自己肯定という言葉は
「自分はこれでいいのだ」
「このまんまでいいのだ」
「変わる必要ない」
ということになりかねないのでは
と想ってから
あまりこの言葉は使わないようにしている
おそらく自分が使いたい
より的確な言葉は
自己受容であろう
自己受容は
「あーん、こういう考えしちゃうのか私」
「イライラしてるんだな、私」
「逃げたくなっちゃうんだな、私」
など
「ああそうなんだね、私」
と受け止めることである
そこにジャッジはない
これがポイントである
こんな自分は「だめ」だとも
これで「いい」とも想わない
ジャッジしない
ニビシティのタケシが倒せない
倒せないのはだめじゃない
倒せなくてもいいわけじゃない
ただ
倒せないというだけだ
それを受け入れるのが
自己受容であり
そのことに向き合うのが
愛することであろうな
さあ
君ならどうする
レベルを上げたり
新しい仲間を増やしたりして
また挑みやしないだろうか
つまりそういうことだ
ロックっぽく云えば
「腐るなよ」とかになるだろうか
ポケモンに例えてしまって
知らない人には申し訳ないが
自分をポケモンに例えるのも
すごくいい訓練だと想っている
ポケモンじゃなくてもいい
ステータスにそれぞれの特徴があるし
タイプや特性
ドラクエなら職業か
使える技
姿かたちなど
実に多種多様である
そしてステータスが強くても
弱点があり突破口があり
攻略法があり対策法がある
弱くても然り
やりようで魔王は倒せる
ちなみに僕は
自分のことをフーディンだと想っている
体力も筋力も耐久力も乏しく
だがフットワークは軽く行動力があり
頭は我ながらキレキレだ
おまけになんか怪しいからエスパータイプ
フーディンは的を射ている
ただ僕は
嗚呼ただただフーディンである
ただそれだけなのである
さて
このステータスで
どう攻略していこうかね
自分を撫でながら
冒険は続くのである
甘やかすことが愛なのではない
では愛とは何かというと
先に述べたように
向き合ってるということ
静かで冷静なもののように想う
自分を愛するとは
自分と向き合うということ
自分と向き合うとは
自分が何ポケモンであるかを知り
ジャッジなく受け入れ
そしてポケモンマスター目指して
旅に出るということ
そして人への愛も同様に
依存せず放置せず
受け入れる
がしかし甘やかさない
「嫌われるかも」等と云って
逃げるのではなく
相手と向き合うこと
愛とは
何をしても怒らないことではなく
何をしても嫌いにならないことであろうな
それが真の寛容ではなかろうか
中途半端な僕たちが
意識しておきたいことは
ノージャッジということである
だめなんかじゃない
変わらなくていいわけでもない
よしよしさあ僕
参りましょうね
大丈夫だからね
ポケモンゲットだぜ!
職場が暇で筆が進んだ