27日(火)に、ETV特集『フジコ~あるピアニストの軌跡~』が放送されました。
1999年2月に放送された、ピアニストのフジコ・ヘミングさんのドキュメンタリー番組の再放送でした。
放送後には日本中でフジコブームが起こるほどの影響を与えた番組でした。
実は、たまたま、この番組のディレクターが、フジ子・ヘミングさんのお知り合いの方とお友達で、この番組を放送する流れとなったそうです。もし、この番組が放送されなかったら、今のように、フジ子・ヘミングさんは、世の中には知られていなかったかもしれません・・・と放送されていました。
この番組は、フジ子さんから話すのを待ちながら収録がされたそうです。まるで、お友達との会話のようで、自然体で話すフジ子さんが見られました。東京・下北沢で、9匹の猫と暮らす、日常風景が放送されていました。
《番組内で演奏されていた曲》
「ハンガリアン・ラプソディー」 リスト
「ノクターン(夜想曲)」 ショパン
「月光」 ベートーヴェン
「ラ・カンパネラ」 リスト
素晴らしい演奏とともに、フジ子さんの奇蹟が紹介されていました。
過去を振り返りながら、その時々の出来事を語るフジ子さん・・・。
フジ子さんは、幼い頃、ピアノ教師であった母親から厳しいレッスンを受けてピアノを習ったそうです。
その時のお母さんのピアノを現在も大切にされているそうです。
夜が訪れると、静かにピアノと向き合うフジ子さん・・・。
物思いにふけりながら弾くのが好きなのだそうです。
30歳でベルリンに留学したフジ子さん・・・。決して、早いスタートではありませんでした。
しかし、世界的な音楽家である、あのバーンスタインがフジ子さんの才能に注目!
バーンスタインの前で演奏した時、バーンスタインが目を輝かして喜んで、私を抱いてキスしてくれた・・・とフジ子さんは嬉しそうに語っていました。
ソリストとして活躍し始めるフジ子さん。
小鳥がさえずるかのように美しく軽やかに奏でる演奏は、「リストを弾く為に生まれてきたピアニスト」と絶賛されます。
しかし、人生を狂わせる不幸が突然襲います。
リサイタルの直前に、風邪で全く耳が聞こえなくなってしまいます。
演奏会の予定は全てキャンセル・・・。次第に音楽界から忘れ去られてしまいます。
耳の聞こえない2年間に、多くのチャンスを失った・・・。まるで地獄だった・・・。
思い出したくもない・・・と語るフジ子さん。
耳の治療に専念しましたが、方耳だけが40%回復しただけだったそうです。
音を失ったフジ子さんにとって、絵を描くことだけが救いだったそうです。
でも、日本へは帰ろうとは思わなかったそうです。
「ここで帰ったら、負けだと思った」と語るフジ子さん。
それから、およそ30年、ヨーロッパの各地で演奏活動を続けて、この番組を収録した時は、日本に帰ってきて4年目の時だったそうです。
沢山の素敵なお話をされていましたが・・・。特に印象に残った言葉は・・・。
「若い時って、なんにもわからないで弾いているからさ、だんだん、わかってくるからさ。
自分がどうやって弾きたいか、わかってくるからさ。
私の場合は、ひとつ、ひとつ、音に色を付けるように弾くからさ・・・。」
最後に演奏されたリストの「ラ・カンパネラ」が、また素晴らしかったです!
