わっちのガイドライン -21ページ目

久々に何もしない休日をすごした。


正月休みは「せっかくの休みだから」という気持ちが働いて


結局休みらしい休み方をしなかった。


その結果として風邪をひいたわけだ。



本当に何もしなかった。


ただただ、何もしなかった。


何もしない、ということをしていた。



前日までの疲れが残っていたので


気持ちよく午睡をした。



部屋の片付けもしたいし


オンボロの椅子も買い換えたいし


転職のことも考えないといけない。


やらなければいけないことはいくらでもあるし


それは先送りにすればするほど、困難になっていく。



それでもぼくは、今日何もしなかった。


好きなだけ眠って、好きなだけ食べて、好きなだけぼーっとした。



するとどうだろう、貧乏性の悲しいサガなのか


何かしたい、しよう、という気が少しずつわいてきた。


それはネトゲのような非生産的なベクトルではなく


部屋の片付けをはじめとする、山積みの課題を片付ける方向に向けてだ。



どこでもそうだろうが


うちの風呂の隣には洗面所があり、胸から上が見える鏡が据え付けてある。


いつものように風呂に入る前に、その鏡を否応なしに見たわけだが


ダラダラ過ごしたのだから、さぞかし間延びした、だらしない男が映るか


あるいは死んだ魚のような目をした亡者のような男がいつもどおり映ってるかと思えば



意外にも血色のいい、目にも輝きがある自分の姿が映っていた。



太宰治の名著「走れメロス」の中で


メロスは疲労困憊の末に、悪い夢を見てしまう。


だらりと四肢を投げ出し、消極的で卑屈な発言を続けた彼は


気が済むまで休んだ後に滾々と湧き出る泉の水を口にする


疲労が回復すると、また町へ向かおうと思い直す。というシーンがある。




ぼくのここ数日の怯えや恐れ、苦痛や辛酸といったものも


持っていたであろうポジティブさを取り戻して解決できればいいのだが


こればかりは、気のもちようでどうにかなるものでもないらしい。


しかし、昨日や一昨日よりは心理的な余裕があった。




シラクスの町は果てしなく遠く、濁流も待ち受けている。


もちろん、暴君ディオニスの差し金も息を潜めている事だろう。


だが、ぼくは行かねばならぬ。


ぼくを信じて待ってくれている人のために。





「無駄だ」「間に合わない」


親友の弟子に止められても、メロスはこう返している。



それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。


間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。


私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。


ついて来い!フィロストラトス。

頭がぼーっとする。


鼻水も、とめどなくあふれ出てくる。


それをズズっとすするもんだから、痰になる。


痰がのどに絡みつく。


不快感をぬぐおうと咳をする。


しすぎた咳でのどが赤くはれる。


はれたのどが痛む。



些細なきっかけで、いろいろな部分にほころびが生じる。


なんてか弱い生き物だ、人間というものは。




今日はふと


仕事をやめて、そのまま半年くらい、世界を旅するのもおもしろいんじゃないかって


そんな事を考えた。


それをするためには英語力が必要になってくるが


ぼくにそこまでの力はない。


もちろん、ないものは作っていけばいいわけだが。




どのみち、この先どんな方向へ進むにしても


英語は切っても切れない縁になると思う。


そこで、英語の勉強をしていきたいと考えている。


こんな気持ちも、はやり病のような一面から見れば


風邪のようなもんなんだろうな。



ホコリをかぶっているTOEICの本が見つかった。


かつて「英語を使いこなしたい」という風邪にかかったときに買った薬だ。


使っていないということは、そのときひいた風邪が癒えてしまったことを意味するのだろう。



時間ができたら、空き時間はこれを勉強していこう。


今度は目的がある分、心持が少し違う。




治したい風邪と、こじらせたい風邪。


それが今のぼくの、小さなか弱い夢。

ここ数日、葛藤がすごい。


もしかしたら毛が抜けるんじゃないかってくらい


いろいろな事で思い悩んでる。


そう、転職の話だ。


ぼくは転職をしなければならない。



誰かに言われてしぶしぶやるのではなく


自分の体や能力の限界を感じてきての発心だ。


そして何より、今の仕事をもって「安定している」とは、なかなか言いがたい。



とすれば、行動するに越した事はないわけだ。


何かほしいものがあればすぐさま買い物にでかける行動力のあるぼくだが


どこに向かって進むべきか、ここでわからなくなってしまった。




自分が何者なのか、どうしたいのかがわからないのはつらい事だ。


誰とも話す気力が起きないし、息抜きに何かをしたい気持ちにもならない。


まるで失恋でもしたかのように、常に何か喪失したかのような


