夏休みが終わってがっかりな方、最初から夏休みがない方、はたまたまだまだ夏休み中な方、様々かと思いますが、今年の夏はいかがでしたか?
私にとって、この夏は、今までにないくらい「最高の夏」でした。
と言いますのも、この夏は沢山のイベントに参加したり、また、そのイベントへ向かう旅路でもいろいろと楽しめましたw
6月から8月まで参加したイベントの回数、通算すると19回。去年一年間の参加数に匹敵する数です(^^; そのうち、関東圏でのイベントは13回...遠征もしまくりましたw
そう言った意味では、この夏は、自分にとって駆け抜けた夏になった気がします。
中でも、印象的だったのは、上坂すみれさんの「革命的ブロードウェイ主義者同盟 決起集会 夏の陣」、そして現在放送中のアニメ「きんいろモザイク」関連のイベント。 もちろん、「アニサマ」もすごく良かったのですが、個人的には前者2つの印象がやはり強かったのです・・・。
詳しくは追々書いていきます。次回は決起集会から。
今週月曜日(7月29日)、名古屋市熱田区の名鉄神宮前駅に、新たな自販機が・・・
その自販機とは・・・
こちら。
自販機には、「FamilyMart」の文字・・・
そう!あのコンビニチェーン「ファミリーマート」の自動販売機なのです!
名古屋鉄道とファミリーマートは、数年前より、駅構内へのファミリーマート出店に力を入れており、「ファミリーマート エスタシオ」の名称で、現在12店舗(名鉄名古屋【名古屋市中村区】、名鉄岐阜【岐阜市】、栄町【名古屋市中区】、神宮前【名古屋市熱田区】、名鉄一宮【一宮市】、大曽根【名古屋市東区】、前後【豊明市】、豊田市、知多半田【半田市】、中部国際空港【常滑市】)を展開しています。
また、名鉄岐阜や栄町、前後などでは、それまでの名鉄の売店「サンコス」を改装する形で、出店するケースも増えており、名鉄駅構内へのファミリーマート出店は、更に勢いを増しています。
今回の自動販売機も、その一環として設置されたものとなります。
さて、こちらの自販機で売られている商品は、ファミリーマートでもお馴染みの、パンやおにぎり、サンドイッチにカップドリンクなどなど・・・ 乗り換え時間にも手軽にファミマの商品が買えるようになりました!(なお、manacaやTOICA、SuicaなどのICカードは利用できず、現金のみでの利用となります。)
このファミマ自販機、これからの名鉄駅構内への、ファミマ出店モデルになるのでしょうか? 省スペースで、現在、ファミマ未出店の駅にも進出するのでしょうか?
名鉄とファミマの戦略、これからも目が離せません・・・
その自販機とは・・・
こちら。
自販機には、「FamilyMart」の文字・・・
そう!あのコンビニチェーン「ファミリーマート」の自動販売機なのです!
名古屋鉄道とファミリーマートは、数年前より、駅構内へのファミリーマート出店に力を入れており、「ファミリーマート エスタシオ」の名称で、現在12店舗(名鉄名古屋【名古屋市中村区】、名鉄岐阜【岐阜市】、栄町【名古屋市中区】、神宮前【名古屋市熱田区】、名鉄一宮【一宮市】、大曽根【名古屋市東区】、前後【豊明市】、豊田市、知多半田【半田市】、中部国際空港【常滑市】)を展開しています。
また、名鉄岐阜や栄町、前後などでは、それまでの名鉄の売店「サンコス」を改装する形で、出店するケースも増えており、名鉄駅構内へのファミリーマート出店は、更に勢いを増しています。
今回の自動販売機も、その一環として設置されたものとなります。
さて、こちらの自販機で売られている商品は、ファミリーマートでもお馴染みの、パンやおにぎり、サンドイッチにカップドリンクなどなど・・・ 乗り換え時間にも手軽にファミマの商品が買えるようになりました!(なお、manacaやTOICA、SuicaなどのICカードは利用できず、現金のみでの利用となります。)
このファミマ自販機、これからの名鉄駅構内への、ファミマ出店モデルになるのでしょうか? 省スペースで、現在、ファミマ未出店の駅にも進出するのでしょうか?
名鉄とファミマの戦略、これからも目が離せません・・・
アニメイト豊田|アニメのことならアニメイト!
