兵役|【ロコレ】東方神起ユンホは韓国の「兵役文化」をどう変えたのか | 単なる覚え書2

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2年前の2017年4月20日ゆのが陸軍から戻ってきました

ロコレでは韓国芸能界における兵役の位置づけ・捉え方(実際に兵役に就く芸能人の方々の意識含む)に影響を与えた人としてゆのを取り上げ過去記事再掲含めいくつか記事を書いてくださっています

 

ただあまり深く掘り下げてないものもあるので

「ユンホは韓国の「兵役文化」をどう変えたのか」という記事のみ覚え書として残します

 

※ゆのは兵役期間を肯定的に捉えて行動してきました

そうやって兵役を真摯に務めあげ特級戦士にも名誉市民にもなった

そういう姿に一般の方も以前より更にゆのに対して好意的になったし同世代や同性の方々からの賞賛も増えた

カバングォン(この人に悪口は言えないというネット上のいわゆる非難免除権)はその人自身の生き方の積み重ねでそれを世間が評価し与えられるものでありそこには事務所も東方神起も全く介在しない「個人」に与えられる評価です

なのに本来別物であるゆのの勝ち取った評価を「東方神起」括りにしたり「そうなったのは誰それのおかげ」と記事にまで入れられる

(写真含め日本記事になったときは「ゆの」を「彼」にスライドさせたものまで見受けられる現状はゆのには勿論ですがそんな捏造をされる彼にも失礼ではないですか?)

 

兵役後東方神起としてでなくゆのに直接オファーがきたウルオス・日産自動車・行政安全部映像出演は企業の求める姿(前向き・誠実・クリーン・世間の好感度・注目等)「ゆの」にあったからですし自然発生し企業にまで拡散した「私はユノユンホだ」はそれを示す最たるものだと思います

ですから「その後の怪物ぶり」記事はソロ関連にもっと触れるべきだったとその点が残念でしたのでここには残してません

 

 

 

 

 

■ロコレHP

http://syukakusha.com/

 ※20190421 6時現在

 ※スクショなので実際に読む場合はHPにjumpしてください


 







■東方神起ユンホは韓国の「兵役文化」をどう変えたのか
2019/4/19
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東方神起のユンホが兵役を終えて除隊したのは、2017年4月20日のことだった。改めて振り返ってみても、兵役時代のユンホの活動は本当にすばらしかった。韓国の「兵役文化」の発展に貢献した、と言える。

 



芸能界と兵役の関係
韓国の兵役を司る兵務庁は、今までもずっと、兵役文化の向上に力を入れてきた。
韓国の男子には兵役の義務があるが、これは公平に行なう必要がある。さらには、兵役中の生活も良好でなければいけない。このように兵務庁は、「公平の原則」と「兵役中の生活の改善」を重視してきた。
逆に言うと、それが実現できていなかったということを示している。
私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)が韓国の兵役について最初の本を出したのは2000年だが、この当時は取材をしていると暗い気持ちになった。
エリート層の息子たちの兵役逃れが多かったし、体験者に軍隊時代の話を聞くと、暴力やいじめの告発が相次いだ。
また、当時の芸能界では、「兵役は芸能人の墓場」と呼ばれていた。
兵役によって芸能活動を中断した後、再び芸能界に戻ってきても、以前の人気を得られないケースが多かった。
 
それゆえ、芸能人も不安を抱えて兵役に入らざるを得ないのである。
さらには、「芸能兵」という、軍隊の中の広報部門を受け持つ部隊もあったのだが、そこに所属していた芸能人の不祥事があり、2013年に廃止になってしまった。
このように、芸能界と兵役をめぐる問題というのは決して明るいニュースにはならなかった。しかし、一部の先進的な人によって、芸能界と兵役の関係も変化していく。
たとえば俳優のヒョンビンは、韓国で訓練が一番厳しいと言われている海兵隊に自ら志願して、立派に兵役を全うした。彼は、除隊した後もたくましいイメージをプラスして、兵役期間が決してマイナスでなかったことを実証した。
そして、東方神起のユンホが2015年7月に入隊した。
「いつも私だけのスタイルで頑張ってきましたが、除隊するときは、より強くて、いっそう素敵な怪物になって帰ってきます!」
このメッセージをファンに伝えて、ユンホは新兵訓練に入っていった。
 
覚悟が並ではなかった。「素敵な怪物になって帰ってくる」という決意は、兵役を通して自分の中で新しい才能を開花させる、という意味にも受け取れた。
実に頼もしいメッセージだった。
そのユンホは兵役中にどう変わったのか。


特技を生かす兵役
ユンホは5週間の新兵訓練を終えると、第26師団の軍楽隊に配属された。
彼は、音楽という特技を生かせる軍務に就いたのだ。
これは、兵務庁が進めていた「特技を生かす兵役」というテーマにとてもマッチしたものだった。
つまり、兵役対象者を一方的に同じような軍務に就かせるのではなく、特技を持った人がいれば、その特技を生かせる部隊に配属できるようにする……それが当時の兵務庁が推進していた「兵役文化の発展」の重要項目だった。

実際、ユンホは音楽という特技を生かして軍楽隊で獅子奮迅の活躍をした。
彼は、軍楽隊の一員として様々なステージに登場し、地域社会の音楽活動を盛り上げたり、陸軍の活動を広く世に伝えた。
特に、陸軍が毎年10月に行なっている最大の広報行事「地上軍フェスティバル」での活躍は特筆ものだった。
ユンホは自分の立場の中で最善を尽くし、「地上軍フェスティバル」で最良のパフォーマンスを披露し続けた。


先駆的な人
ユンホは軍楽隊での軍務をしっかりこなすだけでなく、射撃・体力・精神力で超一流であることを示す「特級戦士」にも選ばれた。
それを報じる韓国メディアの中には「大韓民国の息子!」という最大級の称賛に彩られた見出しを掲げるところもあった。
それまでの韓国で、「芸能人の兵役」にはあまり肯定的なイメージはなかったのだが、ユンホは多くの人々の誤解を解く役割を担った。

どの分野でも先駆的な人はいるが、ユンホは自らの努力と誠実さで「兵役文化の向上」に寄与する存在となった。
そうして兵役の21カ月を過ごした彼は、2017年4月20日に除隊した。
そのときのコメントが印象的だった。
「小さいことに感謝して、周囲を見回すこともできました」
「兵役中には幹部の方々や一緒に過ごした戦友たちも、人間チョン・ユンホとして接してくださり、その中で私が成長する契機ができたと思います」


「兵役文化」に新しい風
ユンホ自身が語るように、彼は「有名人」ではなく「一人の人間」として軍務に励み、新しい人間関係の中に今までと違う自分を見いだした。
それを彼は「成長する契機」と称していたのだが、世界観が大いに広がったことは確かであろう。
ユンホは除隊した後に芸能界に復帰し、チャンミンと共にすばらしいステージを繰り広げて、まさに充実期に入っている。

そうしたユンホの言動がもたらす影響は、はかりしれない。最近は軍楽隊を志す芸能人も増えているが、それもユンホの存在を抜きにしては語れない。
結局、ユンホはどのような形で「兵役文化」に新しい風をもたらしたのか。
それは、兵役は決して苦役ではないということ、特技を生かせるということ、自分の能力を高めてキャリアをプラスに導くことが可能であるということ……そうした数々の成果を身をもって示した、ということではないだろうか。
この点においてユンホの功績は大きい。

文=康 熙奉(カン ヒボン)
写真=M.Takahata、K.Aoki