長い間、ベンゾジアゼピンだけを考えてきた。
デパス、セパゾン、一気断薬、簡単には、敗北、ゆっくり、減断薬も、やはり、敗北、現状は、休日モード、朝ワンセットで、ステイ。
先日も、書いたが、週末点滴も、今でこそ、何故か、無くなったが、約20年以上は、続いていた。
若い頃の会社勤務時は、朝、出社前、昼一のサンセット、最近の勤務時は、朝、出社前のツーセット、眼鏡のこだわり、ベンゾジアゼピンにまつわる心身の以上、内科通い、心療内科通い、ベンゾジアゼピンにまといつかれた人生だった。
そして、今思う。
家がない。
自分の家がない。
自分言えなら、妹が来ようが、妹の子供が来ようが、自分で、差配がふれる。
アメリカでは、まず、子供は、家を出ることから、考えるらしい。
映画でもそうだな。
同居も、高校まで、後は、地元から飛び出す。
まいった。本当の自立ができてなかった。
今更、遅いが、どうして、親といると、腹が立つか、わかる。
本来、ある意味、他人並みに、価値観違うもの。
なのに、お金は、共同活用、お盆と年末に、ボーナス無いのに、ボーナス分を、季節超えのために、渡す。
だから、腹が立つ。
結論、同居だから、腹が立つ。
私が、都会に疲れて、戻ってきた時、どう思ったんだろうか。
髪結いの亭主の父は、よく、宦官よろしく、耳元で、長男は田舎を継ぐようなことを、言っていたように思う。
今、難聴性認知症の母は、付き添って、病院に行ってくれたが、結局は、脳に異常は無かった。
最終的に、内科でのベンゾジアゼピンとの出会いが、地獄の黙示録になったんだ。
すべては、事故だとしておこう。
もらい事故もあるんだから。
しかしながら、本当は、違うよ、全く、普通にもらった薬が、悪魔の薬だったから。
でも、まずは良い。
事故で良い。
ただ、今は、同居の苦しみと煩わしさを、いやというほど、感じさせてもらっているので。
後は、宝くじぐらいかな。
ふーーーーーーーーーーーっと!