こんなコトを書くのか?とも思うけれど…
此処にしかうpできないよなぁ。
自己満足だし。
それとは別に、久々にみるとBlogの古い部分も無かったコトにしたいですがね。ま、若かったなってコトで(-。-;
で、
表記の通りのことを試みます。
完全に自分の遊びです。
↓
タダのファン語りの域は出られませんけど、誰と誰が好きだってコトからかなり色々読み取れるなぁと思ったので遊んでみた。
要は私の好きなのが大空祐飛と相川七瀬だってことですが(言い切ると恥ずかしいな^^;)思い当たる限りではかなりの共通点がある。自分に対しての。
アラサーだし、変化の季節だし、何に使うわけでもないけれど、自己分析的にそこのあたりを纏めてみようかと思い至ったという次第。面白そうじゃない?
ただし、完全なる自分語りですので、不快に思われる方はご遠慮ください。
昔から男性タレントや男性アイドルや俳優にはなぜかあまり興味無かった。この人は好きだ位に思うコトはあっても(飛猿とか只野とかね)「どーしてもこれだっ」と思う相手は何故か決まって女性。
ある意味では自身のロールモデルになり得るひと、そして何処か性的に矛盾ある表現を行っているひと‥
そういうひとに、見ていて心地よさを感じるのだと思う。
相川七瀬は中等部の頃からのファン。かなり初期からのファンだと自認しているし最初のライブも行った。当時の自分は「男のコ」になることを諦めたばっかりだったから、ああいう女でありながらも「カッコいい」ひとに憧れたんだと思う。それから子供の自分には越えられない何かを、越えるためのモデルと思っていたような気もする。ちょっとだけアウトローな感じとか。
子供の自分にはあれで精一杯だったけど。
とにかく何年も、思いっきりハマっていた。そのあと彼女があまりメディアに出なくなった時期と自分が芸能に興味がなくなった時期が重なってから離れていたけれど、嬉しい方向性を掲げて戻って来てからはまた思いっきり傾倒している気がする。
子どもにはわからなかった表現の意味が、ほぼ大人の今の自分だから読み取れることがある。それがまた、密かな楽しみ。
大空祐飛は宝塚のひとだ。今はトップになっているから案外名前も知られているかもしれないけれど、はっきり言ってマニアックなファンダム。宝塚というシステムがそうさせているという面もあれどひたすらマニアックだと思う。だって「相川七瀬のファンだ」というのは簡単に表明できるけど「大空祐飛のファンだ」というのはある種のカミングアウトでもあるように思う。まぁその根底にあるものこそが私にとっての本質なんだろうけどさ。
大空ファンと表明することで、一次的な自身についての評価も目線もきっと変化するわけだから。このへんはG的にも解釈できる関係性かもしれない。
大空ファン歴は、ファンの中では長いほうではないと思う。この5年くらい。ファンになったときは3番手だった。(その時にはまさかトップになるとは思わなかったけど)会に入ったのもその頃。宝塚のファンカルチャーは特殊なので詳しくは割愛するけれど、私はあの世界観は嫌いではない。捻くれ者なので、どっぷり中のひとにはなれないけれど、空気としては実は心地よいところもあったりもするのだ。一部において。
大空祐飛が好きな理由は一言でいえば哀愁漂う自然体の男役だから。あと顔と声、見た目が好み。好みの外観をもったひとが、くだらなそうだったり、意味なさそうだったりもするけれども厳しいコトを、本気でストイックにクソ真面目にやっているというあたりに、そのどMさ加減にぐっとくる感じ。
相川七瀬はRockstarSteadyとして自分の前に戻ってきた。これがまた、ヴィジュアルから曲から、ツボすぎるのだ。わざとらしい感じ、でも本気な感じ、そして慣れ親しんだ心地良さ。
要するに自分はといえばやはり「矛盾」を生きている、表現しているようなひとに惹かれるのではないかと思う。男役はまさにそう。本当は正真正銘「女らしい」女でいることを求められているのに、その了解があったうえで「男なるもの」を演じて表現しているわけだから。どっちが本当のホンモノでそのシステムの裏になにがあるのかは、この際敢えて無視している。宝塚のシステムについて本質的に考え始めたら、間違いなく自分は否定的にならざるを得ない。でもその否定的に捉えているシステムによって生み出されたものを好んでいるのだから、私の中にも自己矛盾が生じることは目にみえているわけで。まぁ、その自虐的な感覚がまた心地良いのだけれども。
同じようなコトは相川とRockstarSteadyにも言えるコトには最近気がついた。これは私自分にとって、だけなのかもしれない。けれども中等部の自分はほぼ間違いなく彼女のそういった面に、無意識に惹かれていたのだと思う。
これは別に私に限ったコトではないと思うし、皆そうなのかもしれないけれど、そうやって認識している私自身もかなり矛盾を生きていると感じている。否定的に、ではなく。
いま、G方面にいるのもきっと同じ出発点から出てきているのだろうと思う。矛盾が生じるメカニズムを、アタマから否定するのではなく、見て、体感して、考えたい。それがきっと自分の根本的な欲求なのだろう。
当事者性が強すぎるのは学問としてはどうなんだろうと、いつも思うけれど、闘争ではなく、考察がしたいのだからきっと許して貰えるかな?
