こんなものを今更見付けました


著名人がインタビュー形式で、自殺を考えてしまう若い人々へメッセージを送る企画。

でまあ、俺も自殺を考えた事がある人間なので、俺の個人的な考え方を書いておこうかなと思います。

俺は小学校低学年の頃、学校全体からいじめを受けていました。
たった二人の友人だけが学校生活の心の支えでしたが、それでも学校を休む事は多かったです。
姉も俺もいじめられていたので、母親は引っ越し・転校を決めました。
その小学校から去る時、全校生徒が教室の窓から顔を出し、「帰れ、帰れ」と連呼して来ました。
マンガの出来事の様に聞こえるかも知れませんが、現実に起きた事です。
あの光景は未だに忘れられません。

転校して状況が良くなったかと言うと、急には良くならず、ウイルス呼ばわりされいじめられました。
ただ、教師陣が良かったので、徐々にいじめられる事は減って行きました。
それでもしんどくなってしまって、小学5年の頃、数ヶ月間不登校になりました。
その時、俺の心を動かしてくれたのは、校長先生からの手紙でした。
「あなたの元気な姿が見たいです。気が向いたら、いつでも学校に来て下さい。」と言う主旨の手紙を、何通も送って来て下さったんです。
学校に再び行った後、不登校になる事はありませんでした。

中学の時期は、周りの顔色を窺う様になりました。
八方美人な振る舞いをして、嫌われない様にしていたんです。
その振る舞いは、楽な様にも思えました。
教師陣が良かった事もあり、何とかそれで中学時代をやり過ごしましたが、その綻びは高校時代に現れます。

高校に入って、教師陣がそれ程良くない環境になり、生徒もガラの悪い生徒が多い状況で、そんな人たちのご機嫌を窺う事に疲れてしまいました。
不登校がちにもなり、母親と姉のアドバイスで、退学して、通信制の高校に転校しました。

俺の10代の頃は、そんな状況でした。

最初に自殺しようと思ったのは、小学校低学年の時。
包丁を自分の腹に刺そうとしたところ、姉に止められました。

次に自殺しようと思ったのは、通信制の高校を卒業した後。
自分が生きている必要は全く無いんじゃないかと考え、高所から飛び降りようとしましたが、恐ろしくなってしまって、やめてしまいました。

とまあ、学校生活にフォーカスしてそれまで起きた出来事を書きましたが、学校生活以外にも色々な出来事がありました。
義父がアルコールで暴れたり虐待をして来たり、イカれた役所から嫌がらせを受けたり(それはうちだけでは無かった様ですが)、SNSで集団から嫌がらせを受けたり…

それでも、俺は今こうして生きています。
著名人の様に胸を張れる様な立派な事をしている訳ではありません。
でも生きています。

俺の場合、母親や姉、そしてごく僅かな友人が心の支えになっていたので、まだ幸運だったと思います。
でも、家族や友人以外にも、優しさを持った人たちが居ました。
それは、小学校時代の校長先生であったり、見知らぬ大人の人であったり、今住んでいる所の役所の方々であったり。

先述の通り、俺は「自分が生きている必要は全く無いんじゃないか」と考えた事があります。
自殺を考える人の中には、そう考えてしまう人も居ると思います。

然し、よく考えてみて下さい。

そもそも、この世のあらゆる生命は、死の宿命から逃れる事は出来ません。
命は、いずれ死ぬ為にしか生まれていない。
「生きる意味」なんてものは、生物の主観による産物にしか過ぎず、客観的に見れば意味も価値も特別無いのです。

【自分だけ】が特別不必要な存在である、と言う事は、断じて有り得ないと言う事です。

そして、あらゆる生命が、どうせ【死ぬ為にしか生きていない】のであるのだとするなら、何に囚われる事も無く、好きに生きれば良いのでは無かろうか?と思う訳です。

だって、いずれ死ぬんだから。
わざわざ今急いで死ななくても。

生きていれば、それこそ人の優しさに触れたり、楽しいと思える事に出会えたりする可能性があるんです。
死ぬと言うのは、その可能性をゼロにする事なんです。

勿体無いと思いませんか?
この人生100年時代にあって、僅か10数年でその可能性をゼロにしてしまうのって。
約90年分の年月と可能性をゴミ箱に捨ててしまう事になるんですよ。

俺なんて、今こうして細々とテキトーなブログを書いていますが、こんなテキトーなブログでも有難いコメントをお寄せ頂く事があるくらいです。