7月19日(金)、愛知県では5番目となるアニメイトが豊田市に誕生します! その名も「アニメイト豊田」。
名鉄三河線 豊田市駅すぐの「若宮ビル」1Fに、7月19日(金)グランドオープンします!!
愛知県三河地方では、豊橋市のアニメイト豊橋・岡崎市のアニメイト東岡崎に続く3店舗目、そして愛知県三河山間部初のアニメ専門店となります。店舗が置かれる豊田市はもちろんのこと、周辺のみよし市、日進市、知立市、長久手市などからの集客も見込めるものと思われます。
グランドオープンとなる7月19日(金)・20日(土)・21日(日)の3日間は、オープニングキャンペーンも実施とのこと!
豊田の新名所となるか!? アニメイト豊田は、7月19日(金)グランドオープンです。
7月19日(金)、愛知県では5番目となるアニメイトが豊田市に誕生します! その名も「アニメイト豊田」。
名鉄三河線 豊田市駅すぐの「若宮ビル」1Fに、7月19日(金)グランドオープンします!!
愛知県三河地方では、豊橋市のアニメイト豊橋・岡崎市のアニメイト東岡崎に続く3店舗目、そして愛知県三河山間部初のアニメ専門店となります。店舗が置かれる豊田市はもちろんのこと、周辺のみよし市、日進市、知立市、長久手市などからの集客も見込めるものと思われます。
グランドオープンとなる7月19日(金)・20日(土)・21日(日)の3日間は、オープニングキャンペーンも実施とのこと!
豊田の新名所となるか!? アニメイト豊田は、7月19日(金)グランドオープンです。
「労働問題」。
パワハラ、過労、賃金の未払いなど多岐に渡る労働問題。その問題は、今、働き盛りの中年の労働者だけでなく、若い労働者の間でも問題になっています。中でも、過剰とも言える時間外労働によって、「過労死」に追い込まれる労働者も、少なからずいます。
2008年の今日・6月12日、ひとりの女性が過労により自殺。その日から、今日で丸5年です。
女性は、2008年の4月、居酒屋チェーンの「ワタミフードサービス」に入社。僅かな期間の研修をした後、神奈川県横須賀市の店舗に慣れない調理場での勤務をすることになりました。
勤務日は、午後2~3時に出勤し、勤務終了は店舗の閉店時刻となる午前3時~5時。この間に休憩は僅か30分。更に、社宅が電車を利用しないと帰宅できない場所にしか用意されておらず、3時閉店の日も、約2時間半ほど店舗で待機せざるを得ませんでした。
また、休日には会社の「ボランティア」活動の参加を命じられた他、レポート作成・提出をも命じられました。
この女性の1ヶ月間における時間外労働に費やされた時間は「141時間」。通常、「過労死ライン」と言われる時間外労働が80時間であり、それを大幅に上回ることになります。
また、休日も会社側からボランティア参加やレポート提出を求められ、休暇はおろか、休息時間すらままならない状態でした。
亡くなる1ヶ月前、手帳には「体が痛いです。気持ちが沈みます。誰か助けてください。」などと、助けを求めるメッセージが記されていました。しかし、その1ヶ月後、女性は自ら命を絶ちました。いや、この状況下なら、絶たざるを得なかったと言ったほうが正しいのかもしれません。
女性が亡くなって、今日で5年。今も様々な場所で過労、過酷なまでの時間外労働によって、苦しんでる人がいることでしょう。
本来、生きるための労働において、何故、命を絶たねばならないのでしょうか?命懸けで働けとはよく言うものの、過剰な時間外労働・過労ではもはやその意味すら違う気がするとも思うんですが・・・
この惨事を引き起こしたワタミの創業者は、なんでも次の選挙に出馬するそうで・・・。女性が亡くなった4年後、この件が労災と認定された際にも、「労務管理が出来ていなかった認識はない」とか言ってるような人が・・・ 一体、何を考えてるんですかね・・・?
