書物からの回帰を読まれている方、あるいは眺めておられる方は、また、論語か!と大変、辟易されると思います。でも、小生はもっと辟易しているのです。
東洋思想と西洋思想の違いは、絵画で言えば東洋はどちらかというと平面空間での表現を追求しきったところに美があり、西洋は立体空間としての再現の美に格調があるといえます。
これは、やはり風土といいますか、農耕民族と狩猟民族との違いと似ています。そうしたお話は私のブログや他の色々な本に書かれているのはご存知の通りです。
この論語は、西洋の哲学書などと比べるわけにはいきませんが、人としての考え方として捉えますと、やはり、言志四録などと一緒で内容は簡潔です。それ故、ただ読むだけではすぐに退屈します。
論語は経験と共に存在するものであって、経験の浅い者にとっては、お説教か、お経を口の中で唱えるようなものでしょう。でも、熟年から老年を経るところで思い当たる節が多々あり、「そうか!」と、時には、感動することもあります。
この本の著者である中野氏は、自分の人生と照らし合わせてこれをお書きになったのでしょう。まえがきには、日付が2002年の晩秋とありますから、七十七歳ぐらいのときの著書ですね。享年七十九歳でしたが、もし、ご存命であれば、今、八十五歳ぐらいですか?つまり、お亡くなりになる二年前に書かれた書ですね。
中野氏は、東大の文学科を卒業して、ゲーテ書房という会社に就職し、当時の巧言令色が巧みな経理課長により、お金の使い込みの無実の罪を背負わされて解雇された経歴があります。
本人曰く、まさに不当な扱いで会社から追い出されたようです。解雇ということは、一般的には社会的信用を失ったことになりますから後の就職が大変だったと思います。
でも、その苦難をなんとか乗り越えて教職の道を経て四十七歳の頃に初の著書『実朝考』を書かれたようです。やはり、そうした努力の積み重ねがあっての作家業でしょう。
本のタイトルは、『中野孝次の論語』 と書かれていますから、一寸、威張っている感じを受けて図書館でこの本を手にしたのですが、中をざっと通してみますと論語解釈においては翻訳というより、訳文の頭に【私訳】と中野氏が付けておられる通り、意訳の部類でしょう。
そして、その私訳のあとに中野氏の人生経験ある薀蓄と世相に対する色々な想いが張り巡らされていてこれもまた楽しく読ませてもらいました。中野氏の生き方はとてもリベラルでかつ、現代社会の歪をきちんと指摘し、こうであらねばならないという考えを示しておられます。
そういう意味では、同感すること多々あり、しかしそれはある意味で少し退屈なところでもあります。やはり、自分の考えとは違うところ・・・私が思いもよらないような多くの経験や考えがもっと沢山入っていれば、興奮して読めたのですが、成る程、成る程で終わってすんなりとは読めても、あまり面白くもありません。
中野氏は話せば書くとまずいような、結構、豊富な経験から面白い実話が引き出せる人だとは思いますが、それがこの本ではされていない気がしてそれが残念でなりません。やはり、存命中の作家活動には他への配慮があってブレーキが掛かってしまうのでしょうか?
