劇場というか
コンサートホールなのですが、
私の高校3年間は、
今思えば芸術に直接触れることが
日常にあったとても幸せな時間だった。

私が通っていた高校は、
幼稚園から大学まである私立高校で、
とても変わったカリキュラムが
組まれていることが
特徴的な学校だった。
私は高校からの入学だったが、
当時は高校から入ってくる子が
ほとんどだった。

その変わったプログラムの一つとして、
附属大学にある
コンサートホールでの公演を
観劇することが
“学業の単位=ノルマ”として決められていた。
私達の学年は、生徒数600人程いたので、
学年ごと決められたり、
このクラスとこのクラスは
この公演を見に行くなど、
年間で10公演以上の
単位取得と称する義務が課せられていた。

校内にあるという名のコンサートホールは、
一般の方達も普通にチケットが取れるわけで、
値段も結構する代物を学業の一環として
見に行っていたわけだから
なんと幸せなことだったのだろうと
つくづく思う。
いろいろなことが記憶として
あまり残っていないのも残念でならない。

単位としての1年間の定番は、
春のパイプオルガンコンサートに始まり、
クリスマス時期は、第九、
フィルハーモニーコンサート、
新年にはニューイヤーズコンサート等へ
行った(行かなければならなかった)事が
記憶の奥底に残っている。
単位取得に関わる公演で、
印象に残っているのは、
ウィーン少年少女合唱団だ。
これは確か
クリスマス時期だったと思うのだが、
子供たちがモーツァルトのカツラを
かぶって歌っていた、可愛かった、
こんなに小さな子たちが
海外遠征なんてすごいなぁ
なんて思ったように記憶している。

その他にも海外・国内の
有名バレエ団の公演を
私が所属していたダンス部の
部活の一環として、
お手頃な価格で見に行った。

ソ連が崩壊する直前といった
時代背景の中、
ソ連に加盟していた小諸国のバレエ団も
来日していたり、
今ではきっと叶わないであろう
公演の数々を高校生だった私達は、
見る事ができた。

今でも忘れられないのが、
ボリショイバレエ学校の公演。
小さい子から私達の年代の若い世代が
完璧に鍛え上げられて舞台に立っていた。
この公演は、本当に素晴らしくて、
仲間達と何度か見に行ったぐらいだ。

その他にもボレロやジゼル...
壮々たるバレエ団の数々の作品を観に行った。

うちの学校には、
家族割引・優先制度というのもあって、
ある年、コンサートの年間予定表に
母が大好きなシャンソン歌手(なのかな?)
エンリコ・マシアスさんの
コンサートがあり、
一緒に見に行った。
それまでもそれからも家では、
彼の音楽がよく流れていた。

以前のブログでも書いたが、
2020年がこんなにも舞台芸術作品が
こんな混沌な時代に巻き込まれるなんて
思いもよらなかった。

当時の私に本当に本当に
言ってやりたい、

“こんな贅沢な3年間なんて
二度とないんだよ, 
作品を作り上げた人たちの信念を
しっかり味わって、
それを見る事ができる喜び、
幸せに感謝しなさい”と。

もしタイムマシーンがあったら、
当時の私を叱ってやりたい。

でもその3年間は、
私の人生において
決して無駄ではなかったと
思っている。
あの頃、観た光景や抱いた感情は
やはり私の中に残っている。

そしてバブル期の高校生活...
まぁ、華やかだったな。