58()AM2:00

ノゾムが生まれてから4時間近く経過した。

新生児DRが診察や処置をし、落ち着いたら説明に来ると言われていた、それまで分娩室で旦那と待っていた。なかなか先生が来ないから何かあったのかなと不安にもなったけど、私たちは出産のことを振り返ったり、ノゾムが生まれてきたこと感動したねってずっと同じような話をしていた。旦那も立ち会いできてよかったと話していた。

不安ももちろんあったけど、私はお産を無事終えた達成感と生まれてきてくれたこと、早く会いたいという気持ちで幸せな気持ちでいた。


新生児DRからの説明。

・赤ちゃんは呼吸が苦しそうだったのでnicuで気管挿管を行い人工呼吸器を装着した

・心臓については妊娠の時から言われていた通りで心室中隔欠損、両大血管右室起始があります。大血管転位はおそらくない。

動脈管開存症はまだわからない。ここ数日で閉じるかどうか経過をみていく。

・食道閉鎖がおそらくあります

・赤ちゃんの状態は今とりあえず落ち着いています


わかりました。

私は何も聞けなかったし、何もできないだろうと思った。元々食道閉鎖があったらかなり厳しいと言われていた。手術の話すら出てなかった。今の時点ではどんな治療になるか判断できないのだろうと察し、とりあえず仕方がないことだし、悲しかったが受け止めた。


この後旦那とnicuにノゾムに会いに行った。

小さかった、足を触ると体を動かした。

沢山のチューブがつながっていた、でも生きていた。

頭を撫でた。親指の位置が少しズレている手、折れてしまいそう、でも可愛い。

ありがとう、頑張ったねノゾム。


旦那が帰って、1人で分娩室で朝まで過ごした。眠たくなかった。ずっと興奮しているような感じでアドレナリンがまだ出ていた。

傷の痛みと後陣痛で眠れなかった。

後陣痛が来ると陣痛の時の痛みを思い出して夜怖かった。もう終わったんだけど、まだ陣痛が来るような感じがした。


目は閉じるようにしたが、眠ることなく朝を迎えた。

助産師さんに手伝ってもらってトイレに行った。悪露がたくさん、トイレを血まみれにしてしまった。傷が痛くて歩くのもやっとでした。今日わたし大丈夫かな?


AM7:00 初めて母乳がでた。こんなにちょっとしか出ないんだ。でも母乳が出るイメージができなかったから嬉しかった。


朝ご飯を食べた、美味しかった。

久々に白いご飯を美味しいと思って食べた気がした。


部屋移動し、助産師さんたちが挨拶に来た。

この後は搾乳をすることに、、

少し待っててねと言われてからずっとこなかった。

AM10:30 新生児DRがお部屋に来た。

赤ちゃんの状態を他の病院の先生に伝えたら、手術ができるかもしれないとのお返事があったとのこと。

赤ちゃんの食道閉鎖は、気管と胃がつながっている、つながりをなくして胃瘻を作る手術になると思います。

先生が思った以上に赤ちゃんが元気です。そう言われたのを覚えている。

今転院の準備をしていてあと1時間で救急車で搬送しますと。

急な展開で私も気持ちが追いつかなかった。でも手術できる状態だなんて思ってなかった、心臓の負担も大きいしこんなに小さい体なら手術は無理だろうと思っていたから。

だから嬉しかった、その場で泣いてしまった。

旦那にすぐ連絡して来てもらった。

ノゾムが救急隊の人に連れられて搬送する時はとても悲しかった。ノゾムが少し苦しそうな顔をしていた。行きたくなかったかな。

手術なんて嫌だよね。怖いよね。ごめんねノゾム。


PM12:00 お昼ご飯が来た。

ノゾムが苦しんでいるのに、ご飯なんて食べていいんだろうか。時間が経つにつれて、体がラクになっていた、お尻の痛みはあるし後陣痛はあるけれども少しずつ動けるようになってきて自分が回復していることがわかった。でもノゾムはその分苦しくなっていっていると思うと辛かった。