わけのわからないモヤモヤが心を占めている。





今の仕事も、やめどころがどこなのかがわからない。


ましてや、次にやりたい、あるいはやるべき仕事があるならいいが


ぼくには夢がない。


どこに向かって進むべきかわからないまま、年を越してしまった。




あぁ、つまんないやつだ、と腐る。


何か自他共に認める一芸があったならば、また違うのかもしれない。


無いものねだりは良くないと思うが、何毎も平均レベルを満たしていない自分の器量には


ただただ、辟易せざるをえない。



自分が嫌いになる。自分を含め、まわりも面倒になってくる。


このまま悩みながら無為に年をとるなら


いっそ、どこかでさっぱりと死んでしまうほうが、よっぽど楽なことだろう。


ぼくの大好きな「敗北の文学」の巨匠、太宰治や芥川龍之介がそうしたように。



自分が大文豪に比肩するかのような書き方だが


ご覧のとおり、悲しいかな、ぼくには文才がない。


人をひきつけるような魅力のある文章を書くことはできない。


書けた所で、どうしたという話ではあるが。



軽々しく命を投げ出そうとするのは馬鹿げていると思う。


ましてや、あんな地震があって、まだ1年が経過していない。


命の大切さについては、ぼくだけでなく、日本中が再確認したばかりだ。


たぶんにもれず、ぼくも命は大事であると重々わかっているつもりだ。



が、真っ暗闇の将来を前にしては、なかなかどうして、そんな理性も働かず


ついつい、そんな事も考えてしまう。




あまり食欲も出ず、体重も落ちてきた。


拍車をかけるように風邪をひいていて、心だけでなく、体も正常ではない。




きつい仕事を終えて、ひとり冷めた食事をとる。


迫りくる明日を気に病みつつ、うつろにTV番組をザッピングしていると


有名な大御所お笑いタレントが、バラエティ番組ではじけた振る舞いをしていた。


そしてふと、このタレント独特の表情を見て、昔の事を思い出した。


この人の番組を毎週楽しみに見ていた頃はどうであったか。


この人はそれからどういう年月を経てきたのか。



そうだ、この人は、年をとった。



人は等しく年をとる。


どんなにお金を持っていても、どんなに容姿が優れていても、どんなに賢くても


やがて死を迎える。


大切なあの子も、両親も、親友も、いずれ死を迎える。


この怖いもの知らずの破天荒なお笑いタレントも、いつかは死ぬときが来るのだ。


もちろん、ぼくだって例外じゃない。




そう考えると、一度きりの人生、無駄に死ぬのはもったいないという意識が生まれる。


もっとやりたい事をやった後で死んでもいいな、という意識が生まれる。


死ぬまでにやりたい事、それこそが「夢」なのかな。


いや、でもそんな仰々しいほどのものでもない。


そして、それが仕事に繋がるかと言うと、案外そうでもない。




結局何かピシっとくる答えは得られなかったが


少しだけ気持ちは軽くなった。


人生を上手に泳げないからといって、死ぬ必要はないのだと信じたい。



太宰治が、肌触りのいい夏用の木綿の着物をもらって


「夏までは生きよう」と決心した事を思い出した。


どんな些細な事でもいい。


生きていく上での目標があるのは、なんて心強い事だろう。







自分を見つめなおすことが必要だ。


その日その日の自分の心のあり方や、考えた事を記録していく事が必要だ。


誰かに読んでもらうためではなく、自分の方向性を探るために、記録が必要だ。



アイデアは去年から持っていたが、実際に行動に移すのは今日がはじめてとなった。


実際に文章に書き起こしてみると、思いのほか、自分が深刻に悩んでいた事がわかってくる。


ここで何かを書き始めたって、すぐに答えは出ないだろう。


だけど、何もしないよりは心も少し落ち着いてくる。





悩みがあるときは人に話すのがいいという。


客観的に批評してもらう事はもちろん効果があることだろう。


話し手も、聞き手に理解してもらおうと、自然とうまくまとめようとしたり、要点を掻い摘んだりする。


実はそういった部分に大きなポイントが潜んでいるということらしい。




講釈はともかく、書く事が必要なのだ。 自分の未来のために。 自分の夢のために。


なんでもいいから、思いついたことを書き付けていこうと思う。


そして書くために、方々にアンテナを張り巡らせようと思う。


どんな些細な事も敏感に感じ取れたら、何かが変わりそうな気がする。




さぁ、時間は午前4時前。そろそろ寝ないと、明日がつらく苦しい。


とにかく、ひとつだけ金剛不壊の心持で決心した事がひとつある。


この仕事をやめることだ。


そして、過不足のない、ふつうの暮らしをすることだ。


願わくば、自分の夢と呼べる仕事に就きたい。





離職もまた、夢の種類に分類されるのだろうか。



あぁ。もうすぐ明日がやってくる。と大きくため息をついたとき



呼応するように大きく、腹が鳴った。



「何かを食べたい」という気持ちがある事に少しだけ苦笑いをした。



まだ死ぬわけにはいかない。