被爆者の心を解せない日本会議広島と田母神 | ミュウタントのブログ

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 日本会議っていう右翼団体は、広島の被爆者達に対して、核兵器廃絶を訴えてきたことを嘲笑う奴らだった。
 日本も核武装しろと言っている奴を呼んで講演会することを秋葉広島市長に、8月6日ではなく他の日にしてもらえませんかといわれたら、言論弾圧だとか、言論封殺だとか言いまくってます。

 日本会議って、広島だけでなく各地に支部があるんだけど、かっこつけて日本会議○○支部とか言わなくて、○○だけ。市民団体なんて言ってたりするけど、右翼そのものじゃねえか。

 日本という冠は被っているけれど、この日本の被爆者達の気持ちを一顧だにせず、核武装、真の平和を守るとかほざいている、許せねえ。

 因幡のワニなんじゃないの、日本なんて冠被っているのに日本の気持ちを理解できない、被爆者の気持ちをまったく理解できない人たちの集まりなんだから。
 被爆者の中にも核武装を唱える人がいるんだって、確認したわけではないけど、そういってる書き込む奴がいる。
 被爆地広島で、平和公園のある場所の町に住んで被爆し、九死に一生を得た人の話を聞いたことがある。20世紀最後の年2000年のことだった。
 誰もいない世界だったという。生きているのか、死んでいるのか、自分でも分からなかったという。爆心からわずか1キロ圏内で被爆したのだから、動くものは見当たらなかったという。1週間ほどして従兄弟が、私を探しに来てくれた。彼が来てくれなかったら今の私はいないと言っていた。動けない私に、食料を持ってきてくれた。
 名古屋から伯父さんが従兄弟を迎えにくるまで、ずっと私のそばにいてくれた。後で白血病で亡くなってしまったということを、知ったという。
 戦後結婚してから生まれた娘さんには、自分が被爆者であることは話していなかったという。しかし、カナダに留学して学友から被爆地広島出身だと分かってからいろいろ聞かれたが、原爆のことは知識としてしかなかったので、父親に思い切って尋ねてきたという。それで自分がカナダに渡って、娘さんの通っていた学校で自分の被爆体験を始めて娘の前で、学校の全校生徒たちの前で話したという。娘さんはびっくりしていたというが、後で大変だったんだねと話していたそうだ。
 彼はなぜ自分が生かされたのかはわからない、しかし今被爆体験を皆さんの前で話すために生きていると思うと最後に言っていました。
 原爆ドームがある向こうに、平和公園の敷地が広がる。広島平和祈念公園が整備されたのは、朝鮮戦争特需で、日本が復興の兆しを見せたときだったのは皮肉としか言いようがない。