直角さんと私は特に同じ手術と治療で九死に一生を得た
同志であり、家族や恋人と同じくらい、その存在は私にとって
大きな支えになっていた。
リアルタイムで自分の苦しみを自分のことのように理解してくれる。
当たり前なのだ。
ほぼ同じ時期に入院し同じ手術を、同じ抗がん剤、放射線。
思いやりの究極なのだ。
私が辛ければ直角さんも辛い治療。
直角さんが痛ければ私も痛い治療。
だからお互いが自分の限りなくリアルな疑似体験なのだ。
自分が痛くて気持ち悪くて、不安と焦りでもういい、負けてしまいたいと
思うことがある。
自分が落ち込んでいる時期同じくして直角さんも凹んでいたので
「私たち二人で一人分の生命力しかないんだったら私の分もあげるからがんばれ。」
と言った。
すると、彼女はそこまで絶望してないという意味も含め
「大丈夫!絶対回復するから!負けない負けない
」
と言って再びふるい立った。
そして私自身も再起するから不思議だ。
さらに直角さんと私はまた特別の経験を重ねた。
先週、同室の方の具合が急変し、見送ってしまった。
三日前まで笑って三人でおしゃべりしてたのに。
食が細くなった私においしいお漬物くれたおかげで
久々にご飯がお茶碗一杯食べられたお礼も言い損ねて。
「私たちは癌なんかで死なないでおこうね!」
感受性の強い直角さんはしばらく手足震えていた。
今生きているのに死ぬかもなんて怯えるのはつまらない。
根拠のないその言葉にも直角さんが付き合ってくれ、
「そうだよねえ!」
と言ってくれた。
癌なんかで死ぬつもりはない。
じゃあ何で死ぬかって?
それはいつか公開する時を待っていて欲しい。
くだらなすぎて笑っちゃうから。
早いもので入院して2ヶ月が経つ。
2ヶ月もいると、その環境にすっかり慣れてしまい、
生きていくのに必要のない見栄や体裁という部分から
省略していくものだ。
直角さんの場合。
開腹手術をした場合、ガスが出るということは
腸が活発に動いている証拠であり、
むしろ出ない私は腸閉塞のくせがつかないよう
注意しなきゃいけない。
患者である以上、我慢はナンセンスなのだ。
残念だが当初の乙女のような直角さんはもういない。
その謝り方はなんだ。
未確認だが、最近はカーテンしめずに着替えるらしい。
病室の窓からはタワーマンションが何棟もこっちに向いて建っているし
すぐそこの他の病室も窓からも人の表情もわかる距離である。
そして直角さんのベッドは窓際だ。
そんな直角さんが大好きだ。
ネタにしてない気遣いと大らかさに日々助けられている。
↓( ´_ゝ`)o"エイ( ´_ゝ`)o"エイ( ´。ゝ`)ノ"オゥ!!


