只今当店
絶賛あじさい祭り


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さてこのところ
爆読みしてたのがこのシリーズ

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まずは不食
ブリザリアン


覚醒者の上江洲さんも
食べない、寝ない、汚れない


なんでも空気中に
すべての栄養素が存在しているらしく
それを呼吸で取り入れていたという


ブリザリアンの人たちは
空気や太陽の光から
プラーナなるものを摂取し
体内の腸内細菌の働きで
様々な栄養素に転換しているらしい


草食動物の牛さんや豚さんは
草を食べても必須アミノ酸を作り出し
たんぱく質に変換する腸の働きがあるが
肉食動物の我々には
その働きがないため
たんぱく質を摂取しなければならない事情がある


それこそが多種多様の腸内細菌のおかげ


ブリザリアンの人たちの腸内細菌も
草食動物のように多種多様の微生物たちが
いらっしゃるようだ


やはりポイントは腸内細菌!


不食の弁護士
秋山佳胤さんも著書に書いている
世界は決して
弱肉強食ではなく
多種多様な多様性によって
調和が保たれている


腸内も世界も同じことなんだろう
フラクタル構造なんだなあ



不食者の人たちの共通の話では
食べないとあまり寝なくてすむという

寝る必要がなくなるので
その時間を様々なことに使えて
とても効率的だと言う


そもそも何かを食べるたびに
体内には活性酸素が
作り出されるというから
食べないと言う行為は
活性酸素の発生を抑制し
体の負担を減らす事にもつながる


私たちに寝る必要があるのは
魂の活動時間以外にも
1つには食べたものを
消化吸収する必要があり
そのためにたくさんのエネルギーが
使われるために
睡眠が与えられてるとも言える


人間の三大欲求である
食欲、睡眠欲は
実は幻なのかもね


食べなければ餓死してしまうという恐れが
人類の集合意識に
根付いているからだけの話なんだろう


その集合意識が変われば
食も変化していくだろう


牛さんをたくさん飼うために
たくさんの森林を伐採して
牧草地にする必要もないし
たくさんのエサも必要なくなってくる


そうなれば
食糧事情も変わってくるだろうし
食べるために必死に働く必要もなくなる


もはやこれからの食べる行為は
生きるための必須条件というよりは
スポーツや趣味の
一環になったりするんじゃないか


これからは
健康のためにも
地球のためにも
少食、微食、腹八分目がよろしいようで


むしろ過食によって
現代人は病気を作り出していると言っても
過言ではない

過食という状態は
実は心の飢えから来ていると
秋山さんは言う


だから食べなくてもいられるという
ブリザリアンになるには
そこには恐れやエゴや執着がなく
もちろん心の飢えもなく
心身ともに満たされて
赤子よのうなピュアさがないと
ムリなんだろうと思う



また不食になると感覚が鋭敏になり
特にすべてと繋がっている感覚が強くなるので
誰かや何かを
否定する事がなくなるという


すべてと繋がっていることがわかるから
対立したり
張り合ったりする必要がなくなり
争わなくなる


これぞまさしく世界平和の実現



これは「食べない 死なない 争わない」の著者
稲葉邪李さんや
「誰とも争わない生き方」の秋山さんも
まったく同じような内容のテーマで
本を書いている


ちなみにお二人とも
元裁判官や現役弁護士という
善悪の判断の世界で生きる
法曹界の人たち

善悪はない
争わない
と語る
そのパラドックスの面白さ


相手との意見の相違は
相違として受け入れ
対立することなく
そこから第三の道を探る


秋山さんは
敵となり得る訴訟相手にこそ
常にありがとうと
愛を送って仕事をしているという


すると泥沼の訴訟になることなく
すんなり和解したり
いい形で解決することが多いらしい


稲葉さんも
最後まで
争わない、殺さないという
選択をし続けることの
大切さを説いている


仮に自分の家族や国が攻撃されて
その仕返しを繰り返せば
何も変わらない


仕返しをしないままで
攻撃され続ければ
そのまま一定数の
犠牲者は出るかもしれないけれど
自分はあえて自ら
その犠牲者になるというその
潔さの裏には
死への恐れが見当たらない


