JAPANデビューは捏造で、NHKを8000人が提訴って? | ミュウタントのブログ

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  NHKの日本の近現代史検証番組『JAPANデビュー』が番組は捏造だと訴えられた。
 もう本当にどうしようもない連中だよ。歴史を駆け足で追っかけて描かれた番組に歪曲だとか、捏造だと連日各地のNHKに街宣車までだして、恫喝してきた奴らが、ついにNHKを『捏造』だと訴えたのだ。
 どこが捏造だと言うのか。台湾の抵抗に対して日本が掃討戦を行ったことを、『日台戦争』だといったことに対してか、日英博覧会に台湾の部族を展示したことを『人間動物園』だと表現したことがか。証言者の証言の一部しか採用しなかったことに対してか。彼ら部族を欧米に倣って展示=見世物にしたことは歴史的事実だし、部族対立を煽り抵抗勢力との戦闘を有利にしていったのは歴史的事実だ。
 表面的なことでいきり立つ彼らのなんと滑稽なことか。いやもっと内面的にも怒っているのかもしれないが。
 もう少し冷静になって歴史の検証が、できないのだろうか。わあわあ騒げば歴史的事実がひっくり返るとでも思っているらしい。
 ノモンハン事変は、現地ではハルハ河戦争と言われている。緒戦は日本軍の勝利であっても、増援された戦車部隊にとって日本軍は蹴散らされ、陣地を放棄したと多くの司令官が自刃させられた事件だった。今あの地を訪れても、こんな何の意味もないところで多くの兵士が殺されたという事実に愕然としてしまう。
 戦争という言葉を使わず、『事変』という言葉を使って国際的批判の目をかわそうとしたのか、まったくあのときの日本軍、日本政府はどうかしていたと言う他ない。大東亜戦争、支那事変だっておかしいということになるのだが。
 台湾総督府がつくった当時の台湾人の人口比率を見てみよう。1934年末現在の台湾全島の総人口と住民構成比率である。台湾全島の総入口は5,194,980人、そのうち漢民族が総人口の90.0%(4,676,259人)を占め、次いで日本人5.1%(262,964人)、原住民4.0%(206,029人)、外国人0.9%(48,412人)、朝鮮人0.0%(1,316人)であった。当時、台湾の漢民族は、中国大陸の福建地方や広東地方からの移住民から成っていたが、なかでも福建地方からの移住民の比率が非常に高かった。1934年末現在では、総人口に占める福建系住民の比率は 75.9%(3,942,139人)、広東系住民14。1%(733,910人)、その他の地方からの移住民0.0%(210人)であった。このことからしても漢民族が多かったことが分かるのに、漢民族が多かったというのは捏造だというのだから始末に終えない。これを捏造だというと、当時の日本の台湾統治時にでっち上げたとでも言うのか彼らは、これは台湾総督府が、つくったものなのに。
 創始改名は確かに強制はされなかったが、ステイタスシンボルとされ、多くの台湾人が日本名を名乗るようになった。しかし、学校制度においては日本人学校に台湾人の入校が拒否された時代があったことも確かで、同化政策以後同じ学校に通えるようになった。1937年からの皇民化政策は徹底的とまではいえないが、日本語を使うことが強制されたことは確かだ。志願兵制も実施している。そして、現地語は使用禁止とされた。そのことは、香港やシンガポールなどやはり日本軍が支配していたところの日本語普及率から見ても、特異的だといえる。
 漢民族と大陸で戦っていることから、始めのうちは台湾から軍属、軍人を徴兵するのがためらわれたが、のちに21万人近くが日本軍に徴兵され、志願兵からは将官級にまで登りつめた人もいたことも歴史的事実だ。より日本人として生きようとした歴史があったのだ。

 JAPANデビュー当時の資料を駆使した番組に噛み付くことで、自分達の存在を誇示したい奴らがいることは確かだが、歴史的事実が覆るとでも思っているのだろうか。
 李登輝さんなどは日本の植民地時代は台湾の産業や文化の発展に大いに役立ったと好意的に見る人もいるが、植民地にされたことへの反感を持つ人たちから言わせればとんでもないことだったのだ。李登輝さんも面白い人だと思う。自分の国が日本に植民地になっていたのにそれを良かったというのだから。まあ台湾統治に当たってはうまく利用できる人たちを作ったほうが、日本にとって統治しやすかったということの証左だろうけれどね、あの人の存在は。
 台湾が中国の一部ではないという人たちもいるが、一部だったからこそ国民党政府が台湾に中共軍に追われて逃げることができたのに、それを否定したら、彼らのよりどころがなくなってしまうんじゃないの。自分達の間違いに気が付かないってのも哀れだけどね。それとも台湾はもともと日本の敗戦後から独立していたとでも言いたいのかな、そこへ国民党軍が上陸してきたと。



 檜山教授が提唱した「日台戦争」(中京大学法学部・日本近現代史)

  檜山幸夫さんは日清戦争および植民地期台湾を専門としているが、その著書『日清戦争 秘蔵写真が明かす真実』(講談社、1997)では、第六章「台湾統治と台湾戦線」の第三節を「日台戦争」と題している。同節251頁では、次のように述べている。

 清軍兵士と異なり、彼ら(引用者注―台湾の抗日軍)が頑強に抵抗した背景には、台湾に福建省や広東省から移住し、そこに住んでいた原住民を討伐し、苦労して荒れ地を開墾して獲得した土地を守るという意識があったからにほかならない。その意味では、台湾での戦闘は、正しく日本と台湾との戦争(日台戦争)であり、最初の植民地戦争であったということになるのではなかろうか。
 檜山さんは、日台戦争の終末を、第二師団が凱旋した明29.5月末とみているようです。

 人間動物園にしてもNHKは欧米に倣ってと説明しています。放送では、日本が使ったとは一言も言っていませんし、欧米の資料を確認すると日英博覧会において、見世物にしたことは確かなようで、右翼の言論封殺事件とも言うべき裁判提訴には、あきれてしまいます。果たしてNHK職員に対する白色テロルを狙っている右翼に対して、協会として職員とジャーナリズムを守る気概がNHKにあるかが試されます。