今時は低価格競争によるコスト削減で、様々な経費削減が図られていますが、労働者を蔑ろにするようなことはおかしいと、私は思います。
働きたくないと言う人がよくいますが、こんなんじゃそう言いたくなる気持ちもいくらか分かります。
全ての労働者が、労働で苦しむことがない日、その日はいつになるのでしょう? 私としては、一日でも早く来ることを願うばかりです。
「働く」って、苦しめることじゃないと思うんですが・・・
パワハラ、過労、賃金の未払いなど多岐に渡る労働問題。その問題は、今、働き盛りの中年の労働者だけでなく、若い労働者の間でも問題になっています。中でも、過剰とも言える時間外労働によって、「過労死」に追い込まれる労働者も、少なからずいます。
2008年の今日・6月12日、ひとりの女性が過労により自殺。その日から、今日で丸5年です。
女性は、2008年の4月、居酒屋チェーンの「ワタミフードサービス」に入社。僅かな期間の研修をした後、神奈川県横須賀市の店舗に慣れない調理場での勤務をすることになりました。
勤務日は、午後2~3時に出勤し、勤務終了は店舗の閉店時刻となる午前3時~5時。この間に休憩は僅か30分。更に、社宅が電車を利用しないと帰宅できない場所にしか用意されておらず、3時閉店の日も、約2時間半ほど店舗で待機せざるを得ませんでした。
また、休日には会社の「ボランティア」活動の参加を命じられた他、レポート作成・提出をも命じられました。
この女性の1ヶ月間における時間外労働に費やされた時間は「141時間」。通常、「過労死ライン」と言われる時間外労働が80時間であり、それを大幅に上回ることになります。
また、休日も会社側からボランティア参加やレポート提出を求められ、休暇はおろか、休息時間すらままならない状態でした。
亡くなる1ヶ月前、手帳には「体が痛いです。気持ちが沈みます。誰か助けてください。」などと、助けを求めるメッセージが記されていました。しかし、その1ヶ月後、女性は自ら命を絶ちました。いや、この状況下なら、絶たざるを得なかったと言ったほうが正しいのかもしれません。
女性が亡くなって、今日で5年。今も様々な場所で過労、過酷なまでの時間外労働によって、苦しんでる人がいることでしょう。
本来、生きるための労働において、何故、命を絶たねばならないのでしょうか?命懸けで働けとはよく言うものの、過剰な時間外労働・過労ではもはやその意味すら違う気がするとも思うんですが・・・
この惨事を引き起こしたワタミの創業者は、なんでも次の選挙に出馬するそうで・・・。女性が亡くなった4年後、この件が労災と認定された際にも、「労務管理が出来ていなかった認識はない」とか言ってるような人が・・・ 一体、何を考えてるんですかね・・・?
今時は低価格競争によるコスト削減で、様々な経費削減が図られていますが、労働者を蔑ろにするようなことはおかしいと、私は思います。
働きたくないと言う人がよくいますが、こんなんじゃそう言いたくなる気持ちもいくらか分かります。
全ての労働者が、労働で苦しむことがない日、その日はいつになるのでしょう? 私としては、一日でも早く来ることを願うばかりです。
「働く」って、苦しめることじゃないと思うんですが・・・
先週月曜日、愛知県一宮市は「市営一宮競輪場」を今年度いっぱいで廃止することを正式に表明しました。
利用客の低迷や売り上げ不振を理由とした、廃止となり、東海3県の競輪場では、戦後初の廃止ということです。
以前、ある日曜日に一宮駅前のバス乗り場に居たところ、一宮競輪場行きのバスが通りかかりましたが、乗客はまばら。寂しさを物語っていました。
今回、正式に廃止が決まった一宮競輪。しかし、この地方では以前から、廃止が囁かれているギャンブル施設がいくつかあります。
一宮市の隣、岐阜県笠松町の「笠松競馬場」。名馬オグリキャップの里と知られる笠松競馬場も、経営は厳しく、利用客や売上の少なさに苦しむ日々が続いています。また、名古屋市の「名古屋競馬場」も経営が厳しいとのこと。
これから生き残れるのは・・・果たして・・・?
利用客の低迷や売り上げ不振を理由とした、廃止となり、東海3県の競輪場では、戦後初の廃止ということです。
以前、ある日曜日に一宮駅前のバス乗り場に居たところ、一宮競輪場行きのバスが通りかかりましたが、乗客はまばら。寂しさを物語っていました。
今回、正式に廃止が決まった一宮競輪。しかし、この地方では以前から、廃止が囁かれているギャンブル施設がいくつかあります。
一宮市の隣、岐阜県笠松町の「笠松競馬場」。名馬オグリキャップの里と知られる笠松競馬場も、経営は厳しく、利用客や売上の少なさに苦しむ日々が続いています。また、名古屋市の「名古屋競馬場」も経営が厳しいとのこと。
これから生き残れるのは・・・果たして・・・?
