本日は、両国にある江戸東京博物館で開催中のNHK大河ドラマ特別展『軍師 官兵衛』に行って参りました。
毎週、楽しみに観ている大河ドラマ『軍師 官兵衛』。
今週は、「心頭滅却すれば火もまた自ずから涼し」。あの有名な言葉を残して、焼き討ちでお亡くなりになった臨済宗の快川紹喜和尚の話が登場していました。快川紹喜和尚は、織田信長の甲斐攻めにおいて、信長に敵対した六角義治を匿った事から怒りを買い、寺ごと焼き討ちにされました。
快川紹喜和尚といえば、武田信玄に招かれた恵林寺の住職で、武田信玄の風林火山の旗の文字を書いたのが快川紹喜和尚といわれています。信玄が好きなので、今週は観ていて辛いものがありました。(2006年の大河『風林火山』は、もちろん皆勤賞でした♪(笑))
来週6日の『軍師 官兵衛』は、高松城の水攻め。(今発売の「ステラ」に特集記事が載ってます。12日もかけて撮影したことが書かれています。)
そして、13日はいよいよ本能寺の変・・・と、今、大河がとても面白いところなんです♪
このタイミングで『軍師 官兵衛』展に行くことができて良かったと思いました。
展示品の中には、貴重な甲冑や太刀などがありました。官兵衛といえば、歴史ファンには、甲冑がたまらないでしょう♪(私的には、後半に展示されていた、真っ黒な黒田継高所用の甲冑がかっこいいと思いました。)レプリカですけど、官兵衛の兜もありましたよ。
★冒頭「プロローグ」から第一章「播磨に生まれ」
官兵衛は薩摩国(兵庫県)姫路藩主黒田職隆の長男として生まれ、若くして薩摩国御着城の城主小寺家の家老の座に就きました。
当時、小寺家は織田家と毛利家に挟まれており、官兵衛は、その戦乱の最中にありながら、先見の明をもって織田家に属するよう道筋をつけ、羽柴秀吉に出会いました。
★第二章「有岡城幽閉」
有岡城の荒木村重に幽閉されるという危機をも乗り切り、信長、秀吉の天下統一を支えた官兵衛。5月下旬から2週間に渡り放送された幽閉のシーン。官兵衛役の岡田さんがダイエットもされて臨んだという・・・感動的なシーンでしたよね。
官兵衛が幽閉されている間、家臣が結束を物語る文書が展示されていました。
★第三章「秀吉を天下人に」
そして、今月放送される本能寺の変ですが・・・。本能寺の変に際しては、悲嘆にくれる秀吉を励まし、天下人への扉を開いたともいわれています。
また、これから先の放送になりますが、小田原攻め。
1590年の小田原攻めにも参戦し、北条氏直の降伏に際して奔走し、合戦を終わりへと導きました。
黒田家に伝えられた北条白貝や日光一文字の太刀がありました。これらは、降伏の時のお礼として、北条氏直から贈られたものと伝えられているそうです。
★第四章「如水となりて」
その後、官兵衛は朝鮮出兵を経て、関ヶ原の戦いをも戦い抜き、黒田家を福岡藩52万石の大名にまで成長させました。
天下を統一した秀吉は朝鮮に出兵します。官兵衛は、肥前名護屋城と朝鮮半島を往き来しましたが、無断で帰国した事が秀吉の逆鱗に触れ、またまた第二の危機・・・死を覚悟するまでに追い込まれます。その際に、長政に宛てた直筆の遺言状も展示されていました。そこには、跡継ぎや家臣の扱い、黒田家が直面する問題について書かれていました。
秀吉から警戒されていることを敏感に察知した官兵衛は、隠居を申し出て、出家して黒田如水となりました。
秀吉も力のある者を恐れ、千利休に切腹を命じていますからね。官兵衛は、自分自身のことより、息子の長政や家臣のこと・・・先の先まで考えて、早々に隠居したように思います。
「如水」と称した理由としては・・・理想的な生き方とは、水のようなものであると考えていて・・・。水は高いところから低いところに向かって自然に流れ、そして水は丸い容器には丸く、角なものには角となり常に器に応じて変化していくように、理想的な人生はまさに水の如く我欲もなくただ自然の摂理に従って生きてゆくこと・・・。これ、「100分 de 名著」の『孫子』の特集にも出てきていました。理想の軍の姿は「水」♪官兵衛が、その孫子の内容を知っていて、「如水」と称した可能性はかなり高いですね。
