三、 この作品には、日露戦争を遂行した日本軍・日本国家に対する、根拠の
ない、誇大妄想的な域にまで達している、あられもない日本賛美の記述が多く
あります。
仮に、これらの文章をそのままナレーション等の形で放送するとしたら、そ
れは、過剰な自己賛美の偏狭なナショナリズムを、日本社会に生じさせる契機
ともなりかねません。
貴局は、このような危惧・問題について検討しましたか?
また以下のような記述を、どう扱う予定ですか?
「世界史のうえで、ときに民族というものが後世の想像を絶する奇蹟のよ
うなものを演ずることがあるが、日清戦争から日露戦争にかけての十年間
の日本ほどの奇蹟を演じた民族は、まず類がない。」(第3巻、45頁)
「癸丑はペリーがきた嘉永六年のことであり、甲寅とはその翌年の安政元
年のことである。この時期以来、日本は国際環境の苛烈ななかに入り、存
亡の危機をさけんで志士たちがむらがって輩出し、一方、幕府も諸藩も江
戸期科学の伝統に西洋科学を熔接し、ついに明治維新の成立とともにその
急速な転換という点で世界史上の奇蹟といわれる近代国家を成立させた。」
(第8巻、94頁)
「古今東西の将帥で東郷ほどこの修羅場のなかでくそ落ちつきに落ちつい
ていた男もなかったであろう。」(第8巻、131~132頁)
「なにしろ人類が戦争というものを体験して以来、この闘いほど完璧な勝
利を完璧なかたちで生みあげたものはなく、その後にもなかった。」(第
8巻、191頁)
「日本海海戦が、人類がなしえたともおもえないほどの記録的勝利を日本
があげたとき、ロシア側ははじめて戦争を継続する意志をうしなった。と
いうより、戦うべき手段をうしなった。」(第8巻、282頁)
「世界史のうえで(略)日本ほどの奇蹟を演じた民族は、まず類がない。」
とか「人類が~以来、これほどの~は後にも先にもない」とか、これらは
まず調べようもないことであり、司馬自身、その根拠を何ら示していない
し、また示しようもないものである。そのような形で、このように、過剰
なまでの自己・自国賛美を行っているのである。しかも、そのほとんどは、
日本の戦争面での「すばらしさ」を讃えているのである。(最初にあげた
引用文の中の「奇蹟」も、日本の「驚嘆すべき」軍備拡張を指している。)
四、 司馬は、日本の行った朝鮮への侵略・植民地化を「時代」や「地理
的位置」のせいにして正当化しています。
「ドラマ」でも、このような司馬の捉え方を、そのまま取り入れている
のでしょうか?
たとえば司馬は次のように言います。
「十九世紀からこの時代にかけて、世界の国家や地域は、他国の植民地に
なるか、それがいやならば産業を興して軍事力をもち、帝国主義国の仲間
入りするか、その二通りの道しかなかった。(略)日本は維新によって自
立の道を選んでしまった以上、すでにそのときから他国(朝鮮)の迷惑の
上においておのれの国の自立をたもたねばならなかった。
日本は、その歴史的段階として朝鮮を固執しなければならない。」(第
3巻、173頁)
「そろそろ、戦争の原因にふれねばならない。
原因は、朝鮮にある。
といっても、韓国や韓国人に罪があるのではなく、罪があるとすれば、
朝鮮半島という地理的存在にある。」(第2巻、48頁)
しかし、いかにも客観性・普遍性があるような断定的な書き方をしてい
る、これらの司馬の「時代認識」や「地理的位置」の問題の捉え方は、『
資料』で明らかにしたように、事実とは異なります。そして、これらの司
馬の論法は、当時の日本の行った行為――帝国主義国の一つとなって、朝
鮮を侵略・植民地化する――を正当化するためのものに他なりません。
放映によって、このような司馬の巧妙な論法までが市民・国民の中に流
布・浸透するのではないかと、私たちは強い危惧を抱いています。
五、 司馬は、この作品において、日本を、西欧的価値や制度のいち早い
達成者・体現者と見なして優等視し、それと比較する形で、朝鮮・中国・
ロシアを、その遅れた国として劣等視する記述を多くしています。
貴局は、このようなアジア及びロシア蔑視の文章に、ドラマの中で、ど
のように対応していますか?