愛知県新城市の自然豊かな場所にある私立高校・黄色い柳の野と書いて「黄柳野(つげの)」と読みます。
黄柳野高校。
愛知県内はもとより、全国的にも珍しい、不登校児の中学生や高校生を受け入れ、支援する全寮制の高校として、愛知県内外から注目を浴びている学校です。
その黄柳野高校の寮で、先日、悲劇が起こりました・・・。
今月8日の夕方、男子寮C棟2階から突如として火が上がりました。その火は、あっという間に燃え広がり、木造2階建て延べ約600平方メートルを全焼。この時、男子生徒1人が行方不明となっていました。
その後、焼け跡から1人の遺体が発見され、その遺体は、行方不明となっていた男子生徒でした。
火災発生後、黄柳野高校は臨時休校となり、火災の原因究明や行方不明となっていた前述の生徒の捜索を待つとともに、再開に向けた体制づくりを行なっていました。
その後、今月22日。学校再開の日を「5月27日(月)」と決定。そして、昨日。黄柳野高校は授業を再開しました。
火災により、これまで使っていた寮は全焼したため、昨年度いっぱいで廃校となった旧・新城市立黄柳野小学校を新城市から譲り受ける形で、黄柳野高校の生徒たちは、新たな「寮」での生活をスタートさせました。
今日(28日(火))までは、生徒の精神的ケアが中心となるため、本格的な授業開始は29日(水)からとなります。
黄柳野高校では、今回の火災が発生する前にも、今年2月にボヤ騒ぎが発生していた他、2008年には喫煙室を設置したことで問題にもなりました・・・。
昨日から新体制での学校運営がスタートした黄柳野高校。今後は、教員などの監視をこれまで以上に強化し、二度と同じ悲劇が起こらないよう、再発防止に努めていくということです・・・。
黄柳野高校は、冒頭でも記した通り、不登校児の受け入れや支援を行う学校ということで、他の高校に比べると、幾らか教育・指導が難しいかと思います。
だからこそ、職員の方が生徒に目を配ることは、とても重要であり、絶対疎かにしてはならないことです。これからも更に生徒に目を配れる学校であって欲しいですね・・・。
新たな黄柳野高校、始まりました・・・。
黄柳野高校。
愛知県内はもとより、全国的にも珍しい、不登校児の中学生や高校生を受け入れ、支援する全寮制の高校として、愛知県内外から注目を浴びている学校です。
その黄柳野高校の寮で、先日、悲劇が起こりました・・・。
今月8日の夕方、男子寮C棟2階から突如として火が上がりました。その火は、あっという間に燃え広がり、木造2階建て延べ約600平方メートルを全焼。この時、男子生徒1人が行方不明となっていました。
その後、焼け跡から1人の遺体が発見され、その遺体は、行方不明となっていた男子生徒でした。
火災発生後、黄柳野高校は臨時休校となり、火災の原因究明や行方不明となっていた前述の生徒の捜索を待つとともに、再開に向けた体制づくりを行なっていました。
その後、今月22日。学校再開の日を「5月27日(月)」と決定。そして、昨日。黄柳野高校は授業を再開しました。
火災により、これまで使っていた寮は全焼したため、昨年度いっぱいで廃校となった旧・新城市立黄柳野小学校を新城市から譲り受ける形で、黄柳野高校の生徒たちは、新たな「寮」での生活をスタートさせました。
今日(28日(火))までは、生徒の精神的ケアが中心となるため、本格的な授業開始は29日(水)からとなります。
黄柳野高校では、今回の火災が発生する前にも、今年2月にボヤ騒ぎが発生していた他、2008年には喫煙室を設置したことで問題にもなりました・・・。
昨日から新体制での学校運営がスタートした黄柳野高校。今後は、教員などの監視をこれまで以上に強化し、二度と同じ悲劇が起こらないよう、再発防止に努めていくということです・・・。
黄柳野高校は、冒頭でも記した通り、不登校児の受け入れや支援を行う学校ということで、他の高校に比べると、幾らか教育・指導が難しいかと思います。
だからこそ、職員の方が生徒に目を配ることは、とても重要であり、絶対疎かにしてはならないことです。これからも更に生徒に目を配れる学校であって欲しいですね・・・。
新たな黄柳野高校、始まりました・・・。
中日新聞:関のラーメン店「重重」が閉店 愛された33年:岐阜(CHUNICHI Web)
