今月はじめに、ベトナム戦争時にソンミ村虐殺事件の実行犯の部隊長がはじめて謝罪会見を行った。ベトナム戦争が拡大していく中で、ベトコン(ゲリラ)狩りと称して行ったローラー作戦でひとつの村の住民を皆殺しにしたのだ。ベトナム戦争は、フランスからの独立後、資本主義経済圏に属するのか、社会主義経済圏に属するのかの代理戦争の場と化した。それは朝鮮戦争よりも過酷を極め、北ベトナムが負けず、米国が初めて戦争で負けた「戦争」だった。
1964年トンキン湾事件をでっち上げ、東京オリンピック後の12月から北爆を開始した。沖縄の嘉手納基地からも連日のように北ベトナムを爆撃するB52が飛び立っていった。密林地帯にもナパーム弾と枯葉剤を含む爆弾が落とされた。ベトコン狩りのために南ベトナムの密林も例外ではなかった。
その中で枯葉剤に含まれていたダイオキシンによる奇形児の問題が公になったのは、戦争が終わってからだった。戦争中多くのジャーナリストたちが米軍が行った残虐行為を配信し、全世界の国民が初めて反戦運動という形で連帯したときでもあった。多くのジャーナリストが北ベトナム軍、ベトコンといわれた南ベトナム解放戦線、そして米軍の従軍記者として戦争報道を行った。多くの心あるジャーナリストたちの命も、奪われた。
25日、ダイオキシンの影響で二重胎児として生まれ、病院で分離手術を受け、日本でも形成手術を受けたドクさんに双子の赤ちゃんが生まれたというニュースが飛び込んできたことは、すでに記事にした。
ベトナム戦争で使われた枯葉剤の影響で、二重胎児として生まれたベト君、ドク君は分離手術を受け、日本にもその経過を見るために来日したことがあった。
おととし脳に障害のあったベトさんが亡くなったが、ドクさんは、分離手術を受けた病院の事務員として働いている。知人から紹介された女性と結婚し、妊娠したことが分かって今日を迎えた。
男の子と女の子の双子で、母子共に健康だという。
ダイオキシンを含む枯葉剤、生物化学兵器を駆使した戦いは、今も続いている。アフガニスタンも、イラクも新型爆弾の見本市のような様相を呈して終息した。しかし、戦争は、まだ終わっていない。「テロ」撲滅に名を借りた戦争はまだ終わっていない。
日本の自衛隊がイラクにおいて何をやってきたか、それは明らかに日本国憲法第9条に抵触する米国の戦争支援であり、自らが戦争に、先頭に参加しようとするものだったことが徐々に明らかにされている。あのときの小泉政権、自公連立政権の選択が如何に間違いだったのか、国民を窮地に追い込もうとした蛮行だったのかということが白日の下にさらされようとしている。
1964年トンキン湾事件をでっち上げ、東京オリンピック後の12月から北爆を開始した。沖縄の嘉手納基地からも連日のように北ベトナムを爆撃するB52が飛び立っていった。密林地帯にもナパーム弾と枯葉剤を含む爆弾が落とされた。ベトコン狩りのために南ベトナムの密林も例外ではなかった。
その中で枯葉剤に含まれていたダイオキシンによる奇形児の問題が公になったのは、戦争が終わってからだった。戦争中多くのジャーナリストたちが米軍が行った残虐行為を配信し、全世界の国民が初めて反戦運動という形で連帯したときでもあった。多くのジャーナリストが北ベトナム軍、ベトコンといわれた南ベトナム解放戦線、そして米軍の従軍記者として戦争報道を行った。多くの心あるジャーナリストたちの命も、奪われた。
25日、ダイオキシンの影響で二重胎児として生まれ、病院で分離手術を受け、日本でも形成手術を受けたドクさんに双子の赤ちゃんが生まれたというニュースが飛び込んできたことは、すでに記事にした。
ベトナム戦争で使われた枯葉剤の影響で、二重胎児として生まれたベト君、ドク君は分離手術を受け、日本にもその経過を見るために来日したことがあった。
おととし脳に障害のあったベトさんが亡くなったが、ドクさんは、分離手術を受けた病院の事務員として働いている。知人から紹介された女性と結婚し、妊娠したことが分かって今日を迎えた。
男の子と女の子の双子で、母子共に健康だという。
ダイオキシンを含む枯葉剤、生物化学兵器を駆使した戦いは、今も続いている。アフガニスタンも、イラクも新型爆弾の見本市のような様相を呈して終息した。しかし、戦争は、まだ終わっていない。「テロ」撲滅に名を借りた戦争はまだ終わっていない。
日本の自衛隊がイラクにおいて何をやってきたか、それは明らかに日本国憲法第9条に抵触する米国の戦争支援であり、自らが戦争に、先頭に参加しようとするものだったことが徐々に明らかにされている。あのときの小泉政権、自公連立政権の選択が如何に間違いだったのか、国民を窮地に追い込もうとした蛮行だったのかということが白日の下にさらされようとしている。