先日、不忍池のほとりにある横山大観記念館に行って参りました。
ビルの合間に建つ立派なお屋敷です。
これが旧・横山大観邸です。
大観画伯が実際に住んでいたお屋敷が記念館になっているんですよ。
以前から気になっていたのですが、月、火、水が休館日で、しかも入館は午後3時45分までで、4時には閉館ということもあり、なかなか行きたくても行けなかった場所だったんです。
ちょうど美術に詳しいお友達と話が合って急遽行くことになったのですが、想像していた以上に素晴らしい記念館でした。

大観画伯が、池之端に住み始めたのは明治42年なのだそうです。
東京大空襲の際、旧住居が焼失してしまい、画伯はしばらく熱海の別荘に移り住んでいたそうです。
その後、焼失した旧住居の土台をそのまま用いて新居が再建され、画伯は再び池之端に暮らしはじめ、90歳で亡くなるまで住み続けた場所でもあるそうです。

今回、何に感動したかというと、画伯の作品はもちろんなのですが…京風数寄屋造りの建物と日本庭園の素晴らしい景色に感動しました。

鑑賞し終わった後、スタッフさんのお話しで、画伯が建築の勉強もされていたそうで、建て直しの際、画伯自ら設計しデザインした建物だということを知り、大変驚きました。さすが横山大観画伯!となった建物でした♪

先ずは門を入って玄関に至るまでにも奥ゆかしい美意識を感じるような庭があり、玄関で靴を脱いで中に入ると、廊下を曲がってすぐの所に建物を取り囲むような中庭があり、続いて客間へ…。

階段を2,3段登って客間へ…。
客間がガラス張りになっていたのですが、このガラスは、当時の日本には無いサイズの大きさで、画伯がわざわざ海外から輸入したガラスなのだそうです。

庭に張り出した客間から見えた日本庭園のあまりの素晴らしさに、お友達と言葉を失い…自然と座り込んで、すっかりくつろいでしまいました。(この客間で一泊したいと思ったくらい♪(笑))

日本庭園には、石や燈籠などが置かれ、桜、紅葉、やまぶき、梅…数々の木々が植えられており、画伯はきっとここから庭園を眺め、四季折々の緑や花で季節を楽しまれていたんだろうな~ということを感じました。

客間が数段高い位置に建てられたのにもわけがあって、高い所から日本庭園を見渡せるように…他の部屋から違う角度楽しめるようにという画伯の想いから、このような設計がされたそうです。画伯のこだわりが感じられました。

客間の床の間には、画伯の描いた軸装の作品。
美術館で大観画伯の作品が展示される場合、ケースに納められているのが当たり前で、作品の周りに警備員&監視もたくさんいるわけですが…。ケースにも入っていない画伯の作品が床の間に飾られ、最初は本物なの?と友達と落款を確かめてしまったほど…。(笑)もちろん、本物の作品でしたよ。

客間の他にも、アトリエで使っていたお部屋も公開されており、画伯がお使いになっていた画材も置かれておりました。

二階の部屋からは不忍池が見渡せ、下には建物の中庭も見えていました。(不忍池の真ん中にはスカイツリーが見えていました。まるでスカイツリーが建つ将来の景色まで見えていたような…美的センス♪(笑))

二階の部屋の床の間に飾られていたのは、画伯の未完の作品でした。
これは、静子夫人が勿体ないという想いから、残しておいた作品なのだそう…。落款が押されていないことからも画伯は満足いかなかったのでしょうけど、私にはどこが未完なのか?さっぱりわからないくらい素晴らしい作品でした。

展示品は大観画伯の作品だけでなく、画伯と親交の深かった画家の作品も展示されていました。

スタッフさんのお話しによると、画伯は自然の光の中でしか絵を描かなかったそうで、朝早く起きて絵を描きはじめ、夕方くらいまでしか描かなかったそうです。
このことをお聞きし、この記念館の閉館時間が早いことに納得しました。自然の光が部屋に差し込む時間帯…この時間に、床の間に飾られている作品を鑑賞して欲しいということなんでしょうね♪それが、画伯の想いでもあるように受け取りました。

自然を愛し、一期一会の一瞬の姿を描き続けた大観画伯の想いを感じることのできる、素晴らしい記念館でした。ますます、画伯の作品が好きになりました。
次に訪れる時は、桜の咲く春の季節がいいな~と思いました♪

お・ま・け♪
横山大観記念館内では撮影が許されておりませんでしたので…。
横山大観「霊峰富士」
大手町にある読売新聞東京本社ビル内に飾られている作品です。
お気に入りのミュージカル俳優さんが、この読売新聞本社内にあるよみうり大手町ホールでよく公演をされるので、そのご縁で出会うことができました。
最初によみうり大手町ホールを訪れた時から、「横山大観の作品だ…」と、富士の雄大さと作品の大きさ(縦2.5m×横4.5m)に圧倒されて、釘づけとなった作品です♪