この3日間、下痢の症状がえげつなくて、食べれば、トイレと言う悲しいまでの症状で、限界です。もはや、ほんの数日前の健康だった自分ってどうだったのか忘れているほどです。今日の午後で、父親が買ってくれた中華丼を食べ、自分で買ったプリンを食べました。妻も、プリンを買ってきたくれました。これ、食事できないとどんな病気でも、後は、点滴か、胃に直接ですから、健康は大事です。まして、ベンゾジアゼピン約40年ですから、脳や体の誤作動は、人並み以上です。だから、やっぱり、親を恨むんでしょうね。大都会での適応障害、適応不安、そして、田舎の故郷へ、そこでのベンゾジアゼピンという抗不安剤、催眠薬との説明はない。親は、薬というものを、深く考えるもなく、特に、父は、無関心、、、親の無教育、無教養が生んだ悲劇です。もし、水俣病やイタイイタイ病やましてや、自分の弟が、多分、同じ薬で、会社辞めたことを知っていたのに、何故、少しでも、薬の内容を知ろうとしなかったのか。私には、分かりません。父は、そんな時代だったとか、それが普通だったとか、今でも、事の大きさがわからないでしょう。母も、色々、病院に連れて行ってくれましたが、それは、有り難かったのですが、やはり、薬のリスクは、わからなかったようです。特に、父は、自分が大事で、人はどうでもいいので、余計に、腹がたちます。所詮、年下の髪結いの亭主だったのでしょう。今でも、耳が聞こえなくなった母を、大声で、罵倒しています。結局、行き着くところはここなのです。私は、カミングアウトとして、家族全員に、薬の怖さを言いました。同時に、今の自分の事も、もう、私の家族に、私のような悲劇は不要です。父と母の、特に、父の家族を守るということとおかしい薬ならば自ら確認する教育と教養を、、、今更、遅いのです。