★第五章「文雅のたしなみ」
最後の章では、官兵衛が、和歌・連歌、茶の湯を愛した文化人でもあるということから、官兵衛と親交の深かった千利休にまつわる品や、官兵衛に関わる文芸作品として、古今伝授の継承・細川幽斎から贈られた「六家抄」、「新古今集聞書」などが展示されていました。
その他、印象に残ったのは、竹中半兵衛にまつわる品も展示されていたこと・・・。
以前から、このブログに書いてきたように、私は軍師が大好きで、その中でも半兵衛はとても好きな軍師なんです。
半兵衛と官兵衛、ともに「両兵衛」と称されていた2人。
軍師の説明書きのところに、「戦時戦場において、状況を見極め吉凶を占い、見方に勝利をもたらすように、種々の儀礼を司る軍事故実に長けた技能者はこれまでも陣中では必要であった。しかし、官兵衛に代表される軍事体裁の言葉と運営を遂行する参謀としての総合的なマネージメント能力が織豊期の陣営には強く求められた。当時軍師という正規の職掌があったわけではないが、難解な政治判断の諮問をうけ、最高の解決策の判断を行える人物が希求された時代。荒波に奔走される中、一筋の光明を指し示す羅針盤のように、軍師の冷静な手腕がその後の命運を大きくした。秀吉を天下人に導いた要件に、『三国志』の諸葛孔明に理想の軍事像を重ね合わせる竹中半兵衛とともに官兵衛の発案する現実的で当意即妙の献策は欠かせななかったと言える。」ということが書かれていました。
半兵衛も官兵衛も、先の先まで読める力を持っていただけでなく、お人柄が優れていた方。
荒木村重によって有岡城に監禁された官兵衛ですが、信長は官兵衛の謀反と判断して、人質である嫡男・松寿丸の処刑を命じました。しかし、半兵衛は、官兵衛のことを信じ、信長の命に背き、松寿丸を密かに自身の居城に匿った方。大河の中で、半兵衛が松寿丸を匿った時、私はもう先が短いから、どうなってもかまわない・・・というような言葉に涙、涙となりました。半兵衛は、非常に温厚なお人柄だったそうです。
官兵衛も、人を大切にした、素晴らしいお人柄だった方。
戦いにおいて、相手への説得を重んじ、立場は違っても、お互い人間だから真摯に話し合えば分かり合えるはず・・・戦に及んだ場合でも相手を殲滅しようとはせず、敵将が降伏すれば兵は許し・・・命を救われた者は喜んで官兵衛の下で働きました。
「人は殺すよりも生かして使え」という考えだった方。
最後の部屋には、官兵衛の辞世の句が展示されていました。
「思いおく 言の葉なくて ついに行く 道は迷はじ なるにまかせて」
先の先まで見通した官兵衛の先見の明、時に冷徹な道を選ぶこともありながら・・・。
59年の生涯に思い残すことは何もない・・・世を達観した心境がうかがえる句です。
自分自身もそうでありたい・・・と思える句でした。
実際に官兵衛ゆかりの品々や、同時代の歴史資料などを目にすることができ、今後の大河の予習と復習も同時にできて、これからの展開がますます楽しみになりました。
この展覧会は、江戸東京博物館で13日(日)まで開催されています。
そして、今夜の『歴史秘話ヒストリア』で、大河『軍師 官兵衛』に関連する番組が放送されます。
軍師官兵衛を支えた「黒田二十四騎」について放送されます♪(展覧会でも「黒田二十四騎」について紹介されていました。)
★『歴史秘話ヒストリア』 7月2日(水)22:30~23:13(NHK総合)
いつだってみんなのヒーロー ~官兵衛を支えた24人の男たち~
※今夜は、いつもと放送時間が違うので要注意です♪
22:00から「2014FIFAワールドカップ デイリーハイライト」で、決勝トーナメント1回戦、アルゼンチン×スイス、ベルギー×アメリカの2試合のハイライトが放送されるそうなので、そちらを観て、その後『歴史秘話ヒストリア』♪
来週の『歴史秘話ヒストリア』も大河に関連して、来週は本能寺だそうです!楽しみです♪ヒストリアで予習をしてから大河を観れば、きっとバッチリですね♪
☆来週の『歴史秘話ヒストリア』 7月9日(水)22:00~22:43 NHK総合
