8月上旬にも書きましたが、先月の日経新聞『私の履歴書』に、小泉淳作画伯の記事が連載されていました。
一ヶ月、読ませて頂き、私が知らなかったことがたくさんあって驚きました。
東大寺の襖絵を描いた時、ヘルニアでひどい腰痛に悩まされていたことは知っていましたが、実は初期の胃がんも見つかっていたとのこと。東大寺の方々に心配をおかけしないように、2週間入院して開腹せずに切除されていたそうです。驚きました!
昨年行われた展覧会で、画伯の描いた東大寺の襖絵を観させて頂き、銘も印も入っていない作品に驚きましたが、画伯が病を患いながらそこまでして、命がけで一筆入魂の思いを抱きながら描いていらしたことを知り、胸が熱くなりました。(画伯は、印を入れなかったことを、後世の人たちが名もない平成の絵師の仕事だと思ってくれればいいのだ・・・と書かれていました。)
東大寺の襖絵が完成した時にも、仕上がってまずわき上がったのが、支えてくださった方々への感謝の気持ちだったそうです。
どうして、ここまで謙虚な姿勢で描くことができるのか?本当に素晴らしい方だと思っていましたが、その陰には、人知れず苦労を経験されてきていて、そのことが影響しているように思われました。
小説家に憧れて、慶応義塾大学の予科のフランス文学を専攻しながら、画家を志して東京美術学校(現:東京芸術大学)の日本画科に編入。学徒出陣で兵隊に取られながら、結核に見舞われ復員し、療養を終えて復学し、やっと卒業できたのは27歳の時・・・。その後も画家としては食べていけず、副業の商業デザインや陶芸を手掛けて、53歳の時に、山種美術館賞展で優秀賞という、長い画家生活で初めて賞を受賞・・・。60歳・・・還暦を過ぎて、ようやく絵が売れ出したそうです。
その後、多くの方に支えられ、またご縁もあり、建長寺の「運龍図」、建仁寺法堂の「双龍図」、そして東大寺の襖絵を描いたことは知られていると思いますが、60歳までの長い道のりを今回知ることができました。
読ませて頂き、恩師、先輩、知人、友人・・・画伯を支えた多くの方たちとの交流について書かれていましたが、その文章から、その方たちへの感謝の思いや縁を大切にされてきたことが伺えました。
今回の記事の中で、画伯を支えた方のお言葉で、胸に響く言葉がたくさん載っていたので、ここで紹介しておきます。
中川一政氏の言葉
「人生は長距離ランナーでなければいけないよ」
福沢諭吉氏の言葉
「死にいるまで老いるなかれ(死に至るまで老いることなかれ)」
武谷三男氏の言葉
「人生は妥協の連続ですよ。人は妥協しなければ生きていけません。でもね、ひとつだけ妥協しないものを持たなくちゃね。」
言葉は載っていませんでしたが、私の尊敬する平山郁夫画伯とも仲が良く、よくチャップリンの映画を一緒に観に行っていたそうです。まさか、お友達だったとは存じませんでした。とても嬉しく思いました♪
最後に、8月31日の最終日の記事から。
好きな絵だけを頑固に自分なりのスタイルで描いてきた。私だけの、私しかできない仕事をしてきた。そういう流儀で息絶えるまで細々と描き続けよう。
何だかしょぼくれた話になった。締めくくりに画家を目指す若者たちにメッセージを贈りたい。絵は技量がすべてではない。憧れや畏敬や哲学を持て。自分の絵を追い求めろ。
小泉淳作画伯86歳・・・。誰にも真似できない小泉画伯の人生哲学が、たくさん詰まった履歴書でした。
今月の『私の履歴書』は、元伊藤忠商事会長の室伏稔氏の記事です。
昨日の記事に「為せば成る」(Nothing is impossible)という言葉が載っていました。(「為せば成る」、私も好きな言葉ですが、英語で表すと日本語より強い響きと決意を感じされる言葉になることを知りました。)
今月の『私の履歴書』からも学ぶことが多いと思います。楽しみです♪