ラ・カンパネラは、イタリア語で、「鐘」という意味。
ひとつ、ひとつ、音に色を付けるように奏でたい・・・とおっしゃっていたフジ子さんの言葉と、鐘を鳴らすように響く音色・・・。世の中に色んな人がいて、その人達のそれぞれの人生を称えて鐘を鳴らすように、音に色をつけて奏でているような・・・そんなことを想像しながら聴きました。
フジ子さんのピアノの音色は、なんて綺麗な音なんでしょう・・・。優しい音なんですよね・・・。
ピアニストとしてのこだわりを持ち続けた、フジコ・ヘミングさんの人生を描いた素敵な番組でした。
フジコ・ヘミングさんが奏でるリストの「ラ・カンパネラ」です。
1999年2月に放送された、ピアニストのフジコ・ヘミングさんのドキュメンタリー番組の再放送でした。
放送後には日本中でフジコブームが起こるほどの影響を与えた番組でした。
実は、たまたま、この番組のディレクターが、フジ子・ヘミングさんのお知り合いの方とお友達で、この番組を放送する流れとなったそうです。もし、この番組が放送されなかったら、今のように、フジ子・ヘミングさんは、世の中には知られていなかったかもしれません・・・と放送されていました。
この番組は、フジ子さんから話すのを待ちながら収録がされたそうです。まるで、お友達との会話のようで、自然体で話すフジ子さんが見られました。東京・下北沢で、9匹の猫と暮らす、日常風景が放送されていました。
《番組内で演奏されていた曲》
「ハンガリアン・ラプソディー」 リスト
「ノクターン(夜想曲)」 ショパン
「月光」 ベートーヴェン
「ラ・カンパネラ」 リスト
素晴らしい演奏とともに、フジ子さんの奇蹟が紹介されていました。
過去を振り返りながら、その時々の出来事を語るフジ子さん・・・。
フジ子さんは、幼い頃、ピアノ教師であった母親から厳しいレッスンを受けてピアノを習ったそうです。
その時のお母さんのピアノを現在も大切にされているそうです。
夜が訪れると、静かにピアノと向き合うフジ子さん・・・。
物思いにふけりながら弾くのが好きなのだそうです。
30歳でベルリンに留学したフジ子さん・・・。決して、早いスタートではありませんでした。
しかし、世界的な音楽家である、あのバーンスタインがフジ子さんの才能に注目!
バーンスタインの前で演奏した時、バーンスタインが目を輝かして喜んで、私を抱いてキスしてくれた・・・とフジ子さんは嬉しそうに語っていました。
ソリストとして活躍し始めるフジ子さん。
小鳥がさえずるかのように美しく軽やかに奏でる演奏は、「リストを弾く為に生まれてきたピアニスト」と絶賛されます。
しかし、人生を狂わせる不幸が突然襲います。
リサイタルの直前に、風邪で全く耳が聞こえなくなってしまいます。
演奏会の予定は全てキャンセル・・・。次第に音楽界から忘れ去られてしまいます。
耳の聞こえない2年間に、多くのチャンスを失った・・・。まるで地獄だった・・・。
思い出したくもない・・・と語るフジ子さん。
耳の治療に専念しましたが、方耳だけが40%回復しただけだったそうです。
音を失ったフジ子さんにとって、絵を描くことだけが救いだったそうです。
でも、日本へは帰ろうとは思わなかったそうです。
「ここで帰ったら、負けだと思った」と語るフジ子さん。
それから、およそ30年、ヨーロッパの各地で演奏活動を続けて、この番組を収録した時は、日本に帰ってきて4年目の時だったそうです。
沢山の素敵なお話をされていましたが・・・。特に印象に残った言葉は・・・。
「若い時って、なんにもわからないで弾いているからさ、だんだん、わかってくるからさ。
自分がどうやって弾きたいか、わかってくるからさ。
私の場合は、ひとつ、ひとつ、音に色を付けるように弾くからさ・・・。」
最後に演奏されたリストの「ラ・カンパネラ」が、また素晴らしかったです!
ラ・カンパネラは、イタリア語で、「鐘」という意味。
ひとつ、ひとつ、音に色を付けるように奏でたい・・・とおっしゃっていたフジ子さんの言葉と、鐘を鳴らすように響く音色・・・。世の中に色んな人がいて、その人達のそれぞれの人生を称えて鐘を鳴らすように、音に色をつけて奏でているような・・・そんなことを想像しながら聴きました。
フジ子さんのピアノの音色は、なんて綺麗な音なんでしょう・・・。優しい音なんですよね・・・。
ピアニストとしてのこだわりを持ち続けた、フジコ・ヘミングさんの人生を描いた素敵な番組でした。
フジコ・ヘミングさんが奏でるリストの「ラ・カンパネラ」です。