くも膜下出血との闘い -16ページ目
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一週間後

手術、入院から1週間。

朝の回診で抜糸をしてもらった。
自分では頭がどのようになっているかわからない。

そして、ちゃんと食べるなら鼻の管抜こうということで、頑張って食べる約束をした。
3分の2以上食べないとまた鼻から管入れると。。。

鼻の抜管はちょっと違和感がありもう二度とゴメンだ。

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発熱と頭痛

麻酔から覚め、自分の置かれた状況をなんとか理解した私。

私がこんな大病に?
なぜ?

手術後、激しい頭痛が続く。
熱も39度近くと高い。
とにかく辛い。
ICUに2週間いるらしい。

検温の度に、名前、生年月日、今日は何月何日か、ここはどこかと聞かれる。

脳にダメージを受けているから認知テストをされていたのだ。

まだ絶食。鼻の管から栄養を入れている。

こんな状態じゃお腹も空かない。

大変な病気になってしまった。

倒れた・・・らしい

8月1,2日は仕事はお休みだった。

 

8月1日も体調が万全ではなく、娘を塾に送り出すと横になっていた。

 

そして8月2日・・・

 

旦那を朝送り出し、娘はお昼食べてから塾といういつもの流れ。

 

体調はやはり万全ではなかった。

 

旦那を送り出し、娘が家を出る時間に合わせて昼食を作ろうとそれまで横になるつもりだった・・・

 

(それからの記憶がない・・・)

 

気づいたら管だらけで病院のベッドの上・・・

 

えっ??なに?どこ?

 

これが正直な感想・・・

 

「クモ膜下出血で倒れたんだよ。」と旦那の声・・・

 

どうやら、横になったまま意識を失っていたらしい。

異変に気付いた娘が仕事中の旦那に連絡、旦那が近くに住む私の母に連絡し、すぐに来てくれて、救急者を呼んだらしい。

 

そして、病院へ。そこでは検査しかできないと言われたが、とりあえず運ばれた。そこでクモ膜下出血と判明。

別の病院に搬送され、緊急手術を受けた・・・らしい。

 

私は何もわからないまま管に繋がれ、目を覚ましたということです。

 

娘が異変に気づいてくれなかったら

旦那にすぐ電話しなかったら

母が外出していたら

病院が受け入れてくれなかったら

すぐに手術できなかったら

 

私は今、存在していないかもしれない・・・

 

娘や家族、病院の先生が私の命の恩人です。

 

ここから壮絶な闘病が始まる・・・

 

 

 

 

 

 

クモ膜下出血の前兆?

7月の後半、夕飯を作っていたら、急にふくらはぎがつり、ビビビッと首の後ろまで電気が走ったような感覚。

 

同時に頭痛と吐き気・・・

 

少し横になる。

 

吐き気がどんどん増し、夕飯は食べられず。

 

なんとか家族には夕飯の用意をし、私は早めに就寝。

 

翌朝、吐き気と頭痛はあったものの出勤。

どうにもならず、遅番の方に早く来ていただいて1時間ほどで早退させてもらう。

 

午後、少し吐き気が落ち着いたところで近くの内科へ。

胃腸炎だろうとのことで吐き気止め、抗生物質などを処方してもらい、自宅で静養。

 

次の日はシフトを替わっていただきお休み。

その翌日から出勤した。

頭痛が治まらないが吐き気が治まっていた。

 

胃腸炎だと思って疑わなかったのに・・・

はじめまして

この夏、クモ膜下出血で倒れた私の闘病や日常、また家族のことを書いていきたいと思います。

 

どうぞよろしくお願い致します(⌒▽⌒)

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