書物からの回帰-スペイン旅行

[ スペイン/ ラ・マンチャの男 ドン・キホーテの風景]

僕が四月の下旬からスペインに旅行した時、この藤井康男さんの「創造型人間は音楽脳で考える」を持っていきました。

十日間の旅行中、読む為に持って行ったのは、この本とコールユーブンゲンとコンコーネ五十番の練習箇所のコピーだけです。何せ、荷物の量は制限されていますから、あとは便利なノートパソコン(750g)ぐらいですね。

1982年頃に、これを買いましたから読んだのは、今から約三十年前ということになりますがこの本を選んだ理由は、今の僕にとって『教育』という新しい取り組みにおいて、とても関心のある事柄の一つだったからです。

藤井さんは、とても不思議な方で「龍角散」と言えば、みなさんご存知でしょう?その社長職も勤められていました。

もともと、阪大の生物化学科の大学院を卒業されて北里大学助教授をされていました。のちに家業の「龍角散」を継いだわけですね。

藤井さんは、社長を就任してからは、同族経営を打破されたそうですから彼のものの考えがとても鳥瞰的で素晴らしいのはこうした行動でもわかります。

この本では、当時としては新しい脳に対する着眼点を見出しています。

「人間の頭の働きは理性と感情の二つに分れ、それが脳の両半球に分担されている。即ち言語脳と音楽脳である。・・・」と言ったカバー紙に紹介文が入っています。

現在の脳科学においては、この両半球を言語脳と音楽脳とに、単純に区分けすることは乱暴な話になりますが、当時としてのそうした考えはとても斬新だったのですね。

脳の仕組みというものは、現在の最新の科学で色々と研究されていて新しい事実が発見されています。

そういう意味では、普通だと時代遅れの本と思われそうですが、やはり、自分の言葉で語った本は強いですね。

今読んでも、とても楽しいものです。そして、30年経った今でも彼の思いが伝わってきて・・・ああこんなことも書いてあったのか!と、再読してとても新鮮でした。

でも、読んでいて当時としての彼の自己判断には過ちもありますね。

例えば、「女性に少ない弦楽器の名手」というところでは、歴史に残る名演奏家には、女性が少ないというご指摘です。のちに日本からは多くの女性の名バイオリニストが出現してきます。このことはみなさんご存知でしょう。

そして、彼は「女性がなぜバイオリン、弦楽器に向かないのかはまったく謎であります。」と述べています。

これは、『弦楽器に向かない』と言うよりも女性的だと芸術に向かないと言ったほうが的確だと思います。それは、女性の甲状腺ホルモンが男性ホルモンに近い構造をしており、それが強いと女性は男性化して芸術に適するみたいですね。

歴史に残る名演奏家という点については、現在も女性が数少ないのは事実ですが、どんなにうまく弾けても歴史に残るにはもっと超越した個性が求められるからで、それには女性が男性化しないとそこまでに達しないというのは確かにありますね。

弦楽器といえば、ピアノも弦楽器の仲間ですから(指で叩くので打楽器と思われる方もおられますが)、やはり、彼の指摘による男性優位は正しいと言えます。

勝手な想像ですが・・・女性は子供を産み、男性は芸術を生むという人類のバランス感覚的なものがあるのでしょうか?

藤井氏が好奇心旺盛な方であるというのは、この本を読めばすぐにわかります。掛け算が出来なかったベートーヴェンの話、長寿の秘密、黄金分割の秘密と次々に話を面白く展開させています。

彼のそうしたお話を取り上げていたらキリがありませんので、ここでは、最初の私の再読しょうとした動機、「今の僕にとって『教育』という新しい取り組みにおいて、とても関心のある事柄の一つだったからです。」についてお話してみたいと思います。

子供の教育に関心を抱いたのは、実は僕が高校生の時です。兄の依頼で高校生の僕が小学生に算数を教えたのが最初でした。そして、大学生になってからは、中学生、高校生の数学を教える家庭教師のバイトの仕事もしました。

今のような派遣ではなく、兄の紹介によるものでした。そう思うと、他界した兄は、僕に今日に至るそんなチャンスを与えてくれたのですね。

兄なくしては、今日の僕はないのかもしれません。

さて、そんな僕が丁度、四年前に無量育成塾なるものを立ち上げましたが、塾生はみな学年がバラバラです。所謂、画一的な学年ごとの教育ではなく、縦の教育をすることにしました。