岐阜県関市の中心部に程近い、西本郷通で33年間営業してきたラーメン店「重重」が、先日(5月14日)、33年の歴史に幕を下ろしました・・・。
この店を開いたのは、長谷川金重さん(76)。末期は、金重さんの息子である長谷川和久さん(43)が店長を務め、親子二代で33年間営業してきました。
金重さんはこの店を開くまで、自動車セールスや医療品販売の仕事を転々としていましたが、金重さんの長年の夢であった「地域から愛される飲食店の経営」を諦めきれず、ラーメン店を開くことを決意。
岐阜市のラーメン屋で1年間修行した後、1980年、関市西本郷通にラーメン屋「重重」を開店。金重さんの実家は醸造業を営んでおり、その実家から仕入れたみそや醤油の自家製スープが喜ばれ、中でも味噌ラーメンや餃子には定評があったそうです。
「重重」は家族全員で切り盛りしており、1998年、息子の和久さんに店を継ぎました。
しかしその後、金重さんは腕の腱鞘炎となり、更に店長の和久さんも腰痛が悪化。店内のリース器材更新を前に閉店を決断、そして今月14日、33年の歴史に幕を下ろすこととなりました。
閉店が決定した後、店頭にはそれぞれ思い思いのメッセージを綴れるノートが設置され、訪れた客が「重重」での思い出や金重さん、和久さんたち長谷川さん一家へのねぎらいの言葉が綴られました・・・。
「重重」の創業者ともいえる、金重さんは「人生七転び八起きだった。天職に出会えたことが良かった」と目頭を熱くしながら語りました。
33年もの間、地元をはじめとした常連客に愛されたラーメン屋「重重」。この件とは直接関係はないものの、近年はラーメンチェーン店が各地に進出しており、ラーメン店同士の競争も増す一方です・・・。
そんな中で、「重重」のように、地元・常連客に愛されるアットホームなラーメン屋さんは大変貴重な存在で、これからも、ひとつの街のオアシスであって欲しいと思います・・・。
創業者の金重さん、店長の和久さん、お店を切り盛りした長谷川さん一家、そして重重を支えた全ての皆さん・・・
これまで本当に・・・お疲れ様でした。
岐阜県関市の中心部に程近い、西本郷通で33年間営業してきたラーメン店「重重」が、先日(5月14日)、33年の歴史に幕を下ろしました・・・。
この店を開いたのは、長谷川金重さん(76)。末期は、金重さんの息子である長谷川和久さん(43)が店長を務め、親子二代で33年間営業してきました。
金重さんはこの店を開くまで、自動車セールスや医療品販売の仕事を転々としていましたが、金重さんの長年の夢であった「地域から愛される飲食店の経営」を諦めきれず、ラーメン店を開くことを決意。
岐阜市のラーメン屋で1年間修行した後、1980年、関市西本郷通にラーメン屋「重重」を開店。金重さんの実家は醸造業を営んでおり、その実家から仕入れたみそや醤油の自家製スープが喜ばれ、中でも味噌ラーメンや餃子には定評があったそうです。
「重重」は家族全員で切り盛りしており、1998年、息子の和久さんに店を継ぎました。
しかしその後、金重さんは腕の腱鞘炎となり、更に店長の和久さんも腰痛が悪化。店内のリース器材更新を前に閉店を決断、そして今月14日、33年の歴史に幕を下ろすこととなりました。
閉店が決定した後、店頭にはそれぞれ思い思いのメッセージを綴れるノートが設置され、訪れた客が「重重」での思い出や金重さん、和久さんたち長谷川さん一家へのねぎらいの言葉が綴られました・・・。
「重重」の創業者ともいえる、金重さんは「人生七転び八起きだった。天職に出会えたことが良かった」と目頭を熱くしながら語りました。
33年もの間、地元をはじめとした常連客に愛されたラーメン屋「重重」。この件とは直接関係はないものの、近年はラーメンチェーン店が各地に進出しており、ラーメン店同士の競争も増す一方です・・・。
そんな中で、「重重」のように、地元・常連客に愛されるアットホームなラーメン屋さんは大変貴重な存在で、これからも、ひとつの街のオアシスであって欲しいと思います・・・。
創業者の金重さん、店長の和久さん、お店を切り盛りした長谷川さん一家、そして重重を支えた全ての皆さん・・・
これまで本当に・・・お疲れ様でした。







