いよいよ『坂の上の雲』が夜8時からNHK総合で始まります。大河ドラマは、異例の11月中旬で終わり。大河ドラマが始まって以来、初めてのことだそうです。

 坂の上の雲が描く明治時代後半からの群像劇、映像化を望まなかった故司馬遼太郎の意志とは別に、司馬作品を映像化したいという製作者側の思惑が、遺族の説得に成功したのだろう。

 司馬さんは、すべてフィクションだといっていましたが、同時代の指導者の観点からの把握に重きを置き、民衆の観点や通時的な観点からの把握を怠っている(歴史の切り取りかたの問題)、明治期の戦争を肯定的に描きながら昭和期の戦争を否定的に描いている(いわゆる「明るい明治」と「暗い昭和」の分断)、各時期代の描写が前記の偏向(例えば昭和期の日本軍に対する憎悪)により客観的な分析が欠如している、合理主義への解釈を巡って対立があるのも事実で、この点で今回のドラマ化には、批判的な反対意見が多数出されている。
 また、司馬さんが称揚した合理主義自体も西洋哲学の中で発展を遂げる過程で解釈の多様化が起こり、帝国主義、ナチズム、共産主義、或いは過度の資本主義などと関係づけ、その行き過ぎに対して批判がなされることも多い。司馬さんに限らず提唱者の唱える『合理主義』という言葉がどのような考えを指し、何をもって合理主義としているのか、作品を読んでみてもその正体は亡羊としてつかみどころがない。

 但し、「明るい明治」は司馬さん自身の作家としての研究・調査による合理主義からくるもの、「暗い昭和」は自身が徴兵された自己の体験による実証主義によるものであり、作家として個人の主観が影響するのは当然であり、読者も作家のバックグラウンドを読み取った上で作品を読み取る必要があるとウィキペディアには紹介されています。

 また、歴史教科書問題などの歴史認識をめぐる論争において、自由主義史観派が司馬の歴史観に依拠していると主張していることから、左右を問わず、自由主義史観を批判する立場から上記の諸点を強く批判することがある。革新派からは「戦争、植民地支配を美化・正当化している」と批判され、逆の立場から一部の保守派(主に反米保守派)からは「大東亜戦争を否定する自虐史観」「ポチ保守の史観」と批判される。思想的、史観的な面からの見直しについては新聞でも紹介されていますし、このドラマによって歴史改ざん派が勢いづくのではないかという見方が、一部にあります。

 司馬さんの場合は実証性を謳っているにも関わらず、小説の一部に創作した場面が存在する事、資料の誤読や資料批判の不徹底等による事実誤認などが問題点として批判者より指摘される(思想的批判と合せて書かれた場合、評論が評価の対象となった場合には歴史修正主義の亜種と批判される)。坂本竜馬に対する幕末維新史での過剰評価や、乃木希典に対する否定的な記述など、政治家以外の歴史上の人物に対する評価でも、司馬の小説によって一般に広まったと認識されている例がある。
 乃木希典に対しては、田原坂の緒戦で『軍旗』を奪われたこと、203高地攻略戦において自分の子供二人を失ってなお多数の兵士の屍を築かざるを得ない作戦行動に出たことが、あげられている。

 これが一番危ないのだが、作品の面白さは別にして、特定個人の歴史観を事実であるかのように錯覚させる手法の危険性を指摘せざるを得ないところがたくさんある。歴史上の人物が近現代に近ければ近いほど、史実とフィクションの境目は、誤解を生み出しやすい構造になっている。知っている人だからこそ、ああこうだったのかと、歴史ロマンに思いを馳せることが読者には許されているから、歴史考証に間違いがあっても、それが実際にあったことだと誤解させるに十分な記述がちりばめられているから、この誤解を生じさせ易いと見ている。

 社会的影響力は多分に受け手の問題であるとする場合が多いのだが、「司馬史観」という名称は司馬自身が名付けたものではないということははっきりしているが、司馬さんは晩年を中心に歴史評論的な性格の強いルポルタージュ、エッセイを多く発表しインタビューにも応じてもいる。小説に加えてこれらが付加されたことで司馬さんの歴史観は小説の枠を越えて読者に提供された。小説のドラマ化だけではなく「街道をゆく」のように映像化された例もある。また作品の多くは現在でも容易に入手が可能である。このように司馬の歴史への考え方には一貫性があり、小説以外の形でも表出され、ひとつの史観として確立され、広汎に敷衍していることは容易に見て取れる。

 フィクションの内容を歴史の真実であるかのように読者が錯覚してしまうのは、それだけ司馬の作家としての手腕が優れていることの証明でもあるとも言えるが、その錯覚させる手腕自体が問題となる。

 だから、このドラマは歴史ドラマだけれども、一断面を切り取った歴史フィクションと楽しむべきで、つくる会の藤岡信勝さんのように日本の歴史教育は、自虐史観にまみれていることがわかったという指摘は、間違いだということがわかる。司馬さんでさえ、昭和の戦争には、批判的な立場であったからだ。このことを、先に示したように、自虐的だと批判する人たちもいる。

 ドラマは今日の夜8時から大河ドラマの枠を使って、放送される。来年以降の時間帯はまだわからない。大河ドラマも始まるからだ。とにかく娯楽歴史ドラマとしてみる価値はあると思うが、それが即史実だと断定できない部分もたくさんあるということだ。この物語は、スペシャルドラマとして3年間続くのだ。
 そしてその大河ドラマは『竜馬伝』であり、司馬さんの『竜馬が行く』とは別の切り口で、三菱グループの創始者岩崎弥太郎の視点から竜馬と時代が描かれるそうだ。

 TBSでは歴史空想ドラマ「jin仁」が放送されている。医者の夢なのか、現実にタイムスリップしてしまったのか、幕末の動乱期における医者たちのドラマがそこに展開する。これはこれで面白い。武士たちの、上からの革命(クーデターというほうがしっくりくるが、)が始まろうという少し前の時代だ。