サルコ | ochiochiのブログ

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地球温暖化も仮想通貨も新型コロナもSDGsもウクライナロシアの問題も「善意なき資本」が方向づけている。

このブログでは、「お金」そして「健康つまりは命その裏側として死」がメインテーマです。

お金は、儲けるとかそういうのではなく、本来、人間同士のコミュニケーションと人類が編み出した分業を助けるための道具でしたが、現代は、その意義をまったく失っています。
原点に還って、もう一度考えなおしてみる。
詐欺というのも結局は、楽をして稼ぎたいという現れに過ぎません。

お金に対するこの歪んだ考え方こそ是正しない限り、人類を滅ぼす道具になってしまいます。

 

現にお金のために人を殺したりしているじゃないですか。

人間というは、争うために生まれて来たのでしょうか?

そのお金については、今は措き、「死」についてです。
死というものは、新しい命のためにあるものと思います。


ところが医療が発達し、人間はチューブでつながれてもすぐに死ぬことはなくなりました。

その結果、高齢化は進み、少子化という問題が出てきました。

健康というのは、生き甲斐を持って初めて成り立つかなと思います。
でなければ、ご自身の命をどう扱うかもその人の自由ではないかと思うのです。

日本では年間約2万人(昭和バブル崩壊のころ、ピークで3万5千人近く)、何等かの理由をもって自らの命に終止符を打っています。

 

自殺は、コロナで死亡するよりはるかにその人数は多い。

なのにマスコミはほとんどこの問題には触れない。


安楽死を認めてない日本では、その自殺方法のひとつにビルから飛び降りたり、電車に飛び込んだりと他人に大きく迷惑をかけるような死に方を選択する場合もあります。

 

または睡眠薬を大量に使ってという方法もあるでしょう。

私が提唱するのは、死にたいなら、まず断食(水だけ摂取)を20日間してみて下さい。
本当に自殺したいかどうかは、この間にわかります。

また、お金の問題に苦しんでいるなら、お金なんて人間が創った人工物だと割り切れば、そんなものに苦しめられるなんておかしいと思うのです。
問題解決の可能性があるなら、まずは話し合い。

意外と人の世は、これでなんとかなるケースも多い。

貸している方からすれば、逃げられてしまう方がよっぽど面倒です。
しかしもうどうしようもないというなら、後先など考えず逃げてしまえばいい。

 

ということで、安楽死についてです。

スイス「安楽死カプセル」使用費は3200円…再燃する自殺幇助論争


1回のボタンで死に至る「安楽死カプセル」が近い将来、スイスで使われるものとみられる。カプセル内の酸素を窒素に変えて低酸素症で死亡させるものだが、あまりにも簡単な方式のため、安楽死などの自殺幇助についての論争が再燃するものと思われる。


スイスの安楽死関連の人権団体「ラストリゾート」は9月17日(現地時間)、チューリッヒで開かれた記者会見で「カプセルを利用するために列に並んでいる人たちがいるため、まもなく使われる可能性が非常に高い」とし、「酸素なしで空気を吸って永遠の眠りにつくことほど美しい方法は他に想像できない」と明らかにしたと、AFP通信が報じた。安楽死カプセル「サルコ」は、オーストラリア出身の医師のフィリップ・ニチケ博士が作ったもので、窒素の費用の18スイスフラン(約3200円)だけを支払えば死に至ることができる機械だ。


使用方法は簡単だ。安楽死を望む利用者は、精神能力を含む医学的・法的要件にともなう診断を受けた後、紫色のカプセル「サルコ」に入ってふたを閉じる。機械からは「あなたは誰ですか」「どこにいますか」「ボタンを押せば、どのようなことが起きますか」などの質問が流れる。返事を終えた利用者にサルコは、「もしあなたが死ぬことを望むのであれば、このボタンを押してください」と案内する。利用者がそのボタンを押せば、空気中の酸素の量は30秒後に21%から0.05%に低下する。
製作者のニチケ博士は「死亡するまでの約5分程度、無意識状態に留まることになる」として、カプセル内の酸素の水準と患者の心拍数、血液の酸素飽和百分率などを外部でモニタリングすることができると説明した。ニチケ博士は、もしボタンを押した後に気が変わっても「戻ることはできない」と説明した。
(ハンギョレ新聞)

