家族であっても、どんなに近い存在であっても、じわじわと、あるいはある日突然、向いている方向が変わってしまうことがあります。
互いに依存し合っている関係であればあるほど、それを信じることが難しく、葛藤も生まれます。
私の場合は、その葛藤が4ヶ月続きました。こうして文章にすると、短く感じるようですが、この4ヶ月は1年に感じる程長い時間でした。
私の家族は、私と姉が小さい頃から、仲良しでした。
全てがパーフェクトの家庭ではないけど、時には父と母が喧嘩したり、父が人生に躓いたり、それぞれ問題を抱えながらも、支え合いずっと一緒、仲良し家族でした。
週末には、家族全員そろってお鍋をするのが定番で、家族の誰かの誕生日は張り切って豪華な食事を用意しました。そこには、いつも笑顔があった。
私は、悩みがあれば何でも母に相談しました。
幼い頃から、私にとって母はいわば法律のようなものでした。
こう言うと大げさなようですが、時に厳しく、しかし時に誰よりも暖かく、友人のような存在でもある母は、強烈な恐怖によって、あるいは深い愛情によって、私にとって絶対的な存在になっていたのです。
もちろん、母が嫌になる時もありました。母がいなければ、私の人生はどう変わるのか、その自由に憧れる時も多々ありました。しかし、私は完全に母に依存し、母の笑顔のために生きる、そう言っても過言ではなかったのです。
私たちの価値観は、同じ。
私たちはずっと、一緒。
疑う理由はどこにもありませんでした。
しかしある日、母が違う方向へ、足を進め始めました。それは、命の危機的な要素を含む、重要な岐路でした。
母は、その思想にのめり込み、急激に、過激に、足を進めます。
いつもなら、その後を着いて行く私ですが、こればっかりは100%同調することが出来ませんでした。
その思想の一部は認めるます。それは、絶対的に正しい部分です。
全てを認めたら、今の生活を捨てることになるから...
私は一部思想を受け入れた生活を始めました。
母が合っているのか、私が合っているのか、誰にも正解など、分かりません。
母は、何故分からないのか 私たちに問いました。
毎日それに没頭し、心配する母には、それしかなく、心の奥底で、私たちがその他の事に情熱を燃やす事に腹を立て、その思想に反する行動をすることに腹を立てました。
時には、私たちが、その思想に反対した時、彼女は激しい怒りを爆発させました。
彼女は怯えていたのだと思います。
その思想を無視する日本国民が、信じられなかったのです。
その思想から外れることで、自分は死ぬかもしれない。
特に、自分の娘たちが、その思想の外で、汚れ、死んでいくことが、怖かったのです。
母は、笑わなくなりました。
家族で食卓を囲み、明るい雰囲気の中でも、それはどこか作りものめいた、危うい雰囲気を帯びていました。
ある日、彼女は突然、1ヶ月後に遠くに行くことを決心しました。
遠くに行けば、助かる。
何故、ここに留まる必要があるの?
娘たち、あなた達を助けるためよ。
そのために、私は全てを捨てることも惜しくない。。。
私たちは、動揺しました。
先程も述べたように、私たちにとって母は法律です。
今まで、逆らったことなどありませんので、彼女の決定に従わないという発想はありませんでした。
それでも、今の暮らしは捨てられないよ。
せめて、あと数ヶ月待って欲しい...
母は念を押しました。
数ヶ月たてば、一緒に遠くに行ってくれると約束するね?
私たちは、大きな過ちをおかしました。母と約束したのです。一緒に行く、と。
母の怒りを恐れ、また目の前の生活を取り上げられないために、母と望まない約束をしてしまったのです。
私達は、ここで自分の意見を述べるべきだった、と長く後悔することになります。
2人を止めてあげるべきだった、と。
母は遠くに行く準備を始めました。
娘たちが来るから、家は大きめ。
今の家は売って、新しく買おう。
時間の経過と共に、父も母と同じ考えになっていたので、父も仕事を辞める決心をしました。
もう、止めることなど出来ませんでした。
私たちは従うしかない。
私たちのために、両親をがっかりさせてはいけない。
私たちのための犠牲を、無駄にしてはいけない...
