書物からの回帰

               [ カレル橋から見たプラハ城 ]

この本を図書館で見かけたのは六月の中旬でした。哲学書の棚に新刊として置かれていましたが誰も読んでいなくて、ページが開けられていません。誰も借りないところをみると、この本を図書館が購入したのは『偶然』なのだろうか?(笑)

取り敢えず、「もったいない。借りればタダなのに!」そう思って借りることにしました。

この書が出る前に、「偶然を生きる思想」という本が、かなりの反響だったのでこの続編を書くことになったと著者はあとがきで述べています。それは読んだことありませんから、この続編で著者の訴えたいところを学ぶしかありません。

『序』 を読めば、『雑阿含経』に書かれてある喩えを引用されていて、「有り難い事」の内容が面白い。それは、「盲亀浮木のたとえ」である。盲目の亀の頭が、偶然通りかかった浮き木の穴に頭が嵌る確率を喩えている。

どうも、この 『偶然』 という言葉を、僕は元来好きである。これは、ひょっとすると僕だけではなく、大抵の日本人は好きなのかもしれない。それで、ついつい、この本に惹かれてしまったのかもしれない。

この言葉には、当然、相対する 『必然』 という言葉が待ち構えている。この言葉は、恐らく、日本人はあまり好きではないだろう。それは、なんとなく強いられるといった気がするからかもしれない。僕があまり好きでないことを前提に言っているだけだが。

第一章の必然と偶然の章は、大変興味深く読めた。その中の「バタフライ効果」については、以前、聞き知ったことがある。つまり、「アマゾンを飛ぶ一匹の蝶の羽ばたきが、遠く離れたシカゴに大雨を降らせる」という話だ。

ちょっとしたものの変化で、とてつもない変貌に仕上がってしまうということがカオス理論などで科学的に考えられるということであるが、一般人にこれを話したら嘲笑の的になるだけだろう。

つまり、『必然と偶然』 の課題に対して、スーパーコンピュータの出現により、気象観測などで科学分野の面からも検討に値する学問になっている。こうした課題が単なる哲学における議論で済まされなくなっている。科学も随分と発達したものだ。

面白いことに、著者の野内氏は、恥を覚悟でこう述べている。「自身が大学院に入れたのは試験の結果が悪いにも関わらず、卒業論文がいいからという、ひとりの教授の一言が決め手となって、余分に一人採ることになったお陰だ。」と。だから、今日の学者としての野内氏が存在する。

ここで、『必然と偶然』 については、野内氏の本をお読みになることが一番ですが・・・理解できるか否かは保証できませんが、僕なりの私見をちょっと述べて見ようと思います。

まず、偶然と必然はどちらが先か?と素人は考えたくなります。『神』 といったような存在を想定しますと、必然があっての偶然となります。西洋人の思考は、キリスト教の影響でそうした必然性からの思考が強いと野内氏も述べております。

これが、日本人の場合は、偶然があってからそのあとで必然性が発生するような考え方が強いようです。僕の場合もこの考えに近いところです。

でも、その偶然がどうして発生したのか?と問われると、言葉に詰まります。すると、その 『偶然』 は、必然的に発生したものに違いないとも言われるかもしれません。こうなると、言葉の綾になってしまいます。

負けずに、「その 『偶然』 は、偶然的に発生したものだ!」と、言い返すと、言葉として変な事になります。まだ、必然の方がマシですね。

実際の経験上言える事は、偶然から必然に移行することはありえるということです。これを自身の人生経験上で推論しますと次のような話で展開できます。

私の最近の例にとって言えば、今、ラボで中学三年生の子を指導しています。とても、熱心な子です。何が熱心なのかといえば自分がわからなかったことが、やっと、わかるようになった旨味がやっと分かってきて数学に取組む姿勢が身に付いてきたということでしょうか?

それとも、僕の四方山話に興味を懐いたということでしょうか?とても、熱心で、「今度の土曜日、空いているけどまた来るか?僕はどちらでもよいけど。」と、言うと必ず、「はい、来ます。」と言う。最初の頃は、よく、遅刻して時間にルーズだったが、その子が熱心になり出してからは、わざと、「遅刻したら、教える時間をその分、短縮するよ!」と言うと、時間前に来るようになりました。とても可笑しく笑ってしまいます。

そこで、その子にこの間、君との出会いは偶然なのか?必然なのか?という質問をしました。僕は、数学の演習問題を解かせながら、それだけでは、こちらはちっとも面白くもないので、そうした変な質問をその中学生に時々発します。

すると、ペンシルがぴたりと止まって、僕をじっと見つめます。こうした変な話にすぐに乗ってくるのです。それで、「こうして、ラボ指導の時間外に、君を教えているのは、必然だよ。僕が、そうしてあげるべきだと考えたからだよ。そして、君も、それを望んだからこうして今がある。」といった風な話をし始めた。

その子は、黙って頷いた。「それから、無量育成塾とは別にラボを付設として設けたのは、君のお母さんがとても、君の教育に熱心であったし、君も僕に対して集団ではなく一対一で学びたいということで、これも、必然的にラボを設立することになった。だからこれも必然だね。」といって、笑った。本人も合点している。

