昨日、『おくりびと』が、地上波で初放送されました。

ずっと観たいと思っていた『おくりびと』。

やっと観ることが出来ました。

『おくりびと』は、納棺師という仕事を通じて、死と厳粛に向き合う映画です。


この映画の中で、ニューハーフだった青年と家族が生前に良い関係を築けていなかったけれど、息子さんが亡くなって、おとうさんが、ご遺体の笑顔を見て、生前抱いていたわだかまりが解けて、息子さんを受け入れてあげられる事ができるようになったシーンがありました。


以前、NHKのクローズアップ現代で、この『おくりびと』について放送がされた時・・・。

映画の中で、生前に故人と良い関係を築けていなかった家族が、わだかまりを抱えながらも、納棺師の行う行為によって、故人を受け入れるようになるのは、納棺師が故人を綺麗に化粧する行為によって、客観視できるようになるから・・・。納棺師の行う行為によって、相手のことを客観的に見れるようになり、お互いの関係が変わってくる・・・という、お話がありました。「死生観」について考えさせられる、とても印象的なお話だったので、『おくりびと』、是非観たいと思っていました。


主人公の大悟(本木雅弘さん)は、幼い頃、父親が家庭を捨てて出て行ってしまったという辛い過去をもっているんですけど・・・。

2年前に亡くなった大悟の母宛てに、父の訃報が届き、迷った末、30年ぶりに父親に会いに行くシーンがありました。

その時、ご遺体となった父親の固く握られた掌の中には、石がひとつ握られていました。

握られたこの石は、「石文」というメッセージの伝え方で、30年前に、大悟が父に手渡したものでした。

「石文」は、人が言葉をもたなかった時代、相手に対する自分の思いを伝える為に、石を渡した風習なのだそうです。

大悟は、それを父親からおしえてもらっていたんです。素敵なエピソードです。

河川に落ちている無数の石の中から、自分が相手に伝えたいメッセージを、形などによって相手に伝える。言葉や文字がなくても、ちゃんと思いは伝わる・・・。

30年間・・・。父親は、息子の事を想っていたんですね・・・。その想いが、最期に息子大悟に伝わって良かった・・・。もう号泣してしまいました。

火葬場で、長い間働いてきた男性(笹野高史さん)のセリフも印象的でした。

「死は門のようなものだ。人は死という門をくぐって新しいところに行く。そこでまた会う・・・。」

最後に、「いってらっしゃい」と声をかけ・・・。

新たな旅立ちを願って、見送る姿に感動しました。


出演者が、主演の本木雅弘さんをはじめ、山崎努さん、広末涼子さん、余 貴美子さん、吉行和子さん、笹野高史さん・・・だったので、ちょっとした演技やセリフで感動しっぱなしでした。


『おくりびと』公式サイトの「プロダクションノート」に、撮影にまつわるエピソードが書かれていたのですが・・・。

主演の本木さんは、プロのチェロリスト役。チェロと納棺技術の特訓を受けたそうです。

毎晩2時間ほどチェロの指導を受け、腰痛と闘いながら、納棺師の所作を学んだそうです。

納棺の所作というのは、茶の作法にも通ずるくらい、一つ一つにちゃんと心が込められ意味がある、洗練されたものなのだそうです。

本木さんの納棺師の所作は、とても美しかったです。形だけでなく、思いが伝わってきました。

それは、同じ納棺師役の山崎努さんの所作からも伝わってきました。

チェロを演奏するシーンも印象的でした。

人は、自分ひとりの力で生きているわけではないんですよね・・・。時々、忘れがちなんですけど・・・。

生まれてくる時も、色んな人に手助けされながら生まれてくるし、死ぬ時も、どんな死に方をしたとしても、人の助けを借りるんだな・・・ということに、改めて気づかされました。

この映画、「死」をテーマとしているので、逆に「生」についても考えさせられました。


生きているうちから、喧嘩のない、わだかまりのない関係が築けていることが、一番良いことだと思うけれど・・・。

そんなに世の中、うまくいくことばかりではないですよね・・・。

悲しいけれど・・・。行き違いや、想いのすれ違いも沢山あると思います。

けれど、亡くなってからでも、生前築けなった相手との関係について、考え直すことはできる・・・。亡くなってからでも、相手との距離は築ける・・・。いろんな方法で、想いを伝えることは出来るんだな・・・と、そんな事を感じました。


決して良いことばかりではなく、「そんな仕事」というような、きつい言われ方もしながら・・・。

だんだんと主人公の大悟は変わっていきました。

納棺師は、相手に伝わる、結果が残せる仕事という事に気づき・・・。

納棺師という自分の仕事にプライドと誇りをもって生きていこうとする主人公の姿に、感動を受けました。