本能寺の変 ~ヒストリア探偵VS.戦国最大の未解決事件~
毎週、楽しみに観ている大河ドラマ『軍師 官兵衛』。
今週は、「心頭滅却すれば火もまた自ずから涼し」。あの有名な言葉を残して、焼き討ちでお亡くなりになった臨済宗の快川紹喜和尚の話が登場していました。快川紹喜和尚は、織田信長の甲斐攻めにおいて、信長に敵対した六角義治を匿った事から怒りを買い、寺ごと焼き討ちにされました。
快川紹喜和尚といえば、武田信玄に招かれた恵林寺の住職で、武田信玄の風林火山の旗の文字を書いたのが快川紹喜和尚といわれています。信玄が好きなので、今週は観ていて辛いものがありました。(2006年の大河『風林火山』は、もちろん皆勤賞でした♪(笑))
来週6日の『軍師 官兵衛』は、高松城の水攻め。(今発売の「ステラ」に特集記事が載ってます。12日もかけて撮影したことが書かれています。)
そして、13日はいよいよ本能寺の変・・・と、今、大河がとても面白いところなんです♪
このタイミングで『軍師 官兵衛』展に行くことができて良かったと思いました。
展示品の中には、貴重な甲冑や太刀などがありました。官兵衛といえば、歴史ファンには、甲冑がたまらないでしょう♪(私的には、後半に展示されていた、真っ黒な黒田継高所用の甲冑がかっこいいと思いました。)レプリカですけど、官兵衛の兜もありましたよ。
★冒頭「プロローグ」から第一章「播磨に生まれ」
官兵衛は薩摩国(兵庫県)姫路藩主黒田職隆の長男として生まれ、若くして薩摩国御着城の城主小寺家の家老の座に就きました。
当時、小寺家は織田家と毛利家に挟まれており、官兵衛は、その戦乱の最中にありながら、先見の明をもって織田家に属するよう道筋をつけ、羽柴秀吉に出会いました。
★第二章「有岡城幽閉」
有岡城の荒木村重に幽閉されるという危機をも乗り切り、信長、秀吉の天下統一を支えた官兵衛。5月下旬から2週間に渡り放送された幽閉のシーン。官兵衛役の岡田さんがダイエットもされて臨んだという・・・感動的なシーンでしたよね。
官兵衛が幽閉されている間、家臣が結束を物語る文書が展示されていました。
★第三章「秀吉を天下人に」
そして、今月放送される本能寺の変ですが・・・。本能寺の変に際しては、悲嘆にくれる秀吉を励まし、天下人への扉を開いたともいわれています。
また、これから先の放送になりますが、小田原攻め。
1590年の小田原攻めにも参戦し、北条氏直の降伏に際して奔走し、合戦を終わりへと導きました。
黒田家に伝えられた北条白貝や日光一文字の太刀がありました。これらは、降伏の時のお礼として、北条氏直から贈られたものと伝えられているそうです。
★第四章「如水となりて」
その後、官兵衛は朝鮮出兵を経て、関ヶ原の戦いをも戦い抜き、黒田家を福岡藩52万石の大名にまで成長させました。
天下を統一した秀吉は朝鮮に出兵します。官兵衛は、肥前名護屋城と朝鮮半島を往き来しましたが、無断で帰国した事が秀吉の逆鱗に触れ、またまた第二の危機・・・死を覚悟するまでに追い込まれます。その際に、長政に宛てた直筆の遺言状も展示されていました。そこには、跡継ぎや家臣の扱い、黒田家が直面する問題について書かれていました。
秀吉から警戒されていることを敏感に察知した官兵衛は、隠居を申し出て、出家して黒田如水となりました。
秀吉も力のある者を恐れ、千利休に切腹を命じていますからね。官兵衛は、自分自身のことより、息子の長政や家臣のこと・・・先の先まで考えて、早々に隠居したように思います。
「如水」と称した理由としては・・・理想的な生き方とは、水のようなものであると考えていて・・・。水は高いところから低いところに向かって自然に流れ、そして水は丸い容器には丸く、角なものには角となり常に器に応じて変化していくように、理想的な人生はまさに水の如く我欲もなくただ自然の摂理に従って生きてゆくこと・・・。これ、「100分 de 名著」の『孫子』の特集にも出てきていました。理想の軍の姿は「水」♪官兵衛が、その孫子の内容を知っていて、「如水」と称した可能性はかなり高いですね。
★第五章「文雅のたしなみ」
