熊本城


孔子といえば論語ですね。今まで遠ざけていた『孔子』、それは学校教育が悪いのか?それとも教師が悪いのか?孔子といえば聖人で、格言で圧倒され、雲の上の人といった感がします。

  

どうも、そうでないことが、加地伸行氏の書物から誤解していたことに気付かされます。恐らく、中高時代に教わった教師は、論語読みの孔子知らずであったのでしょう。手にした本は、著者48~49歳の頃の作品です。
あとがきの日付が昭和59年1月3日でした。

  

作品と言いましたのは、この方が当時、大阪大学の文学部教授をされていたご身分で、学者として孔子を解説したというより、当時の昭和時代における政治経済、法律などを比較しながら自身の意見を添え、そして2500年前の孔子実像に対して想像力豊かに事実を検証しながらも、自身の推測でもって孔子の気持ちを語り、最後には孔子の解説よりも、言葉とは何か?とか、儒教から宗教とは何か?を語りかけています。

  

孔子の解説書としては、枠をはみ出た解説書です。そして若さあふれる熱意が感じられます。また、この書物は加地氏自身の言葉で最初から最後まで語られています。ですから非常に読みやすい本だと思います。加地氏は孔子を解説することを通して自身の哲学をされたのでしょう。

  

この当時の年齢で、この出来栄え!そして、氏の考えは学生時代の卒論から微動だにしていなかったことを考えますと相当な人物なのでしょう。同じ年代で池田さんの存在がありますが、彼女にもこんな作品があったらもっと楽しめたと思うくらいです。

  

さて、この本を読んでわかることは、孔子は現実を直視して生きた人物であることです。そしてその職業が、現代で言いますと、30代の若きコンサルタントから出発して、ゼネラル・コンサルティング会社の社長になった人といった感がします。(そんなことは加地氏、言っていませんが・・・)

  

そして、大手企業にも相手にされず苦労を重ね、ようやく中小企業に召抱えられたが、すぐに解約されて・・・56歳から、そのあと約14年間も、仕事をもらいに中小企業の社長に取り入ることをしましたが、なかなか相手にされず、また長期採用もかなわず、最後は「喪家の狗のごとし」まで落ちぶれて零細企業へと、ランクを下げてしまいましたが、とった杵柄として経営大学を開いてそこに収まったといったところでしょう。

  

何故、ゼネラル・コンサルティングに相当するのかと言いますと、孔子は生粋の軍事家、政治家、法律家、経済学者いずれの枠からはみ出ています。そして、諸国の君子に自分を売り込んで様々な施策をアドバイスする立場の人ですから、現代の職業としてゼネラル・コンサルティングがそれに該当します。

  

孔子が、スペシャリストの道を歩めば、恐らくそんなに苦労はしなかったでしょう。要するにいつの世も、『How to』ものは、即効性として歓迎されます。孔子は、悲しいかなゼネラリストだったのです。

  

スペシャリストは引く手あまたですが、企業がゼネラリストを求めることは非常に少ないです。孔子の不遇な人生は、孔子を認めて召抱える君子がいなかったことにつきますが、現代ですら人を見抜く力をもった経営者はごくわずかです。それと多くの経営者は目先だけにとらわれていますから、やはりスペシャリストを求めます。

  

『論語』は、孔子が書いたのではなく、孔子が『不遇な恨み節』から『教訓』を得て、『負け惜しみ』を言ったのを弟子がまとめて書いたのでしょう。(そんなことを加地氏は、言っていませんが・・・読むとそんな気がします。) 不思議なことですが、ソクラテスや仏陀も自身で書き残したものはありませんが、ちゃんと弟子がまとめてくれています。

  

これは、人の才能が、物事の道理に気付く人、そしてそれをわかりやすく解説するのが得意な人、そしてそれをいかにも威厳のある内容のように流布して職につく人、そしてその教書を看板に名誉を得ようとする人、稼ぐ人、と、人間それぞれ生きる過程において、役割分担があると思います。

  

さて、加地氏の文章の特色でありますが、学者としては異端児ではないかと思うふしが多々あります。まず、最初から用語ひとつをとっても、『システム』とか、『ハード』、『ソフト』といった工学でつかう用語がよく出てきます。文系なのに理系の素養も、お有りのようです。

  

また、時代分析として『節約型経済』とか、『景気刺激型経済』とかいった用語で、結構経済学にも精通されているようです。そして宗教観とか哲学についても造詣がおありです。

