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まず神話をあたかも歴史であるように書くのは、間違っている。神武天皇を始めとする歴代の天皇の名は、水戸光圀による大日本史編纂の時に招聘された中国人がつけたものだ。大体、漢字が入ってくる前に神武から始まる名があるわけがない。せいぜい日本の国家がはっきりしてくるのは、雄略天皇あたりからだ。
扶桑社版の歴史教科書の記述のあり方が間違っている書き換えてほしいという韓国政府の要望にまったく応えていないばかりか、改悪まで加えられている、こんな教科書を検定合格させた文科省の教科書審議官・調査官達の見識も疑う。
韓国、中国に対する蔑視的記述が散見される。むしろ日本が朝鮮の近代化に力を注いだと言っているのだからあきれる。
創氏改名、徴用、徴兵等の記述は短く、従軍慰安婦、朝鮮半島で人民が受けた苦痛を記述することはなく、戦争に貢献した人を讃え、『日本の戦争は正しかった』として、再び国家に命をささげることができる人間を作り出そうとしているようだ。
共産主義とファシズムを二つの全体主義と規定し批判をしている一方で、天皇制ファシズムという全体主義主義的抑圧体制については容認しているという転倒、倒錯した歴史認識を露骨にしているのである。
これは核武装を日本がするのは良くて、北のそれを批判することと同じである。
自由社版はさらに天皇のイメージにおいて、明治、大正、昭和文化と位置づけ、天皇中心の歴史観に彩られ、昭和天皇の平和イメージをかもそうとしているが、侵略戦争の最高指導者であったイメージを隠蔽しようとしている。
完成度が低く、右により過ぎているとした扶桑社版を自ら批判した扶桑社と決別し、自由社版教科書に対してその本を合格させたということは、政治、行政の意図がどこにあるかということを如実にあらわしている。
扶桑社と新しい歴史教科書をつくる会の内紛で、訴訟騒ぎとなっている教科書を『検定合格』させた意図を疑わざるを得ない。
アジア解放のために日本が戦争を始めたわけではないことは歴史が証明したにも拘らず、いまだに『聖戦』だと言っている人たちの歴史認識を疑わざるを得ない。
愛国心を醸成するということなのだろうが、自国の歴史ときちんと向き合うことができなくて、この国を愛することはできない。
ましてや、太平洋戦争末期の日本国土の日米戦闘の始まりを沖縄本島上陸とした説明は、間違っている。慶良間列島上陸戦は始まっていたし、東京都小笠原諸島に属する硫黄島での日米の激戦は、すでに行われていたのは歴史的事実だからだ。