そもそも人は死なない
魂は死なない


肉体を脱ぐ最後まで
争わない、殺さないを貫いて生きる事を
誰かが言い続け
やり続けるしかないと言う



そして
人は死なない
魂は死なない
という臨死体験の研究で
たくさんの本を世に送り出している
「生きがいの創造」で有名な著者
飯田史彦さんの本「ツインソウル」


そんな研究をしている飯田先生が
本当に自らも
臨死体験をしてしまったという

その体験での詳細が書かれた本だ


その本の中で
飯田先生は
光の存在たちとの会話を通して
たくさんの事を思い出していく


ツインソウルのこと
予定外の結婚や予定外の死
幽霊、残存思念などなど
多岐にわたるテーマがたくさん


そして肉体を脱いでから問われる
人生の本当の成功の意味は
社会的成功や地位や名誉、金品ではなく
たった3つのこと


充分に学んだか
充分に愛したか
充分に使命を果たしたか


人間社会における成功には
一切価値がない


価値があるのは
学ぼうとする努力
愛そうとする努力
使命を果たそうとする努力


何よりも大切なことは
「世のため人のために尽くす」のではなく
自分自身を愛すること


己の魂が、その人生を生きる事を選んだ
その人物、すなわち己を愛すること


「世のため人のために生きよう」と
考えるまでもなく
まず
「真に自分にとって価値のある人生を生きよう」
と考えるだけで
「自分のために生きること」が
そのまま
「世のため人のために生きること」になる


望ましい生き方とは
ただ自分自身を愛しながら生きること

真に自分自身を愛している人なら
ごく自然にそのままで
他の人々を苦もなく愛せる


誰かを愛するという行為は
相手のためでなく
真に自分を愛している人が
自分自身のために
ごく自然に行うことの出来る行為



秋山さんもまったく同じ事を書いている

その人がその人らしく
その存在を全うすることに尽きる

我慢はエゴ
わがままはエコ

我慢の本当の意味は
「我が慢心」であり
自分に執着している状態
つまりエゴ

一方「我がまま」は
「あるがまま」であり
その人の本質

本質を否定すると
その人から個性が消えてしまう
個性が消えると何のために
この世に生まれて来たのかわからなくなる

本来の自然なあり方そのものが
わがまま




そして
大切なのは結果や行為ではなく
何かを選択する際の「動機」が問われている


プリさんやアナスタシアがよく言う
純粋性のことだろう
ピュアリティ

その選択は愛からなのか
エゴからなのか




この4冊を同時に読んだからというわけでもないが
ほんとに同じ事が書かれているシンクロ


●すべてはつながっているということ
●私たちは同じ星に暮らす仲間であり
この世に転生して来た仲間でもあるということ
●まずは自分を愛するということ
●自分自身を生きるということ
●魂は永遠だということ
●宇宙に善悪はないということ
●魂に上下の区別はないということ


また家族についても
秋山さんや飯田先生が
同じような事を書いている

面白いことに
深いご縁がある家族もあれば
思うほどに
深いつながりがない家族もある


そこには実際の肉体の家族もあるが
一方で魂の家族もある

なのでそんなに家族に
執着する必要もないということ

だから秋山さんは
依存せず
拒絶せず
適度に距離を置いて関わるといい
と書いている



ついこないだチビと話してる時
近代文明と貨幣制度のテーマになって
チビが持論を展開し出したのに
ついつい私がそれをさえぎって
チビの意見を否定してしまった


そしたらチビに
「あんた(中2病の反抗期のため
あんた呼ばわりナウ)
と話してるとつまんない
すぐに意見を押し付けてくるから
もう喋らない」
と鋭い指摘をされて久しぶりに凹んだ


やっちまったw


私は他者から
意見を押し付けられることが
とても嫌いなのに
それを自分がやってるというねw


ついつい身内だと
特に子供だと親のエゴで
コントロールしようとしてしまう


自分とは違う意見にも
耳を傾け、受け入れ
第三の道を探るという
冒頭に書いたことなどつい忘れw


我が子であれ
対等な人間として尊重し
対等に向き合うというスタンスを
ついつい忘れるw


子供は
親の抱える恐れや矛盾やブレを
実は見抜いている


まだまだ未熟者の親でスンマソンm(__)m


まずは身近なところからの実践ですな(´Д` )



夏至であり満月の今夜
仕上げに万能酵母液たちを
月光浴させてみた~


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1年の中の大きな節目の夏至の日に
穏やかに過ごせることの有難さに
自然と手をあわせる夜なう