旦那からの連絡。

ノゾムの食道閉鎖の手術の説明を受けたとのこと。

手術をしないと、胃に空気が溜まってお腹がパンパンになったり、逆流などで肺炎を起こす可能性が高いこと。栄養が十分にとることができないこと。

要するに生きていけないということ。手術をしないとどれくらいで病状が悪化し死に向かっていくことになるのかはわからなかったが、生きるためには手術しかないと言われた。


しかし手術をすることのリスクが高すぎることも伝えられた。そもそも手術に耐えられるかどうかわからない。麻酔導入の時点で厳しいと判断したら手術すらできない、いざ手術をしても出血が心配、心臓や肺への負担がかなり大きく耐えられず、手術室で亡くなる可能性も十分にある、そうなった場合お母さんが離れ離れなため、よく話し合って下さい。


循環器DR、麻酔科DR、外科DR、新生児DRからそれぞれ説明をしてくれた。旦那が聞いた内容を私に教えてくれた。

私は混乱していたけど旦那は冷静に聞いてくれていたし、私に伝えてくれた。

医療者でもないのに理解が早いなと少し尊敬した。

どの先生も手術のリスクが大きいことは何度も言われたよう。でも同じように言われたことは、赤ちゃんが思ったより元気だから手術ができるかもしれない、耐えられるかもしれないとも言われた。

でも決めるのは私たち。先生たちはこうした方がいいとは言わなかった。

とても厳しい選択を迫られていたし、先生たちも辛かったとおもう。

ノゾムが生きようとしている、私たちも生きてほしいそう思ったから手術をお願いした。


PM15:30 ノゾムが手術室に入室した。

テレビ電話を繋いでくれた。

怖かった、これで最後になるかもしれないと思うと、不安しかなかった。ノゾムを信じることしかできなかった。


その頃病棟はバタバタしていた、救急車の音が聞こえた。私のところにお昼過ぎに搾乳のため助産師さんが来たけれど、搾乳機の説明を簡単に受けて終わってからは誰も来なかった。

忙しいんだな、昨日は私が忙しくしてしまって対応が手薄になってしまった患者さんがいると思うと、ナースコースなんて押せなかった。今は命の危機がある人が優先だよなあって。

聞きたいことは山ほどあった。


お昼頃に私の転院は今日はできないと言われた。転院は早くて明日、退院も早くて明日か明後日、確認しないとわからないと言われていた。

PM17:30 ノゾム手術終了。

無事に終わったとの連絡。

でもいつどうなるかわからないと思った。


夕方助産師さんが来るまでナースコールは押さなかった、でもなかなか来なかった。もう待てないと思って通りかかったスタッフに聞いてみた。

担当の人が来てくれて、確認したら今日退院できることになった。急いで準備を始めた。

一睡もせず身体はボロボロでしたが、ノゾムに会いに行けることがわかってからは嬉しくてまたアドレナリンが出ていた。


急遽の退院になってまたご迷惑をかけてしまった、まだ産んでから24時間経過していなかった。正直不安もあった。搾乳についてなど日中ほぼ何も指導もなかった、家でどうしたらいいかなとか色々不安だった。

夜勤の看護師さんに相談した。

時間がない中たくさん色んなことを教えてくれた、シリンジを渡してくれた。

そのまま退院しノゾムの入院している病院まで向かった。


PM20:30 ノゾムとの面会。

ノゾムのお腹には胃ろうのチューブがあった。鎮静されていて動くことはなかった。

血圧も低くて心配だった。

こんな小さい体で頑張ったと思うと苦しくなった。痛かったろうなあ。

でも生きて会えて嬉しかった。

新生児DRも赤ちゃんが凄く頑張ってくれたことを伝えてくれた。

今後の急変の可能性や出血が多かったことで輸血をしていることなど説明を受けた。





また明日来るね。ノゾムにそう伝えて私たちは帰宅した。


夜は慣れない搾乳をした、シリンジで取ったものを冷凍した。今の私にできることは母乳を届けることしかないとおもってた。


明日もノゾムに会えると思っていた。

これからノゾムにできることを沢山してあげたいと思っていた。