最後の章では、官兵衛が、和歌・連歌、茶の湯を愛した文化人でもあるということから、官兵衛と親交の深かった千利休にまつわる品や、官兵衛に関わる文芸作品として、古今伝授の継承・細川幽斎から贈られた「六家抄」、「新古今集聞書」などが展示されていました。
その他、印象に残ったのは、竹中半兵衛にまつわる品も展示されていたこと・・・。
以前から、このブログに書いてきたように、私は軍師が大好きで、その中でも半兵衛はとても好きな軍師なんです。
半兵衛と官兵衛、ともに「両兵衛」と称されていた2人。
軍師の説明書きのところに、「戦時戦場において、状況を見極め吉凶を占い、見方に勝利をもたらすように、種々の儀礼を司る軍事故実に長けた技能者はこれまでも陣中では必要であった。しかし、官兵衛に代表される軍事体裁の言葉と運営を遂行する参謀としての総合的なマネージメント能力が織豊期の陣営には強く求められた。当時軍師という正規の職掌があったわけではないが、難解な政治判断の諮問をうけ、最高の解決策の判断を行える人物が希求された時代。荒波に奔走される中、一筋の光明を指し示す羅針盤のように、軍師の冷静な手腕がその後の命運を大きくした。秀吉を天下人に導いた要件に、『三国志』の諸葛孔明に理想の軍事像を重ね合わせる竹中半兵衛とともに官兵衛の発案する現実的で当意即妙の献策は欠かせななかったと言える。」ということが書かれていました。
半兵衛も官兵衛も、先の先まで読める力を持っていただけでなく、お人柄が優れていた方。
荒木村重によって有岡城に監禁された官兵衛ですが、信長は官兵衛の謀反と判断して、人質である嫡男・松寿丸の処刑を命じました。しかし、半兵衛は、官兵衛のことを信じ、信長の命に背き、松寿丸を密かに自身の居城に匿った方。大河の中で、半兵衛が松寿丸を匿った時、私はもう先が短いから、どうなってもかまわない・・・というような言葉に涙、涙となりました。半兵衛は、非常に温厚なお人柄だったそうです。
官兵衛も、人を大切にした、素晴らしいお人柄だった方。
戦いにおいて、相手への説得を重んじ、立場は違っても、お互い人間だから真摯に話し合えば分かり合えるはず・・・戦に及んだ場合でも相手を殲滅しようとはせず、敵将が降伏すれば兵は許し・・・命を救われた者は喜んで官兵衛の下で働きました。
「人は殺すよりも生かして使え」という考えだった方。
最後の部屋には、官兵衛の辞世の句が展示されていました。
「思いおく 言の葉なくて ついに行く 道は迷はじ なるにまかせて」
先の先まで見通した官兵衛の先見の明、時に冷徹な道を選ぶこともありながら・・・。
59年の生涯に思い残すことは何もない・・・世を達観した心境がうかがえる句です。
自分自身もそうでありたい・・・と思える句でした。
実際に官兵衛ゆかりの品々や、同時代の歴史資料などを目にすることができ、今後の大河の予習と復習も同時にできて、これからの展開がますます楽しみになりました。
この展覧会は、江戸東京博物館で13日(日)まで開催されています。
そして、今夜の『歴史秘話ヒストリア』で、大河『軍師 官兵衛』に関連する番組が放送されます。
軍師官兵衛を支えた「黒田二十四騎」について放送されます♪(展覧会でも「黒田二十四騎」について紹介されていました。)
★『歴史秘話ヒストリア』 7月2日(水)22:30~23:13(NHK総合)
いつだってみんなのヒーロー ~官兵衛を支えた24人の男たち~
※今夜は、いつもと放送時間が違うので要注意です♪
22:00から「2014FIFAワールドカップ デイリーハイライト」で、決勝トーナメント1回戦、アルゼンチン×スイス、ベルギー×アメリカの2試合のハイライトが放送されるそうなので、そちらを観て、その後『歴史秘話ヒストリア』♪
来週の『歴史秘話ヒストリア』も大河に関連して、来週は本能寺だそうです!楽しみです♪ヒストリアで予習をしてから大河を観れば、きっとバッチリですね♪
☆来週の『歴史秘話ヒストリア』 7月9日(水)22:00~22:43 NHK総合
本能寺の変 ~ヒストリア探偵VS.戦国最大の未解決事件~