  

加地氏の良いところは、そうした知識を知識の領域で止めず、それらの知識を活用して自身の推論を行っている点にあると思います。つまり使う言葉が、自身から生み出した言葉として生きているのです。だから、文章はわかりやすいし、面白い。学者はともすれば、資料のまとめ役として書物に書き散らす方がおられますが、加地氏は、情報を消化して自身の言葉に置き換えられています。そこが面白いのです。

  

最後のところで、中国思想史において言語哲学あるいは論理学について・・・こんな文章があります「すなわち、名(ことば)と、実(対象)との関係という問題である。実( その現われは<> )とは、対象のことであり、その実に対して、名づけたものが名である。だから名は記号といってよい。その記号とは、言語学者のソシュール流に言えば、ある対象の概念と聴覚(音声)映像という両者の結合である。

  

名は、ある対象の概念であり、同時にそれを表現する音声的現象である。中国における論理学的思考は、この<名と実と>の関係をめぐって発展する。名と実はどのようにして一致することが可能であるか、という大問題である<名実論>が、この<正名論>から以後、始まることとなったのである」と述べておられる。このことについては、詳しくは『中国論理学史』、『中国人の論理学』という本に書かれておられるとのことでしたが、これって本当に大切なところですね。

  

これを引き伸ばして考えますと、言葉は記号であるということは同感すべきことで、そしてその言葉を使った文章はさしずめ暗号文と思ってもよいでしょう。だから、人が書いた文章を理解する時、解釈が色々出て来てやっかいになります。日本人にとって、ギリシャ語やドイツ語などの言語からなる文章を翻訳する時は、本当に言葉と対象以上に解釈が困難になるでしょう。

  

十章の終焉における内容では、「この最終章において、<死の世界>に対する孔子のあり方を述べざるをえない。・・・」云々とあります。加地氏は、孔子が死を語らなかった人であるという通説を断固否定しています。あえて言えば孔子は、死の哲学者であったとまで、言い切っておられます。ここの章はそういう意味で、大変興味深い内容が語られています。

  

儒教を、祖先崇拝にすぎず、宗教ではないという意見はおかしいと加地氏は言っておられます。そして大事なところは「宗教が存在する価値は、死の説明者としてであると規定する。人間は<生の世界>の疑問に対する解決方法として、哲学をはじめとして、多くの文化を生み、説明してきた。しかし、<死の世界>については、それを説明できる文化は限られている。

  

医学は<>を確認しえても、<死の世界>を説明することは出来ない。死は避けえないものとするならば、死後、人間はいったいどうなるのか、<死の世界>とはどういうものであるのか、という関心が生まれてくるのは当然である。すなわち、避けえない死は覚悟するとしても、そのあとの世界について納得できる説明を人間は求めてやまない。この求めに応じるものこそ、宗教であり、ここにこそ、宗教の価値があると私は考える。」とおっしゃっています。

  

この後も、仏教やキリスト教に関する対比を行いつつ、儒教が現実的即物的中国人の宗教として(死の納得できる説明者として)、中国人の支持を得たのである。と言い切り、儒教とは何を隠そう、現実中国人に対する死の説明者であり、死の儀式者なのであると言っています。

  

『愛と孝と死と』のところでは、人間のそうしたものに対する実際の接し方によって、受け止め方が大きく違ってくることも語られています。孔子の生き方は、現代の人々とまったく変らない生き方なのですが、ただ風土が違うと考え方も違ってきますから、そこで生まれてくる、芸術、哲学、宗教なども違いがあって当然でしょう。

  

しかし、人類が生み出した様々な芸術、哲学、宗教を理解し、共有することにおいて、まだ融和する状態ではないことは、現在も変わりありません。まだまだ、宗教の違いで、国と国が、民族と民族が争っている状況で、統一された普遍性が果たしてあるのか?それともこうした混沌とした状況が、普遍性として在るということなのか?疑問が残ります。

  

孔子、ソクラテス、仏陀、キリスト・・・皆、普通の普通でない人間としてこの世に生まれてきて、いつの間にか超人として崇められてしまった。元来、人間はそうした象徴を欲する動物なのでしょう。それは、生きることの不安、死ぬことの不安、そして存在していることが納得できない不思議さを、納得させるための仮想の象徴として存在させているのでしょうか?



by 大藪光政