明日、11月1日は
日本のお盆のような日で

今年は日曜日だけど、祝日だ。

お墓にもこの日の為に置かれる
花束や飾りがあるのだが、
11/1になる前にお墓に
おいてこなければならないので、
先週の内に夫の物は購入しておいた。

夫が眠る彼の実家のある墓地は、
年寄りが多い地域という事もあり、
朝から夕方までの暗くなる時間、
散歩がてらにお年寄りたちが
ひっきりなしにやってくる。

私はそのような噂話を
さらに大きくするような人々に
会いたくないので、
いつ行こうか時間帯を決めかねていた。
こういうとこってSNS上のように、
人づてに事実無根だったりする噂話が
あっという間に広がる。

先週の日曜の夜中に
冬時間になってくれたおかげで、
1時間、夏時間よりも
早く暗くなるようになったので、
仕事終わりで余裕がある日、
金曜日にしようと決めていた。

昨日は、来週からの
芸術・文化・スポーツ・飲食業の
ロックダウン前の最後のレッスンで、
仕事終わりにボスと来週からのことで
確認事項を行い、
帰りの車の中、時計を見て、
“うーん、どうしよう、
明日、早起きしてお墓へ行ってこようかなぁ”
と一瞬、この時間に行くのが
面倒かなと思った。

“でも待てよ、なんでもうこんな時間なんだ?”

はい、車の時計が冬時間に
なっていなかっただけだった。
一度は、家に帰りかけたけど、
ぐるっと回って高速道路に向かった。
墓地への山道は、久しぶりに走る、
走り慣れた筈だったが
思いの外に大変で
自分でもびっくりしたのと同時に
この道を冬に走る必要がない
今の環境に安堵しかなかった。

この道ね、抜け道だったりするので、
結構交通量が多いのだけれど、
大型トラックも使ったりするし、
冬は結構、怖い。
以前も大型トラックが坂を降りてからの
登りが上りきれなくて、止まっていたのを
目撃した事がある。

この道を抜けると墓地がある。

夜の真っ暗な中、
お墓へ行くって怖くないのかって
思われるかもしれないが、
私は率直にいうと全く怖くない。
夫が亡くなってからの1年半の間、
私は日本に里帰りしていた期間を除いて、
毎日お墓に通っていた。
時には、夜になってしまった時も
あったので、
きっと慣れてしまったにだろう。

墓地の周りも牧草地なので、
夏だと周りは牛しかいないような
外灯も全くないところだ。

私が唯一そういう場所で
怖いと思っているのが、
野生の動物。

お墓では、まだ遭遇したことないけど、
この時期になると特に山道を走る時に
注意しなきゃならないのが、
野生のキツネ、鹿の飛び出し。
夏は、ウサギ、ハリネズミ、リスかな...
リスは今の時期もだな。

話を戻して、
昨日私がお墓に到着した時間は、
とうに日も暮れて真っ暗だったので、
誰にも会うことなく、
明日の準備を整えてきた。
ほんの少しだけの夫との二人だけど時間。
懐中電灯で照らされた夫の墓石。

私、一個人としては、
明日は特に重要視していないので、
実は元義両親や彼方の親族のための
形だけのものだったり、
やらなきゃいけないことの一つとしている。
私は、カトリック教徒じゃないし、
この祝日は、
宗教色が強いから余計、
関わりたくない...が,
しかし田舎町の小さな世界。
見栄っ張りで世間体ばかりを
気にする元義母に
とりあえずの私の誠意ということで、
これだけは今まで続けてきた。

人にはそれぞれ大事にしているものが
異なるの当たり前で、
私の中では、
彼の命日のみが意味を持つ日で、
命日の年数だけが私が生きてきた証、
強くならざる得なかった証だとも思っている。
それが私の前を向く原動力になる。

彼の誕生日も歳を取らない人の
その日を考えるのが苦痛になり、
7月のその日は
大体、日本に里帰り中だったので、
元義両親からの見えない圧力と共に
一緒に過ごす必要がなかったので、
心底ありがたかった。

それにね、11/1の事を考えるよりも
もうすぐやってくる彼の命日に
しっかり供養してあげる事が
できればいいと思っているのですよ。
ただ場所は、どこからでもいいと思っている。

彼が逝ってしまってからの
数年間、私が彼のお墓へ行くことに
こだわったのは、
ただただ土葬という事実の中、
彼がこの下にどのように
眠っているかという絵を
私の中に描く事ができてしまった
というのが、理由だったのだと思う。

明日については、
元義母への義理は果たしたぞ!