また、以下の ※ のところの質問にもお答えください。
以下に、その一部を例示します。
「韓国自身、どうにもならない。
李王朝はすでに五百年もつづいており、その秩序は老化しきっているた
め、韓国自身の意思と力でみずからの運命をきりひらく能力は皆無といっ
てよかった。」(第2巻、50頁)
「もともと清国は近代的な国軍を持つような体質ではなかったと言えるで
あろう。」(第2巻、152頁)
「日本の平安期のころ、日本人はすでにそれなりの統一社会と文化をもっ
ていたが、スラヴ人はなお未開にちかかった。」(第2巻、331頁)
「考えてみれば、ロシア帝国は負けるべくして負けようとしている。
その最大の理由――原理というべきか――が、制度上の健康な批判機関
をもたない独裁皇帝とその側近で構成されたおそるべき帝政にあるといっ
ていい。
(略)
日本の準備がロシアとかけはなれて計画的であったからである。立憲国
家である日本は、練度は不十分ながら国会をもち、責任内閣をもつという
点で、その国家運営の原理は当然理性が主要素になっている。ならざるを
えない体制をもっていた。
陸海軍も、その後のいわゆる軍閥のように「統帥権」をてこにした立憲
性の空洞化をくわだてるような気配はすこしもなく、統帥上は天皇の軍隊
ということでありながら、これはあくまでも形而上的精神の世界とし、そ
の運営はあくまでも国会から付託されているという道理がすこしもくずれ
ていなかった。この点、ロシアと比較してみごとに対蹠的であるといって
いい。」(第6巻、121頁)
※ここでは略しますが、司馬がここでロシアと比較して「みごとに対蹠的」
なほど優れているとしている、当時の日本の国家制度についての説明には、
基礎的なことがらも含めて多くの間違い――<事実>に反することがあり
ます。「立憲国家」や「責任内閣」、その国家運営のこと等、それらの間
違いについて、『資料』一の(4)の ④ において指摘していますので、こ
の明白な「間違い」に対して、ドラマの中ではどのように対応される予定
かについてもお聞かせください。
ごく一部をあげただけだが、このような、日本を西欧的価値・制度の先
進国、文明国とし、他のアジア諸国をその後進国と見なすような思考方法
・認識の枠組みは、日本型オリエンタリズムとでも呼ぶべきものであって、
近代日本による他のアジア諸国への侵略・植民地化を支えた「思想」と同
じものである。
また、司馬の、こうした比較は、あくまでも国家・統治者の立場・視点
からの比較であって、市民・民衆の立場からのものではない。『資料』一
の(4)の ⑤ に書いているように、市民・民衆の権利・視点・立場から比
較すれば、その頃、日本は、<民権>の獲得と確立をめざした自由民権運
動がすでに明治国家によって圧殺され、潰滅させられて、民衆は、天皇制
国家のもとに組織されていっていたのに比べて、朝鮮・中国・ロシアでは、
国家や皇帝・国王の支配に対し、農民・労働者・民衆が起ち上がり、自ら
の権利・生活を獲得する闘い――それらを尊重する社会・国づくりへ向け
た大きな社会変革のうねりが湧き起こっていたのである。(『資料』一の
(4)を参照ください)
六、 この作品の中には、以下のような女性蔑視の表現があります。
貴局は、ドラマ化において、このような表現に、どのような対応をする
つもりですか?
以下に例示するのは、作品中の会話部分ではなく、司馬自身の語りの部
分である。会話の中ならば、女性蔑視の表現も、当時の実相を描いたとい
うことで、もちろん問題はないが、以下の表現は書き手――司馬自身の問
題である。
「児玉は自分のほうの砲弾不足に悲鳴をあげながらも、
――旅順を優先的に。
と、その点、戦局全般を見わたして判断していた。乃木軍の伊地知はそ
のような客観性のある視野や視点を持っていない性格であるようであった。
さらにはつねに、自分の失敗を他のせいにするような、一種女性的な性格
の持ちぬしであるようだった。」(第3巻、315頁)
「が、ロジェストウェンスキーは、その点にあまりやかましいために孤独
であった。しかも孤独をおそれぬ強さがあった。ロジェストウェンスキー
は幕僚のたれをも愛さなかった。側近を愛さずとも平気でいられる神経を
持っていた。
それにくらべてステッセルは、より女性的であったといっていい。戦前
から旅順の社交界の中心人物であったかれは、社交の友を欲し、幕僚のう
ちでも自分におべっかする者を偏愛し、その献言をつねに採用した。この
ためステッセルのまわりはそういうふんいきが充満し、愚者のサロンとい
うほどでないにしても、智者や勇者の意見が率直に通るような空気ではな
かった。」(第5巻、253~254頁)
「自分の失敗を他のせいにするような」性格や、「幕僚のうちでも自分
におべっかする者を偏愛」するような人物は、それぞれ男性であり、その
男性の性格であるにもかかわらず、司馬はそれを「女性的」としているの
である。
これは、プラス価値的なものは男性の属性で、マイナス価値的なものは
女性の属性であるとする、いわゆる<ジェンダー>の構図――からくり、
そのままの表現である。そして、この「からくり」こそは、近代の男性優
位社会や女性差別・蔑視を支え、維持してきたものなのである。(『資料』
一の(5)を参照ください。)
以上のことに、ひと月後の11月14日までに文書にてお答えいただければ
と思います。
同時に、回答当日、担当の方に、その「回答文書」の意味・内容を、私
たちの前で、口頭にて説明していただければと思います。
なお、この<公開質問状>と貴局の「回答」は、マスメディアを含むさ
まざまなメディア及びインターネット上に発表、公開する予定です。
それではよろしくお願い致します。
2009年10月14日
えひめ教科書裁判を支える会
『坂の上の雲記念館』の問題を考える会