コロナ禍を駆け抜けた親父。前編 コロナ禍と医療崩壊 | 明日天気になぁ~れ!ミウラはり灸漢方院のブログ

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尼崎市武庫之荘のミウラはり灸漢方院のブログです。
ヤフーブログからの引っ越しです。
健康情報はもちろんの事、日常の色々なことを書いていきますね。
よろしくお願いいたします

こんにちは
ミウラはり灸漢方院です。

ブログがご無沙汰だった最大の理由は、親父が旅立ったことです

(2年前の僕の誕生日会での一枚)


令和4年
【5月23日(月)】
時系列にお話しすると
昨年の5月に、人の言うことを聞かず、勝手に買いもんに行って、それも2リットルのジュースのペットボトルなどを買って帰って来ていて転倒したことから始まります

【6月15日(水)】症状出現
2週間くらいして徐々に、歩行のふらつき、理解力、判断力の低下、思考がまとまらない、自分がどこにいるかわからないなどの見当識障害、尿失禁、などが出てきたので、転倒したことによる正常圧水頭症のシャントに何か問題が起こったと思い
長いこと手術してもらった労災には行って無かったので、MRI,CTのある近くの脳神経外科を受診し、そのまま労災に予約を取ってもらった

【8月6日 (土)】緊急搬送
労災受診の結果、軽度の脳出血があり2週間の投薬による経過観察ということになり、経過が良かったので
そのまま、シャントの再建術をしてもらう予定だったのだけれども労災受診の2日前の8月6日、ディから帰ってくると一歩も動けなくなり
意識も混濁してきたので、労災に電話した後緊急搬送した
その結果、尿路感染症ということでそのまま入院となった
この時、熱発していたら運んでくれないところでした。
老人の尿路感染症は、熱発しないこともある(つまりそれだけ抵抗力が無くなっている)そうだ
熱が有ったら、病院は診てくれない…。
これって、どう考えてもおかしいでしょ!
何のための病院?

【8月30日(火)】V-Pシャント術OP
そして、尿路感染症が完治した後、改めてシャントの再建術をしてもらうことになった
それが親父の誕生日の8月30日
労災病院は二次救急なのでいつまでも入院もできないので、かと言ってこの状態で直ぐには独居の家に帰れない


【9月14日 (水)】
ということで9月14日から12月12日までリハビリ目的でリハビリ病院に入院しました


【12月12日 (月)】老健入所
そして期限いっぱいの12月12日に退院と同時に老健に入所しました
この時になんとか自宅に連れて帰れないかと模索したのですが、食後吸痰もいるということで
今まで利用していたディも利用を断られ、八方ふさがりで老健しか選択の余地がなかった

 

自宅介護になってたら翌日にまた、転倒して死んでたかもしれないが、この入所が、結果親父の命を縮めることになる…。
とはいうものの、人の命・寿命はあらかじめ神さまが決められているんだと思う

【12月29日 (水) 】緊急搬送・受け入れ拒否

午後8時ごろ、施設から緊急の電話があり、身体の傾き、食欲不振、無表情があるとのこと
ただ、最近入ってきた同室の人が、コロナ抗原陽性になっているとのこと、親父は抗原検査陰性
症状から見てシャントに問題が起こったと思い、直ぐに労災に電話するも
患者いる所でないと医者とはつなげられないとの理由で、一旦電話を切り施設から掛けてもらた
施設側が医者と話すと、脳外の先生がやはりシャントに問題がる可能性がある
しかし、濃厚接触者になるのでここでは受け入れができない
CT.MRIのある病院を探して行ってくれとのこと…。
もう、むちゃくちゃ
医療崩壊、いやこれはもはや医療放棄といっても過言ではない

自分ところで手術した患者であり、その時の抗原検査は陰性。それでも濃厚接触者になるから診れない、受け入れできない
ほんまにどういうこと?
自分らで探せってどうするの?施設側と話しをしていると『とりあえず救急隊に来てもらってそこから探してもらいます』とのこと
午後8時過ぎ救急隊が到着しそこから受け入れ病院探しが始まった
1時間後くらいに施設から電話あり
『ちょっと遠いところでもいいですか?病院がどこも受け入れてくれないんです』
『遠いところって、どこらまでですか?』
『姫路・加古川あたりだそうです』
『このままだと、多分死んでしまうのでお願いします』
結局、救急隊到着から2時間後、25,6カ所目で一巡して、尼崎総合医療センターが、どこまで検査をするかは担当医師の判断によるが受け入れるということで搬送されました

僕たちが、病院に着いたのが午後10時
そこから医師の面談があったのが午前2時前
帰ったのが午前3時ごろでした…。

【12月29日 (水)】コロナ陽性で入院 
医師と面談すると
『今回コロナで入院ということですね』
『えっ、コロナ陽性なんですか?それはPCRですか?』
『はい、そうです、コロナで搬送されたんじゃないんですか?』と頓珍漢な返答
経緯を説明し直して、CT.MRIには異常がない
『CRPは?、尿路感染症は?』
『抗生剤を飲むのでその辺も大丈夫でしょう…。』
なんだかなぁ…。だいじょうぶかなぁ…。この病院…。
ということで、コロナ隔離病棟に入院となった

 

【1月8日(日)】退院 
国の基準ということで、10日後には退院し施設に戻った
今回の感染は
施設の職員から、同室の入居者に感染し、親父そしてその後クラスターになった

【1月12日 (木)】再び緊急搬送
朝に施設から、血圧低下、意識混濁にて緊急搬送する旨の連絡があり、県立西宮病院に緊急搬送された
弟とりつぎさんと共に病院地下の緊急待合室の方で待つ

ドクター曰くいつどうなってもおかしくない状態…。
県立西宮病院の救急の医師より、呼吸状態があまり良くない状態、いつどうなってもおかしくない状態と告げられる
酸素15リットル CPO2 78%
また、抗原が陽性ということと、12月29日にコロナで入院したことにより
コロナの治療はしないけれど、コロナ病棟に入院するとのこと

なんやねん、それ!
検査を終えて病棟に移動する前に親父と一目、一言話す


まだ、目はしっかりしていて、りつぎさんの問いかけに何か話しているが聞き取れない

 

                         後編に続く。