【信じて実践】勝利の法則『北から攻めろ!』【奇門遁甲】(※再掲載) | Let's easily go!気楽に☆行こう!

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今回の記事は2014年3月22日掲載の記事を

大幅に改定して再掲載いたします。

(hiko)










記事はここから








皆さま、奇門遁甲(きもんとんこう)という

占いをご存知でしょうか。


諸葛孔明も使ったといわれるもので

ぶっちゃけ簡単にいうと中国を起源とする方位学です。

(ぶっちゃけすぎでスミマセン。ググって調べてください)

これがよく当たる!と言われるので

僕も本を一冊買いました。

その本の中身はほとんど覚えていないんですが、

一つだけ、覚えている部分があるんです。


それが、このタイトルでお分りのように

奇門遁甲においては「北から南に攻めるほうが強い」

ということです。


具体的にいいますと、

1861年に、奴隷制度の存続の是非ではじまった

アメリカの「南北戦争」(American Civil War)は、

62万人もの死者を出す凄まじい争いの結果、

北軍が勝利を収めました。



また1950年、朝鮮半島の主権を巡って、

北朝鮮が軍事境界線を越えて

韓国に侵攻したことによって勃発した「朝鮮戦争」。

この戦争は熾烈で、調べるほど凄い内容でビックリ。

北朝鮮がいきなり南(韓国)へ奇襲攻撃を仕掛けたことで、

戦況は北側が有利で進むもアメリカが韓国の助けに入ったことで

韓国側が持ち返すが、北朝鮮は中国の援助を受け大反撃を開始。

不利になったアメリカと韓国だったが、国連安保理は

北朝鮮弾劾・武力制裁決議に基づき韓国を防衛するため、

必要な援助を韓国に与えるよう加盟国に勧告し

アメリカと韓国側にイギリス、オーストラリア、ニュージーランド、

ベルギーなどの多国籍軍が加勢することになり、

平壌とソウルの占領と奪還を繰り返したが

最終的にソ連の仲介で休戦となる。

この戦争は南北で互角のように思われるも、

常に戦局は北側が有利に進み、加勢した国の数などを見ても

どちらかというと戦況は「北側」が優勢で進んでいました。



そして1960年、インドシナ戦争後に、

ベトナムの南北統一を巡って起こったベトナム戦争。

これまた調べると朝鮮戦争のように、凄まじい・・・。

”最終的”には北ベトナムが勝ちました。

(北ベトナムがおとなしくしたふりをして、

アメリカ撤退後、戦闘を再開。その結果、

「南ベトナム共和国」は消滅し、北ベトナムが南側を完全に掌握した。

究極の「死んだふり」作戦といって言いでしょう。)



実は朝鮮戦争とベトナム戦争は「アメリカ対共産主義」

の代理戦争だったと言えるものでした。



(今回は戦争を扱う記事でないので、詳細には触れません。

朝鮮戦争及びベトナム戦争の記述に関して、説明不足の点が多々ありますが、

「方位学」の話をする上での一例として取り上げたまでですので、

その点、ご理解とご容赦をお願います)






戦争における勝利とは、

相手を「屈服」そして「降伏」させることです。

朝鮮戦争とベトナム戦争は、南北どちらが勝ったとは

言いませんが、どちらも北側が優位で進んでいたと

言えると思います。



重ねて言いますが、奇門遁甲では『北から南へ攻めるほうが強い』

言われているということ。

この法則を用いるなら「商談」「受験」「告白」「勝負」において

北側から場所に向かったほうが有利になると思われます。

でも、場所が北にある場合だと、北上となってしまうため

うまくいかないじゃないか、と思われる方もおられるでしょう。

そういう場合は、行きたい場所から北側に一旦身をおいてから

南下するルートをとれば問題はないと書かれていました。



みなさん、この法則を用いて、受験や商談、告白に

勝利しようじゃありませんか!




「勝ちたかったら北から攻めろ!」


これを信じるか信じないかは、













アナタ次第です。








「007 死ぬのは奴らだ」より


live and let die ポール・マッカートニー