都市伝説 vol.99【人柱は実在したのか!?】 | Let's easily go!気楽に☆行こう!

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1 名前:佛[] 投稿日:2001/08/06(月) 01:07

僕の近所の溜池には人柱の伝説があって、
犠牲になった乙女をマツっている神社まであります。
これってほんとなんでしょうか?
人柱なんてほんとにあったのか疑問です。
溜池にはそういったなんらかの伝説がくっついてる場合が
よくあると聞いたこともありますが。
誰か人柱について詳しい人教えてください。






7 名前:天之御名無主[] 投稿日:2001/08/06(月) 08:57

民話には沢山あるよね
有名なのは
「雉子も鳴かずば撃たれまい」っていうのがありますね。






8 名前:nanashi[] 投稿日:2001/08/06(月) 09:47

>>7
長柄の人柱伝説だね。
「物いわじ 父は長柄の人柱 鳴かずば雉も 射られざらまし」


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推古天皇の時代(飛鳥時代)、古代の長柄橋の架橋は難工事で、
人柱を捧げなければならないという状況になった。
そのことを垂水(現在の吹田市付近にあたる)の長者・巌氏(いわうじ)に相談したところ、
巌氏は「褌(はかま)に継ぎのある人を人柱にしなさい」と答えた。
しかし皮肉にも、巌氏自身が継ぎのある褌(はかま)をはいていたため、巌氏が人柱になった。
巌氏の娘は北河内に嫁いだが、父親が人柱になったショックで口をきくことが
できなくなったため実家に帰されることになった。
夫とともに故郷に向かっている途中、1羽の雉が声を上げて飛び立ったので、
夫は雉を射止めた。その様子を見た巌氏の娘は「ものいわじ父は長柄の人柱鳴かずば
雉も射られざらまし」
と詠んだという。
妻が口をきけるようになったことを喜んだ夫は、雉を手厚く葬って北河内に引き返し、
仲良く暮らした。
現在の大阪市淀川区東三国に、古代長柄橋の人柱碑が残っている。
長柄人柱伝説は、「長柄の人柱」や「雉も鳴かずば打たれまい」という
「口は災いのもと」という意味のことわざの由来とされている。


※ウィキペディアより抜粋。





6 名前:非決定性名無しさん[] 投稿日:2001/08/06(月) 08:11

記憶は曖昧だが、関東大震災で
皇居のどっかが壊れて、それを修復する為
基礎を掘り返したら人骨が数体出てきた、ちゅう内容だったような。

で、問題になったのは、天皇家も人柱立てたのかどうか、だったと思う。
こういう事、あんまり書くとマズイかしらん。






8 名前:nanashi[] 投稿日:2001/08/06(月) 09:47

>>6
大正時代、皇居二重櫓下から、人骨が出てきて人柱か否かの論争が起きた
らしいね。
そのとき、南方熊楠が「人柱の話」と言う随筆を書いて、実際に近世まで
人柱が行われていたこと説いた










◇人柱が実際に確認された例~

・新潟県板倉区 昔、村を訪れた旅僧が人身御供となり地すべりを止めた。
 伝説とされていたが、昭和12年に土中から大かめに入った座禅姿の人骨が発見され
 史実であることが確認された。

・常紋トンネル - タコと呼ばれた労働者の骨が待避壕から出た。
 タコが生き埋めにされたことは、当時のタコ部屋労働者他の証言から明らかになっている。

皇居 - 1923年の関東大震災で倒壊した二重櫓の改修工事の最中、頭の上に
 古銭が一枚ずつ載せられた16体の人骨が発見された。
 皇居と深い関わりにあった黒板勝美は宮内省から調査依頼を受け、実地見聞を
 1時間半程度行っただけで人柱否定説を打ち出し、そのまま公的調査は終了した。
 その後中央史壇などで供犠の話題で特集が組まれた。喜田貞吉は黒板の発言の矛盾を指摘、
 批判しながら、人柱の文化的な意味について考察を広げようとしていた。
 1934年にも坂下門近くで5人の人骨と古銭が発見されるが、治安維持法のためか
 大きな議論とはならなかった。








58 名前:天之御名無主[] 投稿日:02/03/29(金) 00:18


人柱の話って、実はほとんど実話で
伝説ぢゃないような気が・・・(゚Д゚)













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