11日(日)の『日曜美術館』は、横尾忠則さんの特集でした。
絵画、デザイン、映画、演劇、文学、ジャンルの枠を超えて、半世紀に渡り時代をリードされてきた横尾さん。
若い頃は、直感やひらめきで絵を描いてきたそうですが、最近は直感やひらめきが出てこなくなり・・・。
日々の暮らしの身近なものに、目が向けられるようになってきたそうです。
いつまでも少年の五感でもって、物を見たい・・・と横尾さんは語っていました。
横尾さんは、グラフィックデザイナーとして活躍され、45歳の時、画家宣言をされました。
そこから、自由に描けるということが、主題を持たない、様式を持たない・・・スタイルになり・・・。
芸術作品を創ることをやめる。
絵を完成させない。
こだわりをとことん捨てる。
その自由な発想スタイルが、多様な表現を生み出してきたそうです。
私が好きな横尾さんの作品のひとつに、『Y字路』があります。
『Y字路』は、人生の選択を表しているような感じがします。
横尾さんは、同じモチーフを繰り返し描いてきました。
そのY字路が溶け始め、まわりの風景と同化し始めたそうです。
それは、横尾さんの中の時間が溶け始めたからなのだそうです。
かつて三島由紀夫さんが、横尾さんに「俺には、無意識はない!」とおっしゃったそうです。
絵は意識と無意識のコラボレーションで、若い頃は、一線引かれていたものが、一線が外れて溶け始めたのだそうです。
また、横尾さんは、夢日記を書いているのだそうです。番組の中で、日記の中身も紹介されていました。
夢に表れる無意識と意識の世界を、日記に書き続けているそうです。
最近の横尾さんの夢は、日常生活に近いものなのだそうです。
司会をされている姜尚中さんが、「自我が溶け出していくと、自分がどうなるのか怖い。それを自分が受け入れていくということでしょうか?」とおっしゃっていたけれど、とても深いお話をされていました。
最近の横尾さんは、日々、メダカを観察しているそうです。
ご自宅の書斎かな?水槽が置かれていました。シナリオのないお芝居を観ているようで楽しいそうです。
「全身全霊で泳いでいるメダカ・・・。私は、そんな人間をまだ見た事がない・・・。」と語る横尾さん。
少年の頃、メダカを飼っていて、その少年の頃に気持ちが戻ろうとしているそうです。
“自分の中に少年の心が残っていることを確認する作業”を行っているそうです。
日々感じた事を横尾さんは、HPの日記で書かれています。
横尾忠則さんのHP
http://www.tadanoriyokoo.com/index.html
この番組のための取材は、10月9日、放送日2日前に行われたことが判明!そんなにギリギリに収録されていたなんて・・・。ビックリ!
日経新聞連載中の瀬戸内寂聴さんのエッセイ『奇縁まんだら』の挿絵の仕事に関しても、日記に書かれていました。
横尾さんは日記の中でも、自分の気持ちを詳細に書いていて・・・。作品、日記・・・。日々、自分と向き合っている方だということが、とてもよくわかります。
横尾さんが、「僕の知らない自分を知ることが出来るのは、創作の中だけ・・・。」と、おっしゃっていました。
まだまだ発見しきれていない自分があって、未知との遭遇中なのだそうです。
人は生きていると、権威、権力、名誉・・・年齢とともに、垢のようにくっついていってしまう・・・。
色んな物を手放していかないと・・・。あっても良いけど、こだわらなくなっていくことが必要となる。
それを捨てていく事が必要・・・という話をされていました。
そういったお考えが、少年の心を持っていたいという、今の横尾さんのお考えに繋がっているように感じました。
深い、深いお話でした。
横尾さんが今、夢中になって描いているモチーフは、“水”なのだそうです。
水の波紋が不思議だ・・・とおっしゃって、それを作品に表現されていました。
自由自在に生きようとする、画家・横尾忠則さんの現在を見つめる番組でした。
今、金沢21世紀美術館で、『未完の横尾忠則ー君のものは僕のもの、僕のものは僕のもの』の展覧会が開催されています。(11月3日(火・祝)まで)