「じゃあ、無量育成塾がきっかけで、君と出会ったのはどうだろう?偶然かい?それとも必然かい。」と言ったら、しばらく考えている。偶然と言えば偶然なのだが、母親が子供を無理やり引っ張って面接に来た日を思い起こせば、母親の熱意がそうさせたということで必然かもしれない。

その無量育成塾なるものを考えついたのは、僕が吉田松陰の松下村塾に何度か足を運んでいたために、そういうことを思い付いたから、これも必然かもしれない。

しかし、もし、僕が二年前、区長の役を引き受けなかったら、恐らく、こんなことにはならなかっただろうし、そして、もし、引き受けたとしても、公民館建て直しの件がなければ、やはり、この塾を思い立つことはなかっただろう。

つまり、区長の役を引き受けたことと、公民館改築の件、そして、松下村塾の小屋を見なければ・・・といった三つの偶然性が揃わなければ、無量育成塾の存在はありえなかったと言える。

つまり、偶然性からいつの間にか、必然性に物事が変位していったということがよくわかる。そんな、独り言みたいな話を、その子は興味深げに聞き入っていた。

この偶然性から必然性への変位がどうして起きたかと考えると、それは、『意志の働き』 ということになる。つまり、一人の人間の意志の働きである。まあ、そうはいってもそれに賛同する人も必要であるが、あくまで、強い一人の意志がなければ起き得ない。

しかし、その一人の存在も、偶然性から発生したものかもしれない。そして、それ以前にも祖先の強い意志の働きがあっての必然もあったことだろう。すると、偶然と必然が連鎖反応して人間の歴史が築き上がったといっていい。

これは、動植物の存在もそうなのかもしれない。

すると、人間以外の動植物の 『意志』 とは、なんだろう?ということになる。

また、それらが存在する生命体以前の自然における偶然性からの必然性の変位は、一体誰の意志なのか?ということになる。ひょっとすると、偶然から偶然へと連鎖しているだけかもしれない。必然とは、人間のひとつの思い込みかもしれない。偶然を必然と錯覚しているのか?必然を偶然と錯覚しているのか?謎だ!

さて、話をこの著書にもどすと、野内氏は学者なので引用文は、丁寧にきちんと掲示されています。第一章から第六章まで読んでいくとかなりの数の引用文を読まされます。

すると、一般人の僕は、閉口してしまいます。やはり、著者の想いがうまく伝わってこないからでしょう。著者の強い意志がどこかに行ってしまいます。学問として、賢人の薀蓄の紹介みたいになってしまいます。だから、第二章から第五章までは、退屈になりました。

その点、最後の第六章 『異文化受容と伝統』 は、著者の強い意志が反映されていて面白かったですね。そこには、ヨーロッパと日本文化の相違について、『意志』 の違いを述べている。

「日本以外の国々は政治や文化における内発的な原理・原則をかかげて発言・行動をしている。よその国の島でも自分のものだと強弁する。戦争末期のどさくさに乗じて領土を拡張する。日本人はこれを不思議に思うようだが、しかしこれが国際社会の常識なのだ。自分 (自国) 以外は異人 (敵) なのだ。この自他との区別、これがヨーロッパの人と文化の基底にある。だから問題は対話ではない、対決なのである。 」と、野内氏は述べておられます。

日本の領土問題について、野内氏の発言を聞けばそうかと合点します。

これは、ヨーロッパ旅行をして現地の人と出会うと肌でそう感じます。また、不思議にも、現地に長く住み着いたガイドを務める日本人も、若干、そんな風に同化してしまっていると思いました。

ホテルに泊まるとすぐわかることですが、ルーム設備に関して彼らは責任をもって事前チェックということをやっていないようです。だから、どんなに立派なホテルでも不具合をそのままにしてあることが多い。

つまり、不具合は宿泊者が指摘するものだといった感じです。だから、ホテルのフロントに不具合があると言っても、答えは「サンキュー」です。見付けてくれ てありがとうなのです。日本のように 『申し訳ございません』 的な、お客様の立場に立った、「ソーリー」といった感覚はありません。

日本語が曖昧なのは、あまりにも相手の立場に立って言葉で阿るからでしょう。これは、欠点でもありますが、日本人の美徳でもあります。日本のサービス精神 が世界最高なのは相手の立場に立って行なうからです。それは、他と同一的な心持を懐こうとするところがあるからでしょう。

しかし、それが度を過ぎると日本人は、御人好しとなります。そして、自分がそうするから人もそうしてくれると思い込んでしまいます。つまり、日本人は、他人とは対決ではなく受け入れることを選びます。

これについても野内氏は、「日本人にはこの対決のスタンスがなぜか欠落している。対決回避、これが日本文化を形成する一つの原動力になっている。真っ向か らの対決は避けて外国の文化を取り込む。しかし自国の文化の枠組み(基盤)はしっかりと護る。しなやかにして、したたかな異文化受容のスタンスである。世 界を見渡してもユニークなものといえるだろう。」と、述べています。

