言霊とは、言葉が何かしらの力を宿し、実際にこの世で暮らす我々に
様々な影響を及ぼす存在である、という密やかな認識。
ゲンを担ぐ、なんてことをよく聞くが、一般的な言葉の中にもゲンを担いだものがあり、
例えば結婚披露宴の締めくくりの席で「それでは、これでお開きに・・・」なんて
挨拶も言霊を意識したゲン担ぎの言葉。
めでたい結婚祝いを「閉める」のは縁起が悪いから、全く逆の「開く」という言葉に
置き換えて、ついでに「若い夫婦の前途が開かれるように」という気持ちと
ひっかけているのだろう。
縁起の悪い言葉は日本人に嫌煙されてきた。
言葉が本当にそんな力を持っているのか判らないが、言葉を一度悪い方向に考えてしまうと、
そのイメージは中々拭い去れない。
イメージが悪いと縁起が悪い。縁起が悪いと悪いことが起こる。
だったら、呼び方そのものを変えてしまおう、という言葉に対してなんとも
柔軟な日本人らしい考えではないか。
さて、そんな日本人の性なのか、あるお屋敷に一本の「杉」があるという。
日本人の性とスギとなんの関係があるんだ、そうお思いになるだろうが、
実はこの木が「杉」と呼ばれるのには深~いワケがあるのだ。
その杉は元々、とあるホテルに植えられていた。
戦前から開業している由緒正しいそのホテルは、美しい芝生と日本庭園のコラボが
外国人にも人気だったのだが、日本の近代化にともなって大々的に改装することになり、
建物の改装と一緒に庭園も手を入れることになった。
庭園には素晴らしい松があった。日本庭園には欠かせない松。
京都のお寺の屏風に描かれているような、枝振りも見事で、大きさも手ごろ、
龍の鱗のような美しい樹皮の松。松なんかに興味のない人でも、これは見事な・・・と、
その価値が判るほどの逸品。
なのに、ホテルのオーナーは庭園の工事をするとき、ぜひこの松を処分したいと
思っていた。松を切ってしまいたいというオーナーの言葉を耳に挟んだ庭師は、
ここまで立派になった松が切られるのが耐えられなかった。
自分がホテルの庭師になった時から手塩にかけて世話をしてきた松だ、
これだけの木は他でも滅多に見られない、庭師として、精魂込めてきた松を
切られてしまうのは、身を切られるより辛かった。
庭師は「これだけの松を切るのはもったいない、ぜひ残してほしい」と頼んだが、
オーナーは了解しない。この松はどうしても切らなくてはならない、そう毅然と答えたという。
庭師が首を吊ったのは次の日だ。彼は愛着あるその松の枝にロープをかけ、
首をくくってて発見された。
オーナーは松を切るのをあきらめた・・・いや、本当は、庭師の首くくりを
目の当たりにして、確実にこの松を処分しなくてはと決意したのだが、
ホテルが世話になっている金持ちに、処分するならぜひ譲ってほしいと頼まれ、
伐採するのをやめてその人に譲ることにしたのだ。
松は根から引き抜かれ、金持ちの屋敷の庭に植えられた。
半年後、オーナーは松を譲った家の葬式に参列しなければならなくなった。
その家の奥さんが、あろうことか同じ松の木で首をくくって死んだのだ。
実は、その松で首をくくったのは、金持ちの奥さんで7人目であるという。
松は元々、先代オーナーがホテルを開業するとき、地元の富豪から譲り受けたものだが、
富豪の家に植えられていた頃からすでに二人の人間が首吊りをしたという
「いわくつき」の代物で、良い松ではあるが、親族が二人も首をくくった松を
そのまま植えておくのは縁起が悪いということで、商売としてホテルの庭に
植えるなら支障がないと祝いに贈られた木だった。
先代オーナーはそういう話はまったく信じないタイプの人間だったから、
見栄えの良い松を喜んで譲り受け、ホテルの庭園に植えた。
稼業を継いだ現オーナーが松の「いわく」を知ったのは、従業員の女性が
その松で首つり自殺をした時、オーナーの母親が「この松のせいかもしれない・・・」
と初めて打ち明けたからだ。
実は、父親である先代オーナーもこの松で首をくくって死んでおり、
宿泊客にも自殺者があった。
そんな話を聞いてから、オーナーは松を処分しなくては、と考えていたのだが、
なんの理由もなく松を切るのは恐ろしい気がした。
お墓や、喪服を新調する場合も、必要もないときに作ると葬式(死人)が出る、
なんてことを昔からいう。
ホテルを改装するついでに松を切れば、いちおう理由がつくのではないか、
そう考えたのだが・・・結局は死人が出てしまった。
首吊り松・・・
誰も口にしないが、この松のいわくを知っている人間なら皆そう思っているだろう。
この松は「首吊りまつ・・・首吊り待つ」だ。こんなことは信じられないかもしれないが、
さすがに同じ木で7人もの人間が首をくくったとなると、身の毛もよだつ気がする。
やはりこの松は処分なさった方がいい・・・オーナーは松を譲った金持ちに
そう忠告したらしい。
さあ、ここで話は冒頭に戻る。あるお屋敷に一本の「杉」がある、と書いたが、
松は処分されずに「杉」と呼ばれてその屋敷に植えられている。
植木好きの金持ちは、どんなに大勢の人が首をくくったとしても、
この木の価値は素晴らしいと考えて処分しなかった。
その代り、松は「杉」と呼ばれるようになった。
「首吊り松(待つ)」では縁起が悪いから
「首吊り杉→首吊りすぎ」として、すでに首吊りしすぎであるから、
これ以上首くくりさせるな、という意味合いらしい。
その屋敷に出入りしている造園業者が屋敷の主から聞いた、嘘のような本当の話。

※ 写真はイメージです。
本文とはまったく関係がありません。
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