普通、学習塾は同学年単位で教えているようですが、学問という視点で考えると、そうした年齢単位、或いは学年単位で教えるのはおかしいと思いました。

社会人が活躍している企業では、様々な年齢や学歴が入り乱れていますが、その中で優れている人が上に立たなければ企業の存亡に関わってきます。

それで、授業を大きく二つに分けて「自学習」と「集中講義」と言うやり方で現在行っています。

自学習の時間は前半ですが、学校の宿題、読書、塾の演習問題(自主的な要求に基づいて配布)などを塾生に任せてやらせています。

わからないことがあれば教えるといったところですね。そのときは、その子だけでなくそれに該当する子を集めて白板の前で指導します。

そして、後半の集中講義は現在、論語読み、現代詩の暗誦、コールユーブンゲンの楽譜の棒読み、そして最後は合唱で締め括っています。

もちろんこの集中講義の中で僕の大切な雑談を入れています。これは、塾生の向上心としてのモチベーションを高める為に必要です。

後半授業の集中講義は塾生全員ですから学力がまちまちです。

しかし、これらの内容の元ではまったく学年に関係なく講義が進められます。この授業は集中力をつける授業なのです。

集中力というのはとても大切な力ですね。

集中力のない子は、おそらくどんな教育を受けても駄目でしょう。

そういう子が学習塾に行っても、学校でも授業をちゃんと聞くことができないですから、学習塾でもそうでしょう。つまり、授業料のお金をドブに捨てるようなものですね。

当初は、論語と現代詩だけでしたが、これに音楽を取り入れました。この動機が偉大な物理学者、例えばアインシュタインがバイオリンをやっていたこととか、兎に角、数学や物理学の創造的な人にクラッシック音楽が好きな方が多いので、そうした相関があるのでは?と、この本を読んだ当時から意を強くしていました。

そのことを踏まえて、僕の息子と娘もピアノを徹底して幼児から高校生までやらせましたら、案の定、総合的な見地で見ても教育に情操教育がなくてはならないものということが頷けました。

そこで、偶然か、必然的なのかわかりませんが、ソプラノ歌手の諸冨善美先生と出会ったわけです。

そして、意気投合してウェルナー少年少女合唱団というのを無量育成塾の付設として造りました。

当然、僕の教育方針は塾生全員、情操教育の一環として特別団員として月一回、諸冨善美先生にご指導願うことになりました。

塾生だけにこうしたことをさせるのでなく、この僕も声楽なるものに挑戦して見ようと本格的に今年の二月から個人指導を受け始めました。

そうすると、コールユーブンゲンの譜読みが難しいことがわかり、子供達はどうだろうと思って読ませてみたら、まったく音階を読む力が無い子ばかりなのに気付きました。

しかし、この譜読みの訓練は、脳を鍛えるのに良いと判断して、先程の集中講義に加えたのです。そして、諸冨善美先生のご指導は、月一回なので、塾の授業の最後にみんなで合唱することで、訓練と連帯感を強めることを目的に塾の一つの慣習としました。

ここで、始めの頃に藤井氏が、「掛け算が出来なかったベートーヴェンの話」などを書かれていたとお話しましたが、それは、ベートーヴェンの手記を証拠に出していました。すると音楽の大家がどうして掛け算も出来ないの?という疑問が湧きますね。

それは、彼の表現が悪いのです。「掛け算が出来なかった」ではなく、「掛け算を知らなかった」ということです。

何事もそういった教育を受ける機会が無ければ、誰だってわからないし出来ませんね。まして、音楽が出来るから数学や物理学は教えなくてもわかるだろうなんてことは、おかしいことです。

音楽教育をしっかり受けていれば、数学や物理学を勉強する時に頭の働きが受けていない人よりも優れているということです。

そこで、お気付きになられたと思いますが、塾と合唱団だけでは、数学と物理学などの勉強が成立たないことがわかります。

実は、塾の後にラボ教育というものを導入しているのです。これは、個別指導です。このラボ教育において数学や物理学の法則や理論をしっかり教えているのです。

ウェルナー少年少女合唱団は、塾とラボの後に出来上がったのです。

これで僕の教育柱の、塾、ラボ、合唱団の三位一体の教育が立ち上がったのです。

面白いことに、こうした企てをした僕自身も大きな変貌を遂げようとしています。僕が一番苦手だった『歌うこと』において、いつの間にか人前で歌っても恥ずかしくないような声を獲得しつつあるのです。

イタリア式のベルカント唱法で正式にきちんと学べば、普通の方であればどなたでも素晴らしい発声の響きが獲得できると思います。

しかし、悪妻から『音痴』の烙印を押されたトラウマはまだ克服していません。

いつかは、克服できる日が来ると信じています。

子供を鍛えようと思って立ち上げた『教育』が、何よりも自身を鍛える羽目になってしまったのは、皮肉なものですがとてもうれしいですね。

やはり、いつになっても向上心は大切です。

by 大藪光政