World heritage-古都奈良(薬師寺東塔)
#3 古都奈良の文化財【日本、1998年登録、自然遺産(ⅱ、ⅲ、ⅳ、ⅵ)】

 

僕は大阪出身で親戚の多くは奈良に住んでいるので、馴染みが深い。この世界遺産に登録されている文化財はどれも身近で当たり前のもので、それが世界遺産なのが少し上手く頭の中で消化できていない。ピラミッドやタージ・マハル、ウルル、エッフェル塔などなど。そんな超有名なものと同じものに登録されている。遠足とかでよく行ったのに。

しかし、そうは言っても、よくよく1つ1つを確認していくと、なかなかよく見えてくる。

いっぱいあるので、1つずつちょっとずつ。

A.東大寺

奈良の大仏(盧舎那仏)として有名。その盧舎那仏は金堂にある。二度の兵火により損傷があり、そのたびに修復されている。都は平城京。疫病や飢饉、大地震あるいは反乱により安定した時勢ではなかった。そういった社会不安を取り除く一環として、盧舎那仏は造立されたという。しかし、一説では、大仏造立時に大量の水銀を使用し、それが公害となって平城の都を蝕んだとも言われている。本末転倒。興味深い。

他にも、校倉造の正倉院、運慶・快慶作の南大門金剛力士立像は有名。

東大寺は古都奈良のシンボルと言える。

B.興福寺

五重塔が有名。現存するものでは京都の教王護国寺に次いで2番めの高さ。

C.元興寺

 蘇我馬子が立てた日本最古の仏教寺院である飛鳥寺の境内の一部を移築して創建された。

 極楽坊が有名。

D.薬師寺

 「東大寺さん」とか「興福寺さん」とかはいないのに、「薬師寺さん」は結構いたりする。なぜだろう?

 天武天皇が皇后の病気平癒を祈願して建立。日本で初めて天皇が皇后のために建てたロマンチックな寺である。

 中にある東塔は裳階(もこし)と呼ばれる屋根により、三重塔なのに六重塔に見える。重厚感と優美さが感じられる。アメリカの美術史家フェノロサが「凍れる音楽」と称えたらしい(写真)。

E.唐招提寺

 小学校・中学校の歴史の授業に出てきた。中国の鑑真という高僧が建てた。鑑真は六度目の渡航でようやく日本にたどりついた。その間に失明する。

 何がそこまで鑑真を駆り立てたのか。奈良の僧、栄叡(ようえい)、普照(ふしょう)らの熱心な招きを受けたからのようだ。その招きが彼をそこまで駆り立てたのかと考えると、鑑真が異常なまでに情に厚いのか、何か弱みを握られていたのか。

 鑑真が五度の渡航失敗をしている原因は難破もあるが、弟子たちの妨害が強かったという。妨害されるということは弟子たちは渡航に反対していたことになる。情に厚いなら、弟子たちの気持ちを汲んであげてもいいのにとも思う。

 「お師匠様、行かないでください。行くのなら、妨害しますよ」

 そんな風に忠告しても、それを押し切って鑑真が渡航する段になると船底に穴でも開けただろうか?あるいは、何も言わず、食糧をこっそり無くしておいたとか、船で体当たりをしてあからさまに妨害。いずれにせよ、結果、失明に至っているのだから弟子たちもやりすぎのように思う。でも、そもそも弟子が師匠の妨害をするという状況がよく分からない。弟子がそんなことをするのだろうかと思ってしまう。弟子たちにそんなことされる鑑真って…。

 何はともあれ、講堂前にある砂利敷きのゆったりした空間は心が落ち着く。

F.春日大社

 平安時代から19世紀に至るまで、20年毎に建て替えを行う式年造替の制度が厳密に守られていたのがすごい。

 春日大社のみではないが、そこが中心となって7月末~8月初旬にかけて開催される『燈火会(とうかえ)』は必見。一体に蝋燭が置かれ、幻想的な古都奈良の空間を演出してくれる。

G.春日山原始林

 春日大社が建てられた後、聖域に指定されたため手付かずの自然が残っている。

H.平城宮跡

 わずか80数年の都。唐の都長安などの都城をモデルとし、華やかな都だったと思う。当時の人々はここが未来永劫の都なのだ、と思ったに違いない。何かがあったのだ。僕は大仏造立時の水銀汚染説は結構有力だと思っている。過去には現在の人々がそんなことしないだろう、と当たり前に思っていることを、「大丈夫だろう」と言った見切り発車でまさかのことをしてしまっているんだと思う。

 

 かつて奈良盆地に日本の都があった。わずか80数年の間に文化が花開き、仏教色の濃い、数々の遺産が残った。

 僕の一番身近な世界遺産である