しかし、昨今の日本人は西洋化されて自分のことだけに固守している人も多くなりました。自分の庭は一生懸命手入れするけど、自分の家の前の公園が荒れていても知らん振りですね。

野内氏は、このあと気候と地形の違いによる影響にも触れられています。それは、やはり、気候が環境に与える影響が大きいのは風景だけでなく、人間性にも大いに影響を及ぼします。

日本とヨーロッパの自然環境については、『百聞は一見にしかず』 どころではなく、やはり、肌で感じる体感が一番です。中央ヨーロッパを旅行して気付いたことは、公園を見物しても日本とは随分違うなあ~と感じました。

京都にある龍安寺の石庭を西洋人が絶賛する理由がよくわかりました。ヨーロッパの庭園の究極が龍安寺の石庭だと感じたからです。ザルツブルグにあるミラベル庭園などを見てもわかるように、庭園内に咲く個々の花は大したものはありません。小さな花を集めて描く線描画が美しいのです。

日本と違って、湿度が無く梅雨もありませんから、庭園に生える雑草は少ないようです。だからメンテナンスも楽ですから、広大な敷地に同じ種類の小花で線描画を描くにはもってこいです。彼らは日本人のように個々の花を手に取るように愛でるという習慣は少ないのでしょう。

一方、日本のように湿度や雨量がたっぷりだと庭園には雑草が蔓延り手入れが大変です。つまり、龍安寺の石庭は、生活の智慧でもあります。これだと、草も生えにくいので庭園の手入れに苦労をしません。うちのご近所でも何軒かは、この方式で老後、庭の手入れの苦労を凌いでいます。(笑)

龍安寺の石庭は、日本の哲学的な精神を演出しているように捉えられがちですが、箒で描く線描画は、西洋の小花で描く線描画ととても良く似ています。

生け花という日本独特の芸術が生まれたのは、やはり、日本人の花に対する想いが西洋人よりもっと切実だからだと思います。だから、この芸術は偶然ではなく、日本の風土から発した必然的なものでしょう。

でも、ヴァン・ゴッホのように日本の文化に酔いしれて、花瓶にあるひまわりの絵を描いていますから、まったく西洋人が日本の美意識を受け入れないとは言えません。モネも日本庭園のような睡蓮を描いていますが、一つの睡蓮の美しさというよりも、全体としての構図でその美を描いていますから、モネの方がまだ西洋的なものを捨てていません。

その点、ゴッホはぞっこん日本にあこがれています。

野内氏は、シューベルトの「冬の旅」の歌曲を例に挙げて、ヨーロッパの冬の旅の過酷さを次のように説明しています。「冬の旅は昔のヨーロッパの人にとって死の旅を意味していた。旅を意味する英語のtravelは労働を意味するフランス語のtravailleと語源を同じくする。travailleは、もとは刑罰の「苦役」を意味していた。事実、中世のヨーロッパでは教会で罰当たりな行為に及んだ人間に刑罰として「冬の旅」を科した。」と説明している。

確かに、シューベルトの「冬の旅」の歌曲は、死をイメージさせる曲であったのは前々から感じていた。しかし、それは、シューベルト自身の死への想いからだと思っていたのだが、野内氏の説明には語源からの説得力がある。だから、ヨーロッパの人が嘘では無いと思うが大げさにも日本の冬は天国だと感じていると野内氏は付け加えている。

こうした日本の特殊性が、日本語というとてつもない高級言語を生み出したのは、やはり、自然が与えた偶然性から必然性へという流れの中での偶然性だろう。

漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字、和製英語、和製ポルトガル語・・・etc。世界の言語がちゃんぽんになっても、ちゃんとオリジナリティをもっている日本語。

学問としては、翻訳語としての文法でもって論理的文章も書けるし、文学としては散文から俳句、短歌、意味不明の長文も書ける。また、その解釈も玉虫色で読み手によって自由に解釈できる。会話も、カンタンで今日、何が食べたい?と聞けば、「わたし魚!」と、英語より簡潔な返事が出来る。

ひとつの言葉で、多くの情報量を提供することもできる。

小林秀雄が、「ご隠居さんって英語で何ていうんだい?」と、英語達者な日本人に聞いた笑い話を思い出せば、もう、日本人は世界に対してとてつもない言語先進国であることに気付く。

日本人が、異文化受容の姿勢を怠らない限り、日本の文化は世界のすべての文化を集約していくだろう。それは、偶然出現したものに対して、寛容的に受け入れる習慣を身に着けているからだろう。

それは、『春が来て梅雨が来て夏が来て冬が来る。』 という季節変化のサイクルを愛でるように受け入れる生活習慣から自然と身に付いた作法なのかもしれない。

今の必然的な僕の生活の途上で、或る日、偶然発生した事象がこの身に降りかかった時、己の 『意志』 を発揮して次の必然へと変位して生きて行きたい。

きっとそれは、とても楽しい冒険になるに違いない。



by 大藪光政