こんなマウント取りたがりな
元義母の変な性格に気づいたのは、
夫が亡くなってからのことだった。
それもお葬式でなので、タチが悪い。


夫も含め、
元親族はカトリック教徒なので、
日本でいうお通夜とお葬式は
教会でミサが行われる。

夫の時、元義母が盛んに
教会が溢れんばかり人々が
夫のことを思い、
御悔やみくださっている事を
人の数で語っていたことを
今でもよく覚えている。
その時は、私もそれが嬉しくもあり、
夫の人となりがもたらした結果なのだと思い、
ありがたいと思った。

ただこの元義母は、
何度も言うが曲者である。

それからというものお葬式のミサで、
私は彼女から耳を疑う様な
言葉を毎回耳にすることとなる。

この人は、お葬式のミサへ行くと
教会内を見回し、
人数とどの様な人々が来ているか確認して、
私やご近所さん達に夫の時と比べて
あーだ、こーだと言う様になった。

例えば、
“この人は、親族が沢山いるのに
あの人が来ていない、酷い”
“友達が少ないのね〜”
“市長さんまで来てるわよ〜”
“教会がガラガラで見送る人が
少なくてかわいそう”
“息子の時と同じぐらいの人が集まってるわ、
でも息子の時の方がもっとすごい人だった”
........

聞いている方としては、
どうでもいいわ、だから何?
これってお葬式だからといつも思っていた。
どこでマウント取りたがってるんだろう、
全くもって非常識で小さな田舎の世界で
自分中心で回っている人そのものだった。

私も当時は、この人は息子を亡くして、
可哀想だからこうやって自分を
保っているのかもしれないと
意見することもなく、聞き流していた。
どうせ私が意見しても
この人の考えが変わる事も
自分がとんでもないことで
マウントを取っている事も
分からない人であることは、
すでに承知していたのもある。

何よりも私には
毎日が娘と生きていくことで
精一杯だったので、
そう言ったこの人の発言を
聞き流す事ができたのかもしれない。

私は現在、心療内科に通い、
私の中にある元義母への思い(嫌悪感)を
吐き出している。
そう言った中で、
先生に投げかけられる言葉の中に、
私が生理的に受け入れられなかった
元義母の発言を思い出すのである。

以前のブログでも書いたが、
彼女はヤバい人=離れるべき人なので
心療内科の先生にも彼女事を考えたり、
気にする事が無駄で
離れるべき人だと言われた。
“あなたは、この人の親族ではないのだから”と。

元義母のマウント取りたがりは、
様々なところで顕著であって
そんな所ばかりに気を取られていて
この人の人生、つまらないなぁと心底思う。