【The War Magician】イギリス軍の最高機密とされた奇術師の話 | Let's easily go!気楽に☆行こう!

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一人の天才奇術師がいました。

ただの奇術師ではなく、彼の功績(マジック)により、

イギリスは第2次世界大戦で

ドイツを破ったとも言われているのです。


彼の名前は『ジャスパー・マスケリン

(Jasper Maskelyne 1902年 - 1973年)』といった。




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マスケリンの功績はイギリス軍の最高機密として決まった1946年から

100年の間封印され、2046年に公開予定されているとのこと。


自伝書『Magic: Top Secret』およびデビッド・フィッシャーの

『The War Magician』によると軍におけるマスケリンの経歴は

以下の通りである。



第二次世界大戦が始まるとマスケリンは自分の技術を

カモフラージュに役立てられると考え、イギリス軍の工兵隊に参加した。

彼はテームズ川で鏡と模型を使ってドイツ軍艦のイリュージョンを作ってみせ、

当初は懐疑的だった士官を納得させた。

彼は西アフリカ戦線に配置され、基本的には

部隊の中で奇術を通じて慰安活動を行なっていた。



1941年1月、アーチボルド・ウェーヴェル大将は

欺瞞と防諜を目的とした部隊「Aフォース」を設立した。

ここに任命されたマスケリンは建築家、絵画修復技術者、

大工、化学者、電気設計士、電気技師、画家、舞台技師など

14名からなるグループを組織した。

彼等はマジックギャングという通称で呼ばれた。




マジックギャングは数多くの手品を行なった。

彼等は絵の描かれた布と合板を使って

ジープを戦車のように見せかけ、キャタピラの痕跡まで偽装する一方、

戦車をトラックに見せかけたりもした。

彼等は軍隊や軍艦のイリュージョンも作ってみせた。




彼の最大の手品はアレクサンドリアのスエズ運河を隠蔽して

ドイツ軍の爆撃機の方向を誤らせるものである。

彼はアレクサンドリアから3マイル離れた湾に夜明かり、

建物、灯台、高射砲隊といったものの模型を作った。

またスエズ運河を隠すために回転する円錐状の鏡を用いて、

回転する光で幅9マイルに及ぶ光の輪を作った。




1942年、マスケリンは第二次エル・アラメイン会戦に先立つ

バートラム作戦に参加した。

これはドイツ軍のロンメル将軍に連合軍が

南から攻撃してくると思わせるためのもので、

実際にはイギリス軍のモントゴメリー大将は

北からの攻撃を計画していた。

北には千台もの戦車がトラックに偽装されていた。

南にはマジックギャングによって二千台の戦車の偽物が置かれていた。

偽の線路、偽の無線会話、偽の建築音まで偽装された。

偽の水用パイプラインも敷設され、

攻撃が行なわれるのはずっと後であるように見せかけた。

マジックギャングの働きにより、ロンメル軍団に無駄な

爆撃を繰りかえし、行わせることに成功し、

「砂漠のきつね」と呼ばれたドイツ国防軍の軍人、

ロンメル将軍を倒し戦争に打ち勝ったのだ。




この作戦ののちマジックギャングは解散し、

ウィンストン・チャーチルはマスケリンの成果を褒め称えたが、

マスケリン自身が望んだほどには評価されなかった。

マスケリンは舞台奇術へ戻ったがさほど成功せず、

ケニアに移住して自動車学校を設立した。




ガーディアン紙は2002年6月28日の記事で率直にコメントしている。

「マスケリンの功績は公式には全く認められなかった。

これは虚栄心の強い男にとっては耐え難いことであり、

彼はみじめな酔っ払いとして死んだ。

彼の経歴は胸躍るものだが、

その最期はいくばくかの痛ましさを残している。」






ジャスパー・マスケリンは1973年に死んだ。





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