こんばんは。


 


札幌でヨガの気づきを交えたカウンセリングをしている、美生活&ウェルネスアドバイザー&エナジーヒーラーの天津貴美です。



 

心は元気ですか?

 

魂は元気ですか?

 

魂の器である「肉体」は元気ですか?

 

 

~このブログの説明です~

 

このブログでは、愛するパートナーを失った後の心の歩みと、「目に見えるものと見えないもの」との共存共栄、

 

そして、目には見えない透明人間なKaiさんとの日常をご紹介しております。

 

 

私の愛するパートナー、Kaiさんは2021年11月、突然この世を去りました。

 

本来魂は肉体を離れると天に戻りますが、Kaiさんはまた私の元に戻ってきました。

「私を支え、守る」という魂の契約のためです。

 

なぜ、私とKaiさんにこういうことが起きているのか…

それは一つは時代の変化と思っています。

 

どんな時代の変化でしょう…

 

時代の変化については、このブログで少しずつ明かしていこうと思います。

 

 

 


 

 

昨日、真犯人フラグが最終回でしたが、

※以下ネタバレなので、これから見る方はご注意ください。

 



 

西島さんが宮沢りえさんに話しかけた言葉に

私も気持ちが重なって思わずKaiさんの方を向いてしまいました。

 

 

今までドラマであぁいうシーンがあっても、どこか遠い話に感じていたものが

今は、誰かを亡くすという状況は自分も同じで、

そして、「近くにいたんだね…」のようなセリフも、全く同じように感じている…。

 

 

そして実際いるのですから、本当にそうなんだよ…と、感情移入して見てしまいました。

 

 

 

Kaiさんが亡くなった時、ショックで何が起きたのかわからず、

現実を受け止めることが辛くて、「もう生きたくない」と何度も思いました。

 

 

涙も出ず、ただ心と体が硬直しているだけの数日間を送りました。

一人でいるとどうにかなりそうなほど、気が狂いそうでした。

 

 

心配で見舞いに来てくれた友人知人が来ると、Kaiさんの思いを伝える時にやっと涙が出てくる。

誰かにKaiさんの話をして泣くことが悲しみの浄化になっていました。

 

 

とにかく誰かに話して泣く。

 

 

誰かに話すたび、どれだけ自分がKaiさんを愛していたか…

思い知らされました。

 

 

私達は仲がよければ衝突もとても多い二人でした。

厳しいKaiさんでもあったので、Kaiさんの機嫌を損ねないように気をつかうこともたくさんありました。

 

 

衝突しては泣いて、もう家を出ようと何度思ったかわかりません。

大人なのに辛くて泣いたのは、Kaiさんと一緒になってから初めてです。

 

 

一人自由に生きる選択もあった。それでも一緒にいたのは、

Kaiさんが私を力強く愛してくれていたのを魂が知っていたからだと、今は思います。

 

 

幼少期から愛を求めていた自分。

自分を理解し、まるごと包んで愛してくれたのは、自分の人生でKaiさんだけでした。

 

 

Kaiさんを失い、気づかされたことは、肉体というものはなんて私たちを翻弄させるのだろう、ということです。

 

 

形があると表面のことにとらわれて真意を見失ってしまう。

 

 

でも、形がなくなると、見えないことで、感覚だけが残る。

 

 

見えないことで真実が見えてくる。

 

 

形がなくなったKaiさんを思うと、そこには今まで感じていたいろいろなものはなくなり、

ただ愛しいという純粋な気持ちしかわいてきませんでした。

 

 

以下は自分が書いたその時の日記です。

 

 

 

Kaiさんが形としていた時は、Kaiさんの言動に悩まされることが多くて、「しんどい」「しんどい」と思っていた。それでも、大好きで離れられなかった。

 

今、形がなくなったKaiさんに対しては、もうそんな思いはなく、ただ愛しくて愛している。その気持ちしかない。

 

Kaiさんもおそらく同じ気持ちだから、今ここにいてくれるのだろう。

 

そう、私達にはもともと愛しかなかったのだ。

 

肉体や心が伴うと、いらぬ感情に翻弄されてしまう。

どれだけ無駄なエネルギーを使っていたのだろう。

その無駄がなければ、もっと穏やかで満ち足りた3年間だったかもしれない。

 

でも、心の葛藤があったからこそ、逆に愛しさが増していたかもしれない。

 

人は肉体や心から生まれる煩悩にとらわれることで、幸せから遠ざかってしまう。

煩悩から抜けて、本来の自分の思い、魂の求めるものにつながること、気づくことが「本来の幸せ」となる。

 

 

 

 

感覚で感じることが真実。

 

 

であれば、目と耳に頼らず、感性を研ぎ澄ませるために、自分を取り戻す瞑想はやはり大切だ…と改めて感じました。

 

 

 

悲しいこと、辛いことが起きると、なぜこんなことが…と何かのせいにしてしまいます。

 

 

でも、この世は全て、意味のないものはなく、必ず、気づかされることがあります。

 

 

不幸と思う出来事も、紐解けば、その反対にある「感謝」や「救い」も隠れています。

 

 

そこにどう気づけるか。

 

 

気づけたということは、どんなことであれ、一歩自分が成長し、進化できた時。

 

 

私自身、おそらく一般以上に苦しいことや寂しいこと、辛いことを経験してきた方だと思っています。そのうえ、こんな苦しい経験をするなんて、そうそうないこと。

 

 

そう思い、日々、気づいたことをこのように書き始めました。

 

 


これも、気づきの記録。


kaiさんは自分が入院するのに引っ越しを決めました。

私は、一人で入院の差し入れと引っ越し準備をしなければならず、時間に追われ大変でした。そして、kaiさんは退院後10日ほどしか新居に住まず、2週間後に戻る予定で入院し、突然亡くなりました。


亡くなるならなぜ大変な思いをしてまで引っ越す必要があったのだろうか…と悔しく思ってたなか、ふと浮かんだ気づきを書き残しました。




神様なんていない、神様なんて助けてくれない、という人もいるかと思いますが、

 

 

天や神は、偉大な母のような存在です。

 

 

人の母親も、子供の面倒を見ることだけが母親の役割ではなく、

 

 

子供が独り立ちできるよう、その成長を促し、

時には、厳しく接し、正しい方向に導くこともある。

 

 

子供が人生をよりよく生きられるために愛を持って成長を見守り、支える、

 

 

それが母親です。

 

 

 

私たちが、この世でよりよく生きられるために、本当の幸せを自分で見つけるために、

 

 

私たちは時に厳しい試練を与えられ、育てられています。

 


 

とはいえ、

今までも、苦しいことを経験するたび、自分の成長を信じてきた自分ですが、Kaiさんを失った時は初めて天を憎みました。

 

 

それでも気づきを得ていくうちに、やはり、悲しみや苦しみは不幸ではないと気づかされていき、

 

 

気づきと共に、自分の奥深さが広がり、同時に思考の感覚や視野が広がっていくのを感じました。

 

 

だから、もしこのブログを読んでいる方で、苦しいこと、嫌なこと、悲しいことに出会っている人がいたら、

 

 

少し落ち着いた時でいいので、その裏側にあるものをどうか、気づいていただけたらと願います。

 

 

そこに気づけた時、苦しみや悲しみは一瞬でも、自分を満たすものに変わっていくので…。

 

 

 

 

次回は、kaiさんとつながる方法をご紹介したいと思います。

 

 

長い文章、読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

HPが新しくなりました。 

『人生を心豊かによりよく生きるカウンセリング Swanlemuria/スワンレムリア』

 

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