iPhoneからの投稿
此処にしかうpできないよなぁ。
自己満足だし。
それとは別に、久々にみるとBlogの古い部分も無かったコトにしたいですがね。ま、若かったなってコトで(-。-;
で、
表記の通りのことを試みます。
完全に自分の遊びです。
↓
タダのファン語りの域は出られませんけど、誰と誰が好きだってコトからかなり色々読み取れるなぁと思ったので遊んでみた。
要は私の好きなのが大空祐飛と相川七瀬だってことですが(言い切ると恥ずかしいな^^;)思い当たる限りではかなりの共通点がある。自分に対しての。
アラサーだし、変化の季節だし、何に使うわけでもないけれど、自己分析的にそこのあたりを纏めてみようかと思い至ったという次第。面白そうじゃない?
ただし、完全なる自分語りですので、不快に思われる方はご遠慮ください。
昔から男性タレントや男性アイドルや俳優にはなぜかあまり興味無かった。この人は好きだ位に思うコトはあっても(飛猿とか只野とかね)「どーしてもこれだっ」と思う相手は何故か決まって女性。
ある意味では自身のロールモデルになり得るひと、そして何処か性的に矛盾ある表現を行っているひと‥
そういうひとに、見ていて心地よさを感じるのだと思う。
相川七瀬は中等部の頃からのファン。かなり初期からのファンだと自認しているし最初のライブも行った。当時の自分は「男のコ」になることを諦めたばっかりだったから、ああいう女でありながらも「カッコいい」ひとに憧れたんだと思う。それから子供の自分には越えられない何かを、越えるためのモデルと思っていたような気もする。ちょっとだけアウトローな感じとか。
子供の自分にはあれで精一杯だったけど。
とにかく何年も、思いっきりハマっていた。そのあと彼女があまりメディアに出なくなった時期と自分が芸能に興味がなくなった時期が重なってから離れていたけれど、嬉しい方向性を掲げて戻って来てからはまた思いっきり傾倒している気がする。
子どもにはわからなかった表現の意味が、ほぼ大人の今の自分だから読み取れることがある。それがまた、密かな楽しみ。
大空祐飛は宝塚のひとだ。今はトップになっているから案外名前も知られているかもしれないけれど、はっきり言ってマニアックなファンダム。宝塚というシステムがそうさせているという面もあれどひたすらマニアックだと思う。だって「相川七瀬のファンだ」というのは簡単に表明できるけど「大空祐飛のファンだ」というのはある種のカミングアウトでもあるように思う。まぁその根底にあるものこそが私にとっての本質なんだろうけどさ。
大空ファンと表明することで、一次的な自身についての評価も目線もきっと変化するわけだから。このへんはG的にも解釈できる関係性かもしれない。
大空ファン歴は、ファンの中では長いほうではないと思う。この5年くらい。ファンになったときは3番手だった。(その時にはまさかトップになるとは思わなかったけど)会に入ったのもその頃。宝塚のファンカルチャーは特殊なので詳しくは割愛するけれど、私はあの世界観は嫌いではない。捻くれ者なので、どっぷり中のひとにはなれないけれど、空気としては実は心地よいところもあったりもするのだ。一部において。
大空祐飛が好きな理由は一言でいえば哀愁漂う自然体の男役だから。あと顔と声、見た目が好み。好みの外観をもったひとが、くだらなそうだったり、意味なさそうだったりもするけれども厳しいコトを、本気でストイックにクソ真面目にやっているというあたりに、そのどMさ加減にぐっとくる感じ。
相川七瀬はRockstarSteadyとして自分の前に戻ってきた。これがまた、ヴィジュアルから曲から、ツボすぎるのだ。わざとらしい感じ、でも本気な感じ、そして慣れ親しんだ心地良さ。
要するに自分はといえばやはり「矛盾」を生きている、表現しているようなひとに惹かれるのではないかと思う。男役はまさにそう。本当は正真正銘「女らしい」女でいることを求められているのに、その了解があったうえで「男なるもの」を演じて表現しているわけだから。どっちが本当のホンモノでそのシステムの裏になにがあるのかは、この際敢えて無視している。宝塚のシステムについて本質的に考え始めたら、間違いなく自分は否定的にならざるを得ない。でもその否定的に捉えているシステムによって生み出されたものを好んでいるのだから、私の中にも自己矛盾が生じることは目にみえているわけで。まぁ、その自虐的な感覚がまた心地良いのだけれども。
同じようなコトは相川とRockstarSteadyにも言えるコトには最近気がついた。これは私自分にとって、だけなのかもしれない。けれども中等部の自分はほぼ間違いなく彼女のそういった面に、無意識に惹かれていたのだと思う。
これは別に私に限ったコトではないと思うし、皆そうなのかもしれないけれど、そうやって認識している私自身もかなり矛盾を生きていると感じている。否定的に、ではなく。
いま、G方面にいるのもきっと同じ出発点から出てきているのだろうと思う。矛盾が生じるメカニズムを、アタマから否定するのではなく、見て、体感して、考えたい。それがきっと自分の根本的な欲求なのだろう。
当事者性が強すぎるのは学問としてはどうなんだろうと、いつも思うけれど、闘争ではなく、考察がしたいのだからきっと許して貰えるかな?
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