あまりにもご無沙汰しすぎてしまいました〜💦

 

 

桜の花も散り始め春本番の季節になりましたぁ🎶🎶

 

暖かな日差しは何故か心もほころんできますよね〜☘️☘️☘️

 

人それぞれ悩みも 考えも 環境も 生き方も 一つとして同じものは

ありませんよね〜

 

ありがとうって 感謝って どんな意味があるのって言われる人がいました そんなところで 私がなんでありがとう 感謝 覚悟 目に見えない

エネルギーの力(空)とは、確実にそこにはあるけれど 目にみえないという意味になります ここについてお話をさせて頂きたいと思いました〜

 

私の元に来られるお客様には やはり ありがとう😊

感謝ですよ〜ここ無くしては 何も起こりませんからとお伝えするんですが〜

 

私がお伝えする ありがとう 感謝は 良く何もなくてもありがとう😀

感謝という言葉言うといいと耳にしませんか❗️

 

私の中では、言わないより言っていた方がいいと思います

 

私が何故、ありがとう😊という言葉を言って下さいねとお客様に伝えるのは 普通は、何かをしてもらったらありがとう それは当たり前のことだと幼い頃から教わって来たように思います 皆様もそう教わって来たと思います

 

私が言う ありがとうの根本は 今生かされていることへの(生きている) ありがとうなのです照れ音譜音譜音譜音譜

 

健康な体で 当たり前に歩けて ご飯も食べれて 口も聞けて 耳も聞こえて 心臓も動いて 当たり前のように眠って 起きて 当たり前のように 歯を磨いて 顔を洗って 

 

当たり前のことが当たり前に出来ること これに対して ありがとう照れ

を言って下さいねっとお伝えしてあります音譜音譜

 

当たり前に生きているからこそ ありがとうの言葉 思いが生まれる

今、こうして生きていられる どんなに悩みが生まれても 苦しみが生まれても 生きてさえいれば 必ず光が差してくると信じられるものがあると、今を振り返ると 本当にそう思える確信があるからなのかもしれません爆  笑

 

どんなにお金があろうとも どんなに生きたいと願っていても 生きれない人がどれだけいることか計り知れません

 

かたや、どこも体が悪くなくても この世から消えたいと 苦しむ人もどれだけいるか計り知れません

 

しかし〜生きてさえいれば❗️ここに繋がることが 自分自身体験したからこそなのかもしれません

 

私は 幼稚園 小さい頃はずっと いじめられていたな〜

言いたいことも言えずに いつも私のせいにされて いじめる人は、くすくす笑っていたような〜

 

こんな自分はどうなるのか 相当無口な子供だったように思いますね〜

小学生の時もずっとでしたね〜

ものを隠されたり 机の中には 悪口を書いた手紙が どっさり詰め込まれていた カバンは隠させたり 今思えば すざましいいじめだったように思いますね

 

休み時間はいつも一人 誰とも喋らなくて みんな私を避けて通りすがりに傷つく言葉をどんどん浴びせられる日々

 

当然 日々思うことは 自分はいない存在なろう

少しでも目立たない自分になろう

自分に自信を持ってと言われても皆無に近い

 

家に帰れば逆に明るい自分に変身

親には、学校ではそんなふうにされているなど口が裂けても言えるわけがなかった 現在の言葉に言い換えれば モンスターペアレンズ

目にみてえ私は分かっていたからだなのです

真実を母親に話せば 黙ってなんかいない母親だったからなのです

子供ながらにそれは分かっていたように思う

 

 

それでも私は 母親が大好きだった❤️この思いが救われたのかと

それしか答えが見つかりませんね〜

 

小学生を卒業する時、担任の先生から ある言葉をサイン帳にしたためられていたあの言葉は今も忘れることが出来ませんね〜‼️

以前のblog書かせて頂きました〜

 

話が長くなりますので この辺の話はどばしたいと思います

 

私が 35歳 私の母が癌宣告 症状は末期笑い泣き

 

この頃の私の中に ありがとう 感謝 こんな考え方は1ミリも無かった

また、ありがとうがどれだけすごいことなのかも 全く知らなかった

 

感謝にしても、何が感謝なんだと思う私だった

あまりにも人生が暗かったなのかもしれない

逆に世の中を恨んでいたように思う

そして、自分の人生そのものを呪っていたように思う

 

神様なんかどこにいるのよ‼️

誰も助けてなんかくれないじゃない‼️

なんで、悪いことが次々に起こるのよ‼️

なんで、私は生まれて来たのよ 生まれてこなければ良かった‼️

 

なんでよ なんでよ なんでよ‼️‼️

 

母が死んだら 私 ひとりぼっちじゃない笑い泣き

人に貸したお金1千万 返して貰えなくて全て自分で背負って返すのは全て自分で返し続けていた

お金もないし いざとなったら私は母と

死のう‼️そんな考え方が私だったのです それしか思いがつかなかったのです

 

今、考えれば 本当にせっぱ詰まっていた しかしその反対に覚悟した

死ぬという言葉、常に頭を駆け巡っていた いつ どこで 

もう決まっていた‼️(死ぬ場所だ)

 

死ぬことは出来なかった 何故なら 母はもう 歩くことも出来なかったからだ

 

しかし〜そんな私に手を差し伸べてくれる人いたのです😀

大きな光 扉が開き始めたのです音譜音譜

 

私がなんで、ありがとうなのか 感謝を腹の底に落とし込むことがどれだけ重要なのか 少し長くなりますが この続きは 次のblogで書かせて頂きます‼️

 

ここまで暗いblogをお読み頂きまして ありがとうございます😊