しかし、私と姉は気づき始めます。
私たちには、自分の考えに従って生きる権利があるはずだ、と。
新しい土地を見学しに行き、そこが自分の土地ではないと、再確認すると、その想いは強くなりました。
ある日思い切って、大きなリスクをおかそうとしている父親に、自分たちの考えを伝えました。母は、そんな事話せる状態ではなかったので、父親に伝えました。
両親の間違いを指摘し、止めてあげることが、娘としての義務だと思ったからです。
しかし、父親の考えは、揺らぐことはありませんでした。
彼らにとって、その思想は100パーセント正しいことだったから。
そして、悟ります。
私と両親は、別の道に進み始めたんだな、と。
あんなに、離れることはないと思っていた心は、もう離れて、別の方向を向いてしまったんだな、と。
実際、1年間、その思想のため精神的バランスを崩していた母は、遠くに行くために、久しぶりに生き生きと生活を始めたのです。
これからは、自分の力で生きていかなければいけません。
親に甘える時代は、早くも終わりを遂げたのですから。
個人として、考えを持ち、しっかりと歩んでいかなければならないのです。
しかし、まだ私には一人で生きて行く力がありません。
今まで、どれだけ親に頼り、依存していたのか、痛感します。
別々の方向を向いて歩きだした今、じわじわと、心の溝は深くなっていきます。
肌でそれを感じるのです。
残り2カ月、寄り添い、思い出を作っていくべきなのか、離れる準備をするべきなのか、私にはわかりません。
互いに依存し合っている関係であればあるほど、それを信じることが難しく、葛藤も生まれます。
私の場合は、その葛藤が4ヶ月続きました。こうして文章にすると、短く感じるようですが、この4ヶ月は1年に感じる程長い時間でした。
私の家族は、私と姉が小さい頃から、仲良しでした。
全てがパーフェクトの家庭ではないけど、時には父と母が喧嘩したり、父が人生に躓いたり、それぞれ問題を抱えながらも、支え合いずっと一緒、仲良し家族でした。
週末には、家族全員そろってお鍋をするのが定番で、家族の誰かの誕生日は張り切って豪華な食事を用意しました。そこには、いつも笑顔があった。
私は、悩みがあれば何でも母に相談しました。
幼い頃から、私にとって母はいわば法律のようなものでした。
こう言うと大げさなようですが、時に厳しく、しかし時に誰よりも暖かく、友人のような存在でもある母は、強烈な恐怖によって、あるいは深い愛情によって、私にとって絶対的な存在になっていたのです。
もちろん、母が嫌になる時もありました。母がいなければ、私の人生はどう変わるのか、その自由に憧れる時も多々ありました。しかし、私は完全に母に依存し、母の笑顔のために生きる、そう言っても過言ではなかったのです。
私たちの価値観は、同じ。
私たちはずっと、一緒。
疑う理由はどこにもありませんでした。
しかしある日、母が違う方向へ、足を進め始めました。それは、命の危機的な要素を含む、重要な岐路でした。
母は、その思想にのめり込み、急激に、過激に、足を進めます。
いつもなら、その後を着いて行く私ですが、こればっかりは100%同調することが出来ませんでした。
その思想の一部は認めるます。それは、絶対的に正しい部分です。
全てを認めたら、今の生活を捨てることになるから...
私は一部思想を受け入れた生活を始めました。
母が合っているのか、私が合っているのか、誰にも正解など、分かりません。
母は、何故分からないのか 私たちに問いました。
毎日それに没頭し、心配する母には、それしかなく、心の奥底で、私たちがその他の事に情熱を燃やす事に腹を立て、その思想に反する行動をすることに腹を立てました。
時には、私たちが、その思想に反対した時、彼女は激しい怒りを爆発させました。
彼女は怯えていたのだと思います。
その思想を無視する日本国民が、信じられなかったのです。
その思想から外れることで、自分は死ぬかもしれない。
特に、自分の娘たちが、その思想の外で、汚れ、死んでいくことが、怖かったのです。
母は、笑わなくなりました。
家族で食卓を囲み、明るい雰囲気の中でも、それはどこか作りものめいた、危うい雰囲気を帯びていました。
ある日、彼女は突然、1ヶ月後に遠くに行くことを決心しました。
遠くに行けば、助かる。
何故、ここに留まる必要があるの?
娘たち、あなた達を助けるためよ。
そのために、私は全てを捨てることも惜しくない。。。
私たちは、動揺しました。
先程も述べたように、私たちにとって母は法律です。
今まで、逆らったことなどありませんので、彼女の決定に従わないという発想はありませんでした。
それでも、今の暮らしは捨てられないよ。
せめて、あと数ヶ月待って欲しい...
母は念を押しました。
数ヶ月たてば、一緒に遠くに行ってくれると約束するね?
私たちは、大きな過ちをおかしました。母と約束したのです。一緒に行く、と。
母の怒りを恐れ、また目の前の生活を取り上げられないために、母と望まない約束をしてしまったのです。
私達は、ここで自分の意見を述べるべきだった、と長く後悔することになります。
2人を止めてあげるべきだった、と。
母は遠くに行く準備を始めました。
娘たちが来るから、家は大きめ。
今の家は売って、新しく買おう。
時間の経過と共に、父も母と同じ考えになっていたので、父も仕事を辞める決心をしました。
もう、止めることなど出来ませんでした。
私たちは従うしかない。
私たちのために、両親をがっかりさせてはいけない。
私たちのための犠牲を、無駄にしてはいけない...
しかし、私と姉は気づき始めます。
私たちには、自分の考えに従って生きる権利があるはずだ、と。
新しい土地を見学しに行き、そこが自分の土地ではないと、再確認すると、その想いは強くなりました。
ある日思い切って、大きなリスクをおかそうとしている父親に、自分たちの考えを伝えました。母は、そんな事話せる状態ではなかったので、父親に伝えました。
両親の間違いを指摘し、止めてあげることが、娘としての義務だと思ったからです。
しかし、父親の考えは、揺らぐことはありませんでした。
彼らにとって、その思想は100パーセント正しいことだったから。
そして、悟ります。
私と両親は、別の道に進み始めたんだな、と。
あんなに、離れることはないと思っていた心は、もう離れて、別の方向を向いてしまったんだな、と。
実際、1年間、その思想のため精神的バランスを崩していた母は、遠くに行くために、久しぶりに生き生きと生活を始めたのです。
これからは、自分の力で生きていかなければいけません。
親に甘える時代は、早くも終わりを遂げたのですから。
個人として、考えを持ち、しっかりと歩んでいかなければならないのです。
しかし、まだ私には一人で生きて行く力がありません。
今まで、どれだけ親に頼り、依存していたのか、痛感します。
別々の方向を向いて歩きだした今、じわじわと、心の溝は深くなっていきます。
肌でそれを感じるのです。
残り2カ月、寄り添い、思い出を作っていくべきなのか、離れる準備をするべきなのか、私にはわかりません。