知る人ぞ知る行列店の雄で、
「ラーメン二郎はラーメンではなくラーメン二郎という食べ物である」
という言葉さえある人気ラーメン店です。
暖簾分けやインスパイア店など現在は65店(hiko調べ)もあります。
関東に住むラーメン好きなら誰でも知っているこのお店の話をちょっとだけ。
まず名前の「二郎」ですが、これは創業は1968年(昭和43年)、
東京都目黒区の東京都立大学近くで開店し、当時の店名は「ラーメン次郎」。
これは開店前年の1月にエースコックから発売されて人気となっていた
インスタントラーメン、「ラーメン太郎」にちなんだものだったのです。
それが1970年代前半、目黒区による下水道工事のために店舗を移転することとなり、
港区三田・三田通りの元洋食屋店舗にて営業を再開しました。
その際、ペンキ屋が新店舗の看板の「次郎」とすべきところを間違えて
「二郎」と書いたことから、以降はそのまま「ラーメン二郎」表記で通しています。
ペンキ屋さん、グッジョブ!といったところなんでしょうか(笑)
で、今でこそジャンク系ラーメンの代表として
有名な「ラーメン二郎」はどうやって生まれたのか?
本店の店主であり創業者である山田拓美の言葉を以下に掲載。
「当時、『ラーメン太郎』ていうインスタントラーメンがあったんだよ。
それにあやかるつもりで『同じ太郎では申し訳ないから、
ラーメン次郎』に決めたんだ。」
ところが、お客は全然来なかった。
それもそのはず、山田さんは、ラーメンを作ったことはおろか、
ろくに食べたこともなかったのである。
「当時はラーメン屋もなかったし、取り立ててラーメンが好きでもなかったから、
ほとんど食べたこともなかったんだよ。
『まあ、屋台のラーメンぐらい簡単だろう』とタカをくくって、
我流で作ってたんだよな。それこそ『思うがまま』(笑)ってやつだよ。」
「半年ぐらい、全然客が来なかったよ。休まずにやったんだけどね。
でも半年目に、これじゃあしょうがないと思って、やめることにしたんだ。」
「廃業」と決めた日。
山田さんは来ないお客をあきらめ、一升瓶を買い込んで酒を飲みながら店番をしていた。
そんな時、4人組の学生が店にやってきたのである。
「『ラーメンくれ』って言うんだけど、だいぶ酔っぱらってたんで
『ラーメン屋はやめたから、もう作んない。欲しけりゃ勝手に自分で作れ』って言ったんだ。
そしたら面白がって、学生がラーメン作ったんだよ。
それ食って『おまえら、俺より上手いなあ』(笑)とか言って。
それで酒を買い足して、そいつらと酒盛りをやったんだよ。」
学生達は口々に「このラーメンはうまくない。」
「こんなラーメンじゃあ、おじさん、売れるわけないよ。」と正直な感想を言った。
それを聞いた山田さんは、「だから廃業するんだ。」と切り返した。
「でも学生が『そんなこと言うなよ、明日も来るからさ。明日もやれよ』って言うんだよ。
俺が『ホントに来るか』て聞いたら、『必ず来る』って言うんだ。
それで次の日もやってみることにしたんだよ。」
学生達は本当にやってきた。そしてラーメンを食べ、改めて「おいしくない」と言い切った。
「『じゃあ、やめる』て言ったら、また『そんなこと言うな、今度は友達も連れてくるから』
って言って、次の日は友達を連れてきてくれたんだ。
それで、『このままじゃ、まずい』と思うようになったんだな。」
せっかく来てくれたお客さんのためにも、このままでは終われない。
そう思った山田さんは、ラーメンのことを一から研究することにした。
しかし、ラーメンについての知識は何もない。
「ラーメンとはどうやって作るもんか、勉強しようと思ってさ。
それまで昼の11時から夜の12時半まで営業してたのを、昼をやめて、
中華料理屋にアルバイトしに行ったんだよ、斡旋所にウソついて(笑)。」
1ヶ月間の中華料理屋での体験は、驚きの連続だった。なにしろ「スープは寸胴で取る」
ことすら知らず、普通の鍋で作っていたと言うくらい、山田さんは
ラーメンに無知だったという。
「やっぱり違うんだ、こりゃやべえなあと思ったよ(笑)」
しかし、一旦吸収し始めると、あとは早い。
「もっと脂っこい」
「もっと味が濃い」など、自分の中でラーメンのイメージをふくらませ、
わずか2週間で現在のラーメンを作り上げたのである。
太い麺を選び、スープを2本作ってブレンドさせ、醤油の塩味を抜くなど、
独自の工夫の結果、ラーメンは完成した。
「だからラーメン作りは、誰にも教わってない。味も麺も、全部自分の好みで決めたんだ。
完成した時は、『これでいける』という自信ができたね。」
山田さんは、完成した新作ラーメンを、さっそく例の学生達に食べさせると、
大変な好評だった。ここから二郎の味は始まるのである。
いかがですか。
ただのラーメンなれど、裏話を聞くと少しは
違った印象になりませんか?
もっと詳しく創業者である山田拓美さんの話を読みたかったら
「ラーメンは人なり ラーメン屋が生んだ都市伝説」
の「前編」「中編」「後編」をご覧ください。
◇「ラーメンは人なり ラーメン屋が生んだ都市伝説」
http://www.ny.airnet.ne.jp/jumbo/___001/08_jiro/jiro_01.htm
この動画を見て気づく人は気づいたと思うんですけど、
この逸見さんがいったお店ではレンゲがありません。
店主が「うちのスープは飲むもんじゃねぇ」と言ったとか言わないとか・・・・。

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