先般、ニュージーランドでは地震の被害で大変な状況に
なりまいしたが、日本でも阪神大震災、新潟県中越地震などが
記憶に新しいですね。
その阪神大震災で、このような出来事があったのを
ご存知でしょうか。
その女の子の自宅の部屋には大きなクマのぬいぐるみがありました。
いつもは部屋に置いてるだけの大きなクマのぬいぐるみでした。
そんなある朝、M7.3の阪神大震災が起ったのです。
その翌朝、1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒。
淡路島北部沖の明石海峡でM7.3の大地震が発生したのです。
死者:6,434名 行方不明者:3名 負傷者:43,792名
避難人数 : 30万名以上
住家被害 : 全壊104,906棟、半壊144,274棟、全半壊合計249,180棟
被害総額 : 約10兆円規模
これが『阪神大震災』です。
その時、家中の物が飛び、ガラスが割れ、家具が倒れました。
女の子の両親は地震が収まると、娘のことを思い出し
急いで娘の部屋へ入ると、やはり家具が倒れ娘の姿が見えません。
娘の名前を呼びながら家具を起こしていくと
その下から、娘の無事な姿が現れました。
実は、いつもは置いてあるだけのクマのぬいぐるみを
その日に限って抱いてベットで寝たのです。
前夜、いつものように一人で寝ようと思っていると
そのぬクマのいぐるみが、
「今日は私を抱いて寝て頂戴」と言ったんだそうです。
そして翌朝、地震でタンスなどが女の子に向かって
倒れてきたのですが、女の子の代わりにクマが下敷きになり
いつもはそのスペースにいるはずの女の子は壁側にいて助かったのです。
両親が驚いてその話しを聞きただすと、女の子は
「(クマの声は)お婆ちゃんの声だった」。
そのクマは少し前に亡くなった祖母のプレゼントだったのです。
人形の話しでもう一本。
上述のクマさんと似ているんですけど
先ほどの話はテレビで再現ドラマで放送していたので
ご存知の方も多いでしょうが、
インターネットでは、こちらの話がポピュラーです。
以下の話しが書かれると「感動した」「泣いた」の
コメントが多数寄せられる話しです。
以下、引用です。
なんか思い出した、子供のころの妙な友達。
自分、両親共働きで鍵っ子。
とは言っても託児所みたいな所で遊んで帰って、
家で一人でいるのは一時間も無い。
んで、その一時間がその「ともだち」との交流の時間。
うちに何故だか有った、腹話術用の人形なんだが、
そいつは何故か妙にお洒落で、
子供心に美形な15歳ぐらいの顔の人形だった。
どうやら両親が古道具屋で惚れて買ってきたらしいんだが
…そいつはすごいお喋りだった。
いっつも和室のタンスの上に置いてあったんだが、
さすがに自立は出来ないらしく、
俺が来るとクイっと足を組んで、組んだ上に両手を置く。
超気取り屋。超キザっぽかった。
で、いろんな話をしてくれた。
と、言ってもいつも彼の体験談。
演じた劇のお話とかそんなん。
(おかげさんで俺は、ろくに本を読まないのに
童話とかには超詳しかった。)
で、ある日。何時もどおりに「ともだち」と他愛の無い話をしてたんだ。
そしたら、妙な事を言い始める。
「さて。そろそろ僕たちもお別れだ。
○○(俺)にはやらなきゃいけないことがある。
遠足の準備をしな。
ありったけのお菓子をリュックに詰めて、
お布団の近くに置くんだ。
大事なものもリュックに入れて、
いつでも遊びにいけるようにね。
着替えも近くに置いとくといいね。
僕?僕も行くよ?
でも○○とは違う。
うん、ここより面白そうな所だ。
うん。きみより面白いよ。」
とまあこんな意味合いと調子で。
で、俺は当時、非常にアレな子供だったから、
遠足の言葉に喜んで、リュックにお菓子詰め込みまくったさ。
おかんとかはまた俺の奇行かとおもって、流してくれたが。
で、その日寝てると、急に両親にリュックと一緒に連れ出された。
俺は寝ぼけてわからなかったけど、地震らしい。
いわゆる、阪神大震災。
家、盛大に半壊。「ともだち」は、行方不明。
服の生地すら見つからんかった。
そんなかつての友を思う不可解な話。
<【奇跡】命を助けた人形 終わり>
・・・上述の記事ですが冒頭で「2011年3月10掲載した記事」と書きましたが
この掲載した翌日、3.11東日本大震災が発生しました。
(hiko)