生と死について
先程、愛知に住む祖父から連絡があった。祖父の兄が亡くなったという。いわゆる大叔父だ。小さい頃可愛がってもらったが、正直それほど近い親族というわけでもなく、「人はいずれ死んでしまうから、仕方ないな」と思う程度であった。
「俺が生きる意味はなんだろう」「なんのために生きるのだろう」大学3年になったあたりからポツポツと頭に浮かんできた。時折虚無感に支配される。正直俺一人がこの世から去ったところで、何の影響もない。親族が悲しむくらいだろう。そして時の流れと共に徐々に忘れられていく。
先日ダボス会議とやらがあったらしい。世界中の経営者や政治家、中心人物達が集まる会議だったようだ。もし彼らが一度に抹殺されてこの世からいなくなったとしても、何の変化もなく地球はありつづけるのだろう。
大伯父の死をきっかけに、死について少し調べた。そして一人の少女の話を見つけた。14歳にして、母が末期ガンだそうだ。両親は少女が幼い頃に離婚しており、少女の唯一の理解者だったらしい。「お母さんを死なせるなら、自分を代わりに死なせてくれ」そう仏様に願ったそうだ。結局後日母親は帰らぬ人になった。 涙が止まらなかった。最後に泣いたのがいつかも思い出せない俺だが、この時は止まらなかった。
生と死は全ての生物に平等。これは変えようのない事実。では生きる意味とはなんなんだろう。きっと意味などないのかもしれない。俺が死のうが生きようが、あなたが死のうが生きようが人類が繁栄しようが滅びようが意味なんて何もない、と俺は思う。
ただ残念なことに俺には死ぬ勇気すらない。ただ意味のない世界を生きるのみである。
ただ、一つ、人の生と死に意味があるならば、それは生と死が、人に物語として語りかけることではないか。幸か不幸か、人間はこうして下らないことをああでもない、こうでもないと考えることができる。
大叔父の死は、俺に生と死について語りかけてきた。少女の母親の死が、娘に語りかけた。俺の祖父も12で母を、18で父を亡くしたらしい。曽祖父母の死が、祖父に何かを語りかけた。もしかしたら俺の生や死が誰かに何かを語りかけるかもしれない。それだけで十分なのかもしれない。
先程、愛知に住む祖父から連絡があった。祖父の兄が亡くなったという。いわゆる大叔父だ。小さい頃可愛がってもらったが、正直それほど近い親族というわけでもなく、「人はいずれ死んでしまうから、仕方ないな」と思う程度であった。
「俺が生きる意味はなんだろう」「なんのために生きるのだろう」大学3年になったあたりからポツポツと頭に浮かんできた。時折虚無感に支配される。正直俺一人がこの世から去ったところで、何の影響もない。親族が悲しむくらいだろう。そして時の流れと共に徐々に忘れられていく。
先日ダボス会議とやらがあったらしい。世界中の経営者や政治家、中心人物達が集まる会議だったようだ。もし彼らが一度に抹殺されてこの世からいなくなったとしても、何の変化もなく地球はありつづけるのだろう。
大伯父の死をきっかけに、死について少し調べた。そして一人の少女の話を見つけた。14歳にして、母が末期ガンだそうだ。両親は少女が幼い頃に離婚しており、少女の唯一の理解者だったらしい。「お母さんを死なせるなら、自分を代わりに死なせてくれ」そう仏様に願ったそうだ。結局後日母親は帰らぬ人になった。 涙が止まらなかった。最後に泣いたのがいつかも思い出せない俺だが、この時は止まらなかった。
生と死は全ての生物に平等。これは変えようのない事実。では生きる意味とはなんなんだろう。きっと意味などないのかもしれない。俺が死のうが生きようが、あなたが死のうが生きようが人類が繁栄しようが滅びようが意味なんて何もない、と俺は思う。
ただ残念なことに俺には死ぬ勇気すらない。ただ意味のない世界を生きるのみである。
ただ、一つ、人の生と死に意味があるならば、それは生と死が、人に物語として語りかけることではないか。幸か不幸か、人間はこうして下らないことをああでもない、こうでもないと考えることができる。
大叔父の死は、俺に生と死について語りかけてきた。少女の母親の死が、娘に語りかけた。俺の祖父も12で母を、18で父を亡くしたらしい。曽祖父母の死が、祖父に何かを語りかけた。もしかしたら俺の生や死が誰かに何かを語りかけるかもしれない。それだけで十分なのかもしれない。