ゆりの花


前回、中国の思想における主人公をテーマにした書物は、皆、系譜の説明で閉口してしまうと言いました。ところが、三浦國雄氏は、私の声が届いたのか?書き出しのスタイルから、ガイドの導き方まで・・・とても楽しく読める段取りをして下さいました。


ここに、厚く御礼申し上げます。しかし、私が読んだ時代は、2008年の七月ですから、三浦國雄氏は、1984年の十月に、すでに私の気持ちを先取りされています。なんと学者らしからぬ枠を超えたこのスタイルでしょう。感心します。


スタートは、王安石(ワンアンシー)のプロフィル的構成でのガイドから始まります。これは、とても楽しく読めました。こういった入り口を作ってもらうと、とても中国思想の読み物は入りやすいのですが・・・。また、途中で、仮想座談会みたいな、企画もされていて、読む側にとっては大変状況を理解するのに骨が折れずに済みます。


しかし、王安石についての思想といったものが、読んでいて何時まで経っても、見えてきません。これにはいささかシリーズとして『思想と人』といったメインテーマに合っているのか?疑問を途中で感じ始めました。


出てくる内容は、まさに濁流に立った、行政に関する王安石の取り組み方ばかりです。確かに、理論と実践を常に天秤で量るごとく、行政に取り組んでいった実力ある人物であることは、この本を読めば分かります。


また、そうした実務に生涯を掛けた本人に、面白い詩人としての才覚があったのも三浦氏のガイドで納得します。


三浦氏のこうした、現代感覚で王安石の『詩人』としての作品解釈には脱帽すべき点が多々あります。それは読んでいて本当に切実に王安石の気持ちが、現代風に伝わってくるからです。


『詩人』といえば、この間、池田晶子さんと大峯顕さんとの対談本を読んでいると、『詩人』が発する言葉に秘められたものがある、そのことをしきりに語られていたのを思い出します。つまり、『詩人』が発する言葉は、本質を突いているといって過言ではない。つまり『詩人』は、自身が創作しているというよりも、『言葉』が、詩人をして語らしめている。といった風に受け止められます。


『詩人』が吐く言葉は、単なる用語ではなく、魂みたいな存在なのです。そうしたところをきちんと三浦氏は、我々にわかるように王安石の詩を翻訳されています。だから、王安石の存在が生きいきとしています。


王安石は、今で言う、行政改革に立ち向かって抵抗勢力を押さえつけて、己の信念を具現化させたのですが、王安石が仕えていた神宗がいなくなると、途端に司馬光らによって、新法から旧法に逆戻りされてしまいますから、結局は抵抗勢力の意のままの制度に逆戻りすることになりますから、行政としてのスキルはあっても結局は、破れたことなり、王安石の存在価値は薄れてしまいます。


そんな人物を中国の思想史の中で取り上げた意図がわかりませんが、三浦氏は、そうした厳しい評価の中で、王安石を現在の読者に紹介する力量があったのですから、これはすごいですね。他の思想家に比べるととても描きにくい存在を見事に他の思想家と遜色なく描き出されています。


この本の後半になると、王安石が行政としての手腕よりも、彼個人としての人間味の面白さに触れてきますから、読む人にとっては、そろそろ王安石の哲学が紹介されるのでは・・・と心待ちになりますが・・・これは、どうも空振りでした。


でも、ある意味で、後半に紹介される彼の詩を通して、彼の生き様とともに、宗教、哲学、といった世界を分かりやすく氷解させてくれたのでは、と思う次第です。


彼の詩を意訳した三浦氏の解釈詩を下に掲げますと・・・


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    半山春晩即事

   

   晩春は花を奪って過ぎ去り

   

   代わりに清らかな木陰を私にくれた


   おぐらい川沿いの道は物音もなく


   木立に覆われた庭園は深閑としている


   床机やふとんでいつも一服しているが


   時にはくつを履き杖をついて山の奥に分け入ったりする


   鍾山にはただ鳥がいるばかりで


   私の頭上を横切ったあとに妙なる音を残してくれる


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どうでしょうか?

この最後の「私の頭上を横切ったあとに妙なる音を残してくれる」

が、かなり効いていますね。

己の存在が、妙に内と外とで相対的に響いてきます。


最後に、もうひとつ三浦氏の解釈詩を、ご紹介しましょう。


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        新しい花


   年をとると楽しみが少ない


   まして病床に臥す身である


   水を汲んで咲いたばかりの花を生けさせ


   この流れる芳香にみずからを慰める


   流れる芳香はしかしつかの間の命


   私もまた長くはなかろう


   咲いたばかりの花と古い吾れと


   ああ、どちらも忘れてしまうがよい



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三浦氏は、この詩に対しても丁寧な解説をされていますが、

結末として、「だが、王安石は、『故吾』の滅びの果てに『新吾』の再生を信じなかった。また、不滅の本性に救いを求めようともしなかった。『新吾』を幻想と考えていたことは、『故吾』に『新花』を対置したところにもうかがえる。故吾は死を超えて新吾へ転じてゆくのではなく、新花とともに滅ぶのだ。・・・・」と述べておられます。


人は、いつの時代も、社会との関わりで悪戦苦闘を為し、日々一喜一憂をなす。しかし、精神的な心の葛藤を怠らない人は、時期が来れば、思うところの『吾』を省みる時が必ず出てきます。


そんなときに、どういった心構えになるかは、その人の生き様に従うようです。王安石も、その時代にて活躍した悔いのない人生だったといえばそうであろうし、最後は嫌な思いをさせられた無常の人生だったともいえる。


でも、当時の世間で評判の悪かった『字説』のような面白い仕事を、六十二歳で為せた余裕のある人生だったとも言える。その仕事が、漢字を日常使う日本人にとっても、『字説』のさわりとも言うべき、かすかに垣間見せられた一部を読んで見ても面白いと感じ、言葉のもつ本性を感じ取ることが如何に大切かもよくわかります。

仕事の真価は、無常にも時代の荒波に消されてしまうこともありなのだと、気付き、それをどのように納得するかも、吾のこころのあり方なのだと、思う次第です。


『ああ、どちらも忘れてしまうがよい』という最後の言葉は、王安石らしいきっぱりした人生を歩んだ人柄が浮かばれます。彼自身は、満足の行った人生だったのでしょう。


by 大藪光政