またまた、北海道旅行の話題です!(笑)


Going my way ~どこまでも続く道~-拾ってきた家

富良野に行った時、ドラマ『北の国から』と、浅田次郎さんの小説『鉄道員(ぽっぽや)』の映画のロケ地に行ってきました。


ドラマ『北の国から』に関連した場所は、“北の国から資料館”、“拾ってきた家”、“麗郷の森”の三ヶ所に行きました。

富良野といえば『北の国から』・・・。

「北の国から資料館」には、倉本聰氏の原稿や、ドラマで使われた衣装、セットの一部が展示されていました。

1981年から、2002年まで年代をおって、写真と名セリフの数々が、壁に飾られていました。

私、『北の国から』全作品を見ていませんが・・・。そんな私でも、このセリフあったな・・・と思う、印象に残るセリフがありました。


黒板五郎(田中邦衛さんのセリフ)

「お前の汚れは、石鹸で落ちるけど、石鹸で落ちない汚れってもんもある。」


「人に喜んでもらえるってことは純、金じゃ買えない、ウン金じゃ買えない。」


「だからな。おいらは小さくやるのさ。ありがとうって言葉の聞こえる範囲でな。」


「別に知らんでも死にやせんのよ。いっぱい知らされるとかえって疲れる。あ、みんなよく言うべ?知る権利って。オラは逆なの。知ラン権利ちゅうの。」


黒板(笠松)蛍(中嶋朋子さん)のセリフ

「先生が言ったわ。ウソはある時は幸せを保つ。人類最大の発見であるって。」


雪子(竹下景子さん)のセリフ

「怪我した傷って、すぐ治るけど、言葉で受けた傷は、なかなか治らないわ。それに、あとで自分が傷つくもの。」


そして、資料館、最後に展示されていたのが・・・。2002年に放送された“遺言”の中から、五郎の「遺言書」が壁に飾られていました。

ほんの一部ですけど・・・。

「おれには、お前らに遺してやるものが何もない。

でも、お前らには、うまくいえんが遺すべきものは、遺した気がする。

金や品物は、何にも遺せんが、遺すべきものは伝えた気がする・・・。」

この後の遺言の内容は、自分が死んでいっても、富良野の大自然は変わらないだろう・・・というような内容でした。


写真は、“拾ってきた家”にあった、2002年“遺言”で、登場した雪子(竹下景子さん)の家。

家は、富良野で拾い集めた材料を使い、五郎と地元の仲間達の手で建てられたもの。


「麗郷の森」には、五郎が住んでいた、火事になってしまった丸太小屋が建っていました。

「麗郷の森」で、食事をしたのですが・・・。レストランの中に置いてあった本が、全て倉本聰さんの本でした。

倉本聰さんの本が、読んでみたくなりました。

「麗郷の森」は、ロケ地になっている場所が多く、森の中を、ただ散策するだけでも、行ってみる価値ありだと思います。緑がいっぱい、鳥のさえずりが森中に響いていました。(この森で、飛んでいるかぶと虫を発見しました!飛んでいるかぶと虫を見たのは始めてでした。)


そして、ちょっと場所を変えて、「幌舞駅」へ。
Going my way ~どこまでも続く道~-幾寅駅

大好きな浅田次郎さんの小説、『鉄道員(ぽっぽや)』。

映画も、高倉健さんが主演で、とても感動した作品です。(映画『鉄道員』で使われていた曲が、ずっと駅構内に流れていて、感動して泣きそうになりました。(笑))

『鉄道員(ぽっぽや)』の舞台となった「幌舞駅」は、根室本線の「JR幾寅駅」として現在も利用されている実存する駅なんですよ。(無人駅でした。)

とってもラッキーだったのは、ちょうど駅に着いた時に、ローカル線の電車が来ていたこと。

時刻表を見たら、一時間に1本とかだったんですよ。

展示コーナーもあって、スチール写真や出演者の色紙、主演者がロケで着用した衣装などが展示されていました。

富良野は、景色が綺麗なだけでなく、見応えのある美術館、資料館などが多い素敵な場所でした。

今回は残念ながら、寄ることが出来なかったけれど、富良野地方の四季を描いた油彩画が展覧されている奥田修一さんの富良野風景画館や、日本画家の後藤純男美術館。旭川には、井上靖記念館、旭川市彫刻美術館、北海道伝統美術工芸村・・・。美瑛町には、西美創造の社美術館。寄ってきたい所が山ほどありましたが、とてもまわりきれませんでした。でも、美瑛町の「拓真館」に行けたことは、一生の記念になりました。(私、部屋に前田真三さんの写真を飾ってあるくらいなので・・・。縁があったんだと思います。「拓真館」の近くは、四季彩の丘など、絶景が広がっています。)本当に、行けて良かったと思っています!