ネット資料では、「反核アピールは吉本隆明・柄谷行人らの批判を受け、1985年『文學界』誌上で柄谷と罵倒しあったのは有名な話である。」という記事がありますが、そうした事実関係を知らない私にとっては、穏やかな人柄としか思えません。
さて、中野氏は、全部で二十六のタイトルでもってこの本を構成されております。そして、その第一番目が「己を行うに恥じあり」というものです。そこには、 『本当に立派な人間とは、自分の行いに責任を持つ覚悟のある人である。自分ひとりで物事を判断できる人である。』 という文面を付け加えています。
これは、「子貢問いて曰く、何如なるをか、斯れこれを士と謂うべき。子曰く、己れを行うに恥じあり、・・・」というところから引用されています。
これに対する私訳の後で、今の世の官庁、銀行、商社、会社、工場などの不祥事に対して強く、中野氏はその中に存在する人々の姿勢を叱責しています。
この辺は、恐らく論語愛好者は、そうだそうだと感じ入るところですが、でも、よく自分自身を振り返ってみると、意外と五十歩百歩かもしれませんね。そうしたことをあげつらう事などは、よく、町内会の談義であります。そこでは必ず今の政治家や政党批判が飛び交い、必ずボロカスの批判が出てきます。
確かに、そうした似非政治家は自分たちのことだけしか考えていないし、自分たちの利益を確保することだけに力を注いでいると言われても仕方がありません。
でも、そうしたことを批判する町内会の人々は、どうか?と思えば、自分の庭の手入れはとても良くしているが、自分の家の前の公園が荒れていても知らん振りですね。
みんなが憩う公園なのに誰もボランティアでは草を取らない。水をやったりしてお花の世話をするなんてことはしませんね。それは行政の仕事だと。でも、行政は行政で箱物にはよろこんでなりふり構わず借金をしてでも建物を建てますが、利益誘導が出来ないような草取りのたぐいとしての事業には予算が無いから草取りは地域の住民でとおっしゃる。
非常に捩じれた社会になっていますね。そうした状況下で、偉そうに論語を引用して「己を行うに恥じあり」を説くには、それだけ自身の常日頃の行為に恥のない確乎たる姿勢が入っていなければこれを引用する資格がないと言えます。
そう思うと、人を批判するどころの騒ぎではありません。自分の行いに対してそれでよいか?これでよいのだろうか?と戦々恐々と自己批判の毎日になるでしょう。だから、真の論語愛好家は、とてもつらい日々を送る羽目になるかもしれませんね。
それに反して、論語なんて莫迦みたい!この世は金次第だ!と主張する拝金主義者は、しっかりとお金を稼いで、悠々自適の日々を送っているのかもしれません。
論語愛好家はある意味で負け惜しみの連中の集まりなのかもしれません。孔子の集団はもともと、そうした負け惜しみの集まりだったかもしれません。負け惜しみの論理の中に真理があると確信してそうした言葉のやりとりを楽しんだグループの集まりだったのかもしれません。
己の価値観を大切にし、それを心の糧にして生きる姿勢をもつことで幸せになれるのであれば、その人にとってはとても辛くても楽しい人生なのかもしれません。
そうしたところで、次に目に留まったのが「死生有命、富貴在天」というタイトルです。ここには、『富や地位を求めるより、第一番に心がけるべきは、正しい生き方である。』 これも、孔子の負け惜しみの響きが伝わってきます。富や地位に畢竟、縁の無かった孔子にとって極めた境地がこうしたものだったようです。
そして、「行いが正しく報われないなら、その境遇を恥じることはない」というような解釈も入っていますが、これも、まさに孔子の境遇にぴったしですね。ある意味で敗者の正論かもしれません。
でも、そうした敗者の正論が多くの人々の心を打つのはどうしてでしょう?それは、勝者と意識できる者がいつの世もわずかで殆どの人がそうした苦い経験を持っているからではないでしょうか?
