父が嫌いだった。

幼いころの記憶をたどってみれば、
いつも心が緊張していたことを思い出す。

気に入らなければ頭ごなしに怒られる。
言い募っても聞き入れてもらえない。
食事中に箸で叩かれたこともあって。

いつも顔色をうかがって、
余計なことは言わないようにしていた。



ふと口からこぼれる趣味嗜好にも、
目ざとく“論評”が入った。

テレビに映る私の好きなアイドルに
「こんな連中の何がいいんだ」
とこれ見よがしに言ってくる。

私が気に入って買った洋服に
「そんなものを買ったのか」
と声をかけてくる。

“いつまでそんなものを持っているんだ”

ぎゅっと握りしめたのは、
お気に入りのぬいぐるみ。

私の好きなものにケチがつくくらいなら。
いっそ誰にも分からないように、
見つからないように隠してしまおう。

父の気に入るものを手にすることで、
こんな嫌な思いをせずに済むのなら。

心の平安を保たれるのならば。

いっそ私の好きなものなんて、
手にしなければいい。

私の好きなものは、いつも否定される。
だったら、好きになっても意味がない。

そんな思いでいっぱいだった。



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実家に帰ることが億劫だった。
いつも無意識レベルで心が構える。

父の好意で勝手に用意される
「私の好み」に合っているらしい食事にも
正直ウンザリだ。

誰も私のことを分かってくれない。
そんな場所を「家」と呼べるのか?

湧き上がるのは、怒りだった。
幼かったあの頃、ぶつけられなかった怒りだ。

私は我慢してやっているのだ。
子どもの気持ちを考えられない父のために、
良い娘を演じてやっているのだ。

そう思うことで留飲が下がっても、
何も解決することはなく。

一体いつまで我慢すればいいのか。
一体いつまで「良い娘」を演じさせるのか。

もはや我慢することのほうが通常だ。
「良い娘」のほうが本心のようだ。

「そんなわけない!」と心のどこかで
叫んでいる小さな声に言い返す。

うるさいな、どいつもこいつも。
騒ぎ立ててくれるなよ、私の平穏を。


実家から帰って来てほっと息を吐き出して。
「良い娘」の仮面の下からのぞいた
能面のような自分の顔にうんざりしていた。


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その怒りに心底疲れたとき。
ようやく認めたのだ。

私は父から逃げていたのではなく、
自分から逃げ回っていたのだと。

自分の中にあった「好き」を捨てて。
自分の中にあった「本音」を捨てて。

そうしていつしか、
「好き」も「本音」も分からなくなって。

それでもなお諦めずに、
私が私に叫び続けてくれていたのだ。

聞き取れなくなるほどにこんなにも
小さくなってしまった。
けれど、なくなってなどいなかった。

いま改めて聴こうとしても、
決して明瞭ではない私の声。

あぁ、こんなにもないがしろにしていた。

そして、気付いたのだ。
父の嫌味にしか聞こえない声掛けこそが、
私が私自身の本音に気付くための
「合図」そのものであったことを。

周りに何と言われても好きでいられるのか?
誰に何と言われても本気なのか?


父を介した問いかけを“宇宙の愛だ”
とかいった言葉で片付けられるほど
私は大人に成りきれていないけれど。

次、実家に帰るときはきっと、
この心の緊張も楽しめると思った。



父が嫌いだった。
それは、きっと今でも変わらないけれど。
今は父の存在に、感謝している。