世の中には霊を肯定する人、否定する人がいます。
(僕はどちらかと言えば「いる」と思っています。
見たことはないけど・・・)
心霊に限らずスーパー・ナチュラル全体に大して否定的な人物としては
早稲田大学名誉教授の大槻義彦教授が有名ですが、
ケンブリッジ大学法律学教授だったリチャード・ホジソン(1855年9月24日ー1905年12月20日)
も否定派として有名な一人で、彼が調査した交霊会などの現象はほとんど否定的結果に
終わったため、「ほとんどすべてのプロの霊媒たちは、多少とも互いに結託した、
卑しい詐欺師の一団である」と報告し、またそう信じていた。
・・・信じていた。
そう彼、リチャード・ホジソンが霊媒師・パイパー夫人を調査するまでは。
詩人で作家のジョージ・ペラムはホジソンと知り合い、ホジソンを
米国心霊現象研究協会 (ASPR)に誘ったものの、ホジソンは心霊というものに
否定的な見解打ち出すことで、逆の意味で重要なメンバーとなったのです。
1889年、パイパー夫人の調査をするうち、その誠実さを認識したホジソンは、
さらに夫人にとって未知な環境での交霊会を観察するため、英国に招待した。
夫人は厳重な監視下で88回の交霊会を開き、多くのSPRメンバーが
死後存続を確信したが、ホジソンはまだ懐疑的な姿勢を保っていた。
1892年、ホジソンをASPRに誘ったジョージ・ペラムが事故死。
その1ヶ月後、彼はパイパー夫人の交霊会に登場した。
ホジソンはすぐには信用せず、ペラムの友人を何人も匿名で交霊会に参加させ、
会話の内容を確認した。
ペラムは旧知の友人たちをすぐに見分けて名前を呼んで話しかけ、
話し方は生前の特徴をよく備えていた。
また、子供の頃に会ったきりだった者はわからない様子だった。
生前会ったことがない者が混ざっていると、「面識がない」ときっぱり言い切った。
ペラムについてさまざまな角度から検証したホジソンは、
ついにパイパー夫人の霊媒能力だけでなく、死後存続も真実であると
確信するようになった。
1897年、パイパー夫人を通じて現れる霊が「レクター」と名乗り、
これ以上ペラムを当てにしないよう警告した。
その後はレクターが主な通信相手となる。
(注:レクターとは物質化霊は自動書記で、時として
エクトプラズムとして現れることがあったようです)
レオノール・パイパー夫人ー。
彼女を調査した後でそれが偽物だと言う者は誰もいないどころか、
最も筋金入りの心を閉ざした懐疑論者さえ、彼女の霊媒行為を認めた
本物の霊媒師と言われています。
3年間にも及ぶ徹底した調査の末、ホジスンはパイパー夫人の霊能力を
正真正銘の本物と認める報告書をアメリカ心霊研究協会に提出しました。
ホジソンが、霊能者に関して肯定的な報告をしたことはほとんどなく、
パイパー夫人のようなケースはきわめて例外的なものでした。
「現時点において、わたしは、パイパー夫人の霊能力に対して、
いかなる疑問も明言することはできない。降りてきた霊たちが自ら名乗る通りの
人物本人にまちがいないこと、また、彼らがいわゆる死という変化を乗り越えて
生きつづけていること、そして、彼らがトランス状態のパイパー夫人の口を通して
いわゆる生者であるわたしたちと直接対話したことについて、
疑問をさしはさむ余地はまったくない」
と言わせしめたのです。
<終わり>