論語を学ぶことによって敗者の正論を知り、とても打たれ強い人間になれますから、俗に言う“負け組み”の人は、論語を学ぶべし!ということになります。また、敗者が抱えがちな憂鬱な気持ちを解消するには、こうした論語を知ることで、“心の勝ち組”を自認することができるから、とても良い処方箋だと思います。
ここで、色々と他の格言を取り上げるにはきりがありませんので、最後にひとつあげてみます。
「匡人(きょうひと)、それ予を如何せん」、ここにも、次のような言葉が添えられている。 『人は困難や窮乏に陥った時、その真価が現れる。使命を信じる人は固く立っている。』 この言葉はすごいですね。
これは、孔子が五十七、八歳の時の言葉であると解説されています。このことは、『史記』 によって、陽虎と間違えられて、匡人が孔子一行を襲い、危機に瀕した時に発した言葉であると説明しています。
孔子は、幾たびか危機に瀕していますが、自分は天命を持って使命を果たそうとしているからそれが全うされないうちには、命を落とすことは無いと確信しているかのようですね。
こうなると、孔子は敗者というよりも自分の行為に対して信念を持ってくじけず前に進んでいく姿勢をもっていますから、敗者とか勝者とかを超えたところに孔子は立っています。
この本にあげられた中でも、初めて知った言葉ですが、とても気に入りました。こうした言葉が自分の口から堂々と言えるような人格で最後まで人生をまっとうしたいものです。
でも、そっと、本音を吐きますと、実は、僕もその口なんです。確かに、僕という生命は天によって生かされていますが、何かしら使命があって今、ここに在るのだと。そして、その使命も薄々感付いてきました。
ここで、『使命』 と言う言葉を使うと、なんだかとても大げさになりますが、恐らく、孔子が抱いた使命も、私が抱いた使命もローカルなところでということに関しては大して変わらないと思います。
孔子が抱いた使命は、別にグローバルな世界に対峙して己をさらけ出すものではなく、ローカルな世界の中で息衝いた想いでありましょう。孔子は権力者には認められず失意のまま田舎にこもって弟子を抱えて生涯を閉じた人ですから、使命と言っても自分が成すことに対する自己正当化から来た納得かもしれません。
でも、それが歴史を経て現在も残っているので結果的にはグローバルになってしまったのですが、それは、やはり、孔子の想いに普遍性があったからでしょう。孔子が存命の時、自分自身に本当にその確信があったかどうかは?知ることはできません。
『使命』 とは、天から使わされる為に天が授けた命ですから、誰にでも必ず 『使命』 があるのでしょう。しかし、悪人でもあるのか?と、問われても、それじゃあ何の使命なのかと考えるとわかりません。悪人は、社会の歪でもあるから、それなりのシグナルの役を果たしているのかもしれません。
ところで僕は、健康診断などは、もう、23年間受けていません。社会保険協会から無料検診とか何かの色々な書類が来ますが、まったく受けていません。がんにかかったとしても、それはそれで甘受する気持ちです。
若い頃に入った生命保険などはそのまままだ継続中ですが、もう、新しい保険の勧誘があっても入りません。もう、必要ないのです。僕の使命がまだ果たせていませんからそれまでに死ぬことはないでしょう。そう思うと、とても強くなりますよ。(笑)
でもこれから先、生きていく上でまた苦難にぶち当たることは必ずあるでしょう。生きている以上、それは大いにあるでしょう。でも、今まで数え切れないくらい困難がありましたから、なんとかなるではなく、なんともならないから、なんとかせねばなりません。それが生きるということですから。
最近、やっぱし、僕の目が閉じられる時は、この現世はやはり僕と共に終わりになるという意味ではないかな?という気がしてきました。存在するとはそうした意味ではないのかな?というところですか?
「めをとじてなにもみえず・・・かなしくてめをあければ・・・こうやにむかうみちより・・・ほかにみえるものはなし・・・ああくだけちる・・・さだめのほしたちよ・・・せめてひそやかにこのみを・・・てらせよ・・・われはゆく・・・あおじろきほほのままで・・・われはゆく・・・さらばすばるよ」
合唱で谷村新司さんの有名なこの曲を歌うことになったのですが、この曲はやはり、ソロで歌うべきだなあ~とつくづく思いました。コーラスだと賑やかになりすぎます。
合唱で歌うと、刹那さというか、無常観が希薄になります。孔子もきっとこうした内心孤独な気持ちの中で弟子たちと接したのでは?と思わずにいられません。
論語は、人としての基本的な生き方を導く、丁度、ピアノ教則本と同じなのかもしれませんね。その教則本でもって腕を磨き、自分の音楽を奏でることなのかなあ~。でも、そうした教則本無しでも立派な音楽を創り上げる人がいますから、まあ、天才とはそういう人を指すのでしょうね。
この本を通して思うのは、やはり、自分の論語を持つということでしょうね。
by 大藪光政