする夢についても親鸞はそこに深い意味があるということを信じていた。

 

もう天国では仲良ししてるかもしれないけど。

 

 

 

 

 

 

 

ユングと親鸞について書き始めると集中して文章が長くなる。

先日けっこう長く書いてまだあとで続きを書こうと思ったら消してしまったらしく下書きに残ってなくてがっくり。

 

その後体調を崩したりまた長年暮らしている老猫が認知になってしまいいろいろやることがあって大変になってしまい。

 

ちょっと気力がダウンしていた。

 

昨日も猫の様子がおかしくなってもう死んじゃうのかな?

と覚悟を決めて意識が薄れてぐったりしていた猫をずっと撫でていた。

 

日曜日だったのでかかりつけの病院もお休みだし、、。

このまま苦しまずに逝くのならそれでもいいか、、とあきらめていた。

 

今朝早起きして病院に連れて行って血液検査をしてもらったら

先生にきわめて健康です!と言われてしまったw

 

ただ発作は健康な猫でも起こることがあるのでそれは様子見しましょう、ということだった。

なのですぐに命が終わるなんてことはないらしい。

めっちゃ嬉しかった。

 

冷静になっていたつもりでもやはり昨日愛猫の死の覚悟したことは私にとってきついことだったみたいで今日は私の体調がおかしい。

急に寒くなったのもあって風邪をひいたみたい。

 

一応まだこの年でも福祉関係の仕事をしている。

まあ、パートだけど。

今日は病院に行くために急遽お休みをもらったので私自身もゆっくりできた。

明日は通常のお休みなので明日ものんびり。

ちゃんと風邪をなおしてから仕事には出たいので大人しくしていよう。

 

とりとめもなく文章を書くことが好きなのでこのブログは続けていきたい。

たとえ誰も読まなくてもいい。

唯一の読者は私ってことで。

書くことに充実感を感じてるので。

 

今日みたいに頭が疲れているときは猫のことや日常のことも書いていこうと思う。

 

ちょっとリラックスできるから。

 

 

 

 

ユングといえば夢分析

ユングは人間の無意識の部分を知るために夢分析が有効だと言った。

 

そして夢に出てくる象徴について研究。

 

夢の中に出てくる物事が象徴として無意識の部分として現れるという。

 

これは私にもわかりやすくて面白くとっつきやすかった。

 

 

昔から夢を沢山見て不思議を感じていたのでとても興味深くユングの夢象徴に関する本を読んだ。

 

そして夢を通して自分で気づいていなかった自分に気づくことが出来た。