スイス北部のシャフハウゼン警察は9月24日、声明を発表し、先日60代半ばの米国人女性が「サルコ」(Sarco)という名の自殺カプセルを利用して命を絶った事件に関し、自殺を助長し幇助した容疑で関連者を逮捕したことを明らかにした。AP通信が報じた。

スイスでは外国人にも幇助自死が可能なため、韓国や日本を含む各国から多くの人が訪れるという。スイス国内には幇助自死をサポートする団体がいくつかある。


しかし、かなり前から合法的な医師による幇助自死と違法な自殺の助長および幇助の区別が曖昧だという声が絶えなかった。数人の議員は、自殺に関する法のすきを埋めるための追加立法が必要だと主張している。

スイス当局は、サルコがスイス法上の安全基準を満たしていないとして、使用を許可していない。エリザベト・ボームシュナイダー内相は23日、議会に出席し、サルコの使用について「製品安全法の要求を満たせないため、流通してはならない」と述べた。また同内相は、窒素の使用が化学物質法で規定された条項とも両立しないとして処罰の可能性を示した。
(ハンギョレ新聞)
 

死を選択することさえ、大変な世の中です。

 

ちょっと別の話ですが、コロナ騒動を振り返れば、真実はわかりませんが、もし人工ウイルスであったなら、それを用いた人口削減計画があったのかもしれません。

人工ウイルスでないとしても、歪んだ人口構成に自然があるべき姿に戻るようにコロナが登場したのかもしれません。

 

コロナの面白いのは、高齢者ほど死亡する確率が高いということです。統計が意識的にそうしているかもしれませんので、これも真偽のほどはわかりません。

 

そこにコロナワクチン。

ここは人類を救おうという意図より、実験という意図を強く感じます。

人の命が大切だというなら、もっとちゃんと治験なりをして安全性を高めて、接種される方にもよく説明をするのが当然の在り方かと思います。

 

ところが、たいていの人は、ワクチンというのは、免疫を高め、病気からの救世主のようなものと刷り込まれてきました。

そこにコロナ騒動の悲劇の一端があります。

さらに助長させたのが無知極まりない政治家です。

 

ワクチンをたとえ容認しても、未完成のワクチンであり、安全性は定かでなく、何があるかわからない事はちゃんと伝えるべきでした。

そしてあのバカみたいな国民の熱狂を冷ます必要もありました。

さらに無料にしたのがそもそもの間違い。何も考えず、無料ということだけで接種した人もたくさんいたからです。私のまわりにも無料だからという理由で接種した人がたくさんいます。

 

そして熱狂が生んだものが、同調圧力というものです。

お上のやることは何でも正しいと末端までそれを広げようとするアホウの上塗りみたいな考え方は、本当にどうしようもない。

 

大東亜戦争とまったく同様で、大衆の狂信がワクチンの悲劇の一端にあったことは、大衆の方も反省しなければいけない点です。

 

この世に正しいことだけしかやらないということであれば、なぜにこんな社会になっているのかを思えば、答えは簡単でしょう。

名門といわれる大学を出て、官僚という優秀とされる人材が運営した国家の成れの果てが現在です。

 

それでも国を信じる人は、勝手に信じればよい。

信じない人は、政治家をしっかり監視していただきたい。マスコミは、ニュースを見てもくだらない内容ばかりでちっとも役に立たないものが多い。だから「マスゴミ」と言われてしまうのだ。

 

話を戻しますが、河野というアホウな大臣が、ワクチンはコロナの予防になりますと宣伝し、またすべての責任を取りますなんて調子のいいことを抜かし(実際に悲劇が起きれば、私は運び屋ですからと訳の分からない言い訳をする始末。人間としてもはや信用されないと思います)、国民の8割にワクチンを接種させました。

 

余談ですが、さらに間髪入れず、保険証を廃止し、マイナカード問題を引き起こします。河野は不要な政治家でしかない。たとえデジタル社会がどんなに便利であろうと国民の半数以上が納得もしないやり方は、国民の負託を受けているとはいえない。

 

また、コロナ騒動当時、政府の諮問機関となっていた医師たちも同罪です。免疫のこと、ウイルスのことがあまりわかってもいないのに、ワクチンが病気を予防するなんて言っているわけですから。

だからワクチンに関しては、紛れもなく人災なのです。

 

こんな悲劇を繰り返さないためにも「薬やワクチンは毒」という認識を持つべきと思います。

毒だけど、効果を信じるなら使ってみるということです。

これが薬などの正しい使い方ですから。