抗NMDA受容体脳炎で入院して、脳炎が落ち着いて「このままだと動けなくなる」と言われて、急性期病院からリハビリ病院へ転院した。


気管切開している私は1日の吸引回数が多いため、最初の病室はナースステーションに近かった。

その病室で自分で歩ける人、車椅子を自走できる人は1人もいなかった。
私も車椅子に移る時は全介助だった。



そんな部屋の隣のベッドだったのがきみこおばあちゃん。
いつも優しい笑顔でニコニコしている可愛いおばあちゃんだった。
なんと歳は95歳。



病室から家が近い息子さんが、毎日散歩がてらお見舞いに来ていた。

きみこおばあちゃんと息子さんの会話を聞いていると、どうやらおばあちゃんは耳が遠いらしい。
でも、息子さんが頼んでも補聴器をつけてくれない。
息子さんが何か言っても「聞こえん」とよく言っていたけど、そう言うのは息子さんに対してだけ。
看護師さんやリハビリスタッフとは普通に会話しているように見える。

大きな声が他の患者の迷惑になると思うのか、手帳を取り出して言葉を書いて見せると「見えん」とプイッとしていた。
聞こえるように大きな声で話したとしても、私を含めて気にする人は病室にいないからいいのに。意識がない人や認知症がかなり進んだ人ばかりだった。

いつもニコニコしているきみこおばあちゃんは、その息子さんにだけは本心で話して甘えてるように見えた。



ある日おばあちゃんが「家はどこなの?」と話しかけてきた。
おばあちゃんは私が気管切開して声が出ないことを分かっていない。説明するか迷ったあげく、口パクで地名を言ったら通じた。
「そうなの!じゃあ私の家から近いね。私の家はね…」と家の詳細な場所を説明し始めた。
いつも来る長男夫婦と同居していたけど、息子さんの奥さんは数年前に亡くなったらしい。

私の声は出ていないのにおばあちゃんとなぜか会話が成立していたのは、たぶん耳が遠くて人の唇を見て何を言っているのか読み取ろうとするのが癖づいていたんだと思う。

お互いベッドの上にいて、ベッドとベッドの間隔があるから離れているのに短い会話ならできた。



きみこおばあちゃんはベッドサイドに腰かけて、よくコックリコックリ居眠りをしていた。
「きみこさん!寝るなら危ないから横になってっていつも言ってるでしょ!」と、よく看護師さんに怒られていた。
怒られてもニコニコしているから、看護師さんも「もぉ〜」と毒気を抜かれていた。



私は気づかなかったけど、きみこおばあちゃんの認知症は進んでいたらしく、次男夫婦がお見舞いに来た時に自分の息子を認知できていなかった。

それは前かららしく、息子さんは何も言わず、奥さんは「いいのいいの。お兄ちゃんを覚えてれば大丈夫よ」とおばあちゃんに話しかけていた。

認知症は自分の家族を忘れる事もあると知ってはいても、いざ自分が忘れられたらどんな気持ちだろうと胸が痛かった。
同居していたし、入院してからも毎日お兄さんは顔を出していた、っていうのもあるのかもしれないけど、兄のことは覚えてて弟の自分は忘れられたって辛いよね。



ある日、私がリハビリ室から戻るとおばあちゃんのベッドが空っぽになっていた。
容態が急変してこの部屋よりナースステーションに近い部屋に移ったらしい。
ついさっきまでいつも通りだったのに…。
おばあちゃんがいた場所に違う患者さんが入った。それは、おばあちゃんがすぐ戻ってこないようですごく嫌だった。

きみこおばあちゃんの様子が気になっても、自分で車椅子に乗ってその病室を覗きに行くこともできなかった。

1週間くらい経って、隣のベッドにいた患者さんを病室内でなぜか移動させていた。不思議に思っていたら、看護師さんに車椅子を押されてきみこおばあちゃんが病室に入ってきた!
(良くなったんだ!よかった!!)と嬉しくて、口パクで「おかえりなさい」と言いながら手を振ったら、ニコニコしながら手を振り返してくれた。
看護師さんが「このお姉ちゃんのこと覚えてるの?」と聞くと「知らん」と言ってた┌┛┌┛ズコーw
誰にでも愛想よくニコニコして、みんなに好かれるきみこおばあちゃんの処世術はすごい。



私が気管切開した所を抜管するタイミングで病室が変更になった。
同じ部屋じゃなくなったら、きっとすぐに忘れてしまうだろうと寂しかった。

実際、リハビリ室に行くエレベーターで偶然会った時、私のことを分からなかった。リハビリスタッフは「起こして連れてきたから分からないのかも。寝起きはそういうことが多いよ」と言ってたけど、期待はしていなかった。


私が入院した頃は、おばあちゃんが調子がいい時に歩行器で歩くリハビリをしているのをたまに見ていたけど、容態が悪化した後は見ていなかった。

ある日、病室の外から声がして、見るとリハビリスタッフが「あのお姉ちゃん覚えてる?」ときみこおばあちゃんに話しかけていた。
「あらっ!あんたこんな所にいたの!!」と、驚きながら喜んでいた。
覚えててくれた事が嬉しくて手を振った。
「あのお姉ちゃんもなかなか動けないから、またがんばって歩いて顔を見に来ようね」と言われて、おばあちゃんは「また来るね」と嬉しそうに笑っていた。私も笑顔で「待ってるね」と言った。


入院生活は同じことの繰り返しの日々。
少しでも見知った顔がいたら嬉しい。
「95でどうして鍛えなきゃいけないの。ゆっくりさせて」とリハビリスタッフに言うこともあったおばあちゃん。
(あの子はどうしてるだろうか)と部屋までリハビリで歩いてくる活力になってくれれば、と思っていた。



きみこおばあちゃんは薬の調整も済んで退院になった。
てっきり息子さんとの家に帰るのかと思っていたら、病院と併設している老人ホームへ移っていった。


私が初めて外を歩くリハビリをした時、偶然その息子さんがお見舞いに老人ホームに入っていくのを見かけた。
今も毎日通ってるんだと安心した。



コロナ禍で今は面会禁止になってる。
きみこおばあちゃんは私のことはもう忘れてるだろうけど、息子さんのことは覚えているだろうか?
コロナにかかったりしてないかな?
100歳までがんばって!といろんな人に言われていたけど、来年100歳になる。

いつもニコニコして癒される笑顔は、もしかしたらマスクで見えないのかもしれない。

もう会えることはないだろうけど、思い出せたきみこおばあちゃんとの思